「自分が傷ついたのはあなたのせいだ」と思う時相手が謝らないと腹が立ってしょうがない
なんとしても相手に謝らせたい謝りなさいよと面と向かっては言えないから心の中で叫んでいる
そんなことがよくあります(ました)
人に対してもあるけど何より大きいのは神様に対してです
私が人生の中で大きく傷ついた時
神様にあんなに願ったのに神様は願いを叶えてくれると約束したのに叶えてくれないじゃないか
だから私に謝りなさいよと叫ばずにはいられない
神様がちっとも私に申し訳なさそうな顔もせずむしろニコニコしているから余計に悔しくてたまらない
もうずっと長いことそんな悔しさを心に抱きながら生きています
多分何百年もこの気持ちを抱えたまま生きています
今もその気持ちはありますがそれまでと大きく変わったのはそれは神様のせいじゃなく私の問題なのだと気づき私の問題なのだと受け止めることができたことです
そんなことも以前は悔しくて受け止めたくはありませんでした
私の問題だと認めたら私の負けだからです
でもようやく負けを認めることはできたようです
奇跡のコースはその大きな助けになりました
悔しくて情けなくて絶対に認めたくなかったけれどもうそれも疲れて
抗い続けることでは何も変わらないのだということを認めるしかないくらい追い詰められたのかもしれません
でもそれでよかった
奇跡のコースをやっていると心が激しく抵抗することがあるでしょう、とテキストには書いてあります
このことなのかと思います
でもその抵抗は悪いことではなくその抵抗を手放すチャンスなのだとわかっていたので
抵抗は苦しいけれどもここでまた神様のせいにしたらまた私は私を嫌いなまま時が過ぎていくんだということだけはわかっていたので
もうそんな自分に留まっていたくはなかったので苦しさを見つめて苦しさを感じてやっとその苦しさの先に行くことができたようです
神様ありがとうございます
実家の庭に咲いていた彼岸花義理姉のお花の生け方の感性が好きです