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倍音の月16日・KIN26白い宇宙の世界の橋渡し[11月30日(日)] 上がったり下がったり

ジェットコースター並みに私の心の中が上がったり下がったり。今日は静まり返っています(笑)。出来事は相変わらず引きずっているし、問題は解決していないのにね。

レッドの「超越」ってのが、なかなかできないのよねぇ。超越しないでつい反発しちゃうから疲れるのです。反発ってエネルギー使うし。

だからかな?最近やたらとピンクのカラーエッセンスを使ってしまいます。
現在お気に入りで毎日使ってるマイボトルにも、カラーエッセンスをジャバジャバ(は大袈裟だけど)入れてます。ボトルでもポマンダーでもクイントエッセンスでもなく、今回はカラーエッセンスとして必要みたい。カマエルも早く欲しいです(あ、もう届きます)。

でもやっぱりたけしは面白いなー!さっきのテレビでゲラゲラ笑ってしまった。「死体役スター誕生」とか大好き。夏の27時間テレビといい、たけしの「笑い」のパワーが復活してる気がするのがうれしい。私が落ち込んでいるときに元気を回復できるのは、いつも「笑い」のおかげです、ありがとうー。
倍音の月15日・KIN25赤い水晶の蛇[11月29日(土)] 打って変わって

・・・・・・・・・・・・・もうだめだ・・・・・・・・・・・・・・・。

昨日の日記とのあまりのギャップぶりに驚きです。しかし、今の私の気分はそんなかんじです。

思えば、とても気分が良い日の次の日は、何故かドーンと沈みこむことが多いのは何故〜?

それは今朝起きたときから始まっていたのかもしれません。
夕べはとても気分良く眠りに着いたのですが、なかなか寝られなくて夜中に何度も目が覚めました(珍しく)。さらに夢見がサイアクでした。そして現実的なレベルでも「1日でこんなに!?」というくらいの、たくさんのつまづきがありました。
そうこうしながらも、コース中はそこに集中しているからまだ良かったものの、コースが終わって夜の勉強会までのひとりの時間でつまづきのことがフラッシュバックしてきて、しんどくてたまらなくなってしまいました。正直、勉強会では心此処にあらずでした(すみません!)。

最後の生徒さんが帰られたのがけっこう遅かったので、その後片付けや明日の準備をしつつも全くテンションが上がらないから、ひとつの作業ごとにため息ついて手を休め・・・なんて調子でやっていたら、終わるのがかなり遅くなってしまいました。なんだか惨めな気持ちになり、しょぼんとうずくまってしまった・・・。

あーーーほんと、だめだーーー。なんかもう悔しいというか惨めというか。「それでもいつでも愛しているよ」って、今こそ自分に言い聞かせてあげたい。
倍音の月14日・KIN24黄色いスペクトルの種[11月28日(金)] 流行語大賞は!?

昨日でレベル3コースが終了しました。
どのコースも最終日は私にとって感慨深いものがあるのですが、レベル3はまた格別な感じもします。

オーラソーマの学びはレベル4までありますが、レベル4は「受講」ではなく自主的な探求によるものなので、教室にきて先生から学ぶという形を取るのは3が最後になります。レベル1から始まって(もちろんレベル3で初めて出会う人もいます)、短くはない年月を共にしてきた(私にとっては生徒というより)同志も、ここで一旦区切りがつく感じです。実際にレベル3まで終わると、それまで程には会う機会もなくなる場合が多いし、それはむしろ喜ばしいことですが、でもやっぱりなんとなく寂しさもあり・・・てな感じでしょうか。
昨日の最後もシェアしながら涙する火もいたりして・・・あああ、でもその気持ち分かる。


生徒さんやクライアントさんがコース中・セッション中に話しているのを聞いていて、話してくれる内容は様々だけど突き詰めれば、みんなただひとつのことを欲しているんだと強く感じます。それを心の奥底からの叫びといってもいいくらい、強く欲しているし、それに飢えているような気がします。

それは「ただそのままの自分を受け入れて欲しい」という叫び声です。

良い子のフリをしてる自分だから受け入れてもらえるのではなく、いじわるだったりだらしなかったり弱かったりする自分でも「それでも愛しているよ」と言う一言を、喉から手が出るほどみんな欲しているんだなぁ。そして一瞬でもそれを感じられたとき、なにやら込み上げてくるもので胸がいっぱいになり、涙が止まらなくなったりします。

私はここ数年、わりとこの感じをいつでも感じられるようになりました。
そりゃ時にはひどく落ち込むこともありますが、そんなときは夜ひとりで心の奥の方に耳を澄ませます。そして「それでもいつでも愛しているよ」と言う声を聞いて、ほっとして眠れるような感じです。自分が自分に?お父さんやお母さんに?ヴィッキー?カミサマ?誰に言ってもらっているのか・・・。

世の中にはその言葉を必要としている人がたくさんいるので、私でよければ言ってあげたいです。私はもう貰えた(と思う)ので大丈夫です。

「それでもいつでも愛しているよ」って、子供にとっての子守唄みたいなものかなぁ。こういう言葉が流行語大賞になればいいのに(でもグゥ〜やオモローもはずしたくない、笑)。
倍音の月11日・KIN21赤い銀河の竜[11月25日(火)] オーラソーマハット

オーラソーマを正しく伝える・・・このことを「オーラソーマハットを被る」とも表現します。

もともと制限されるのが嫌いで制服アレルギーがある私ですから、オーラソーマが大好きな理由のひとつは、コンサルテーションにしてもなんにしても自分の感性をフル活用して自由にできるところです。
でもオーラソーマハットという制帽は被っているつもりです。オーラソーマをやっている限りこの帽子をとろうとは思いません(とってはいけません)。これは「制限」とは全く違うものです。

先日届いたあるメールにこんなことが書いてありました。

「この世界において、社会の規範や規則やルールを守りなさい。けれども、これらにあなたの内なる命を制限されたり、むしばまれてはいけません。これらの自己認識によって飲み込まれないようにしなさい」

オーラソーマハットを被るということは、自分の行為や思考が制限される(自分の一部を否定される)ことではなく、それらのものに責任をとるということだと私は思います。
自分のレベルがいくつであろうとプラクティショナーやティーチャーであろうとなかろうと、オーラソーマに初めて触れるクライアントさんにしてみれば、自分のしたことが「オーラソーマ」全体の印象を決めることに繋がりますし、その時点で自分はオーラソーマという看板をしょっているのです(だから逆を言えば、まだレベル1しか終えていない人は、身内にしかコンサルしちゃだめよという決まりがあるのですよね)。

自分のことだけじゃなく、できればより広い視野でオーラソーマを見られると良いですね。

制限・制服嫌いな私がどうしてオーラソーマハットを被るのが苦痛じゃないかというと、オーラソーマが大好きだからです。
大好きなものが誤解されていく姿を見るのは忍びないです。自分は絶対に誤解されないようにやろうと気を引き締めます。だから帽子を被るのです。

・・・そんな感じでしょうかね〜
倍音の月10日・KIN20黄色い共振の太陽[11月24日(祝)] 現実の作り方

「意識が現実を作る」とは、こういう(スピリチュアルと言われる)世界ではよく耳にする言葉だと思います。私もたしかにそうだと思います。

じゃあ例えば「一億円欲しい!」とい強く意識してそれが現実になるかというと、多くの場合現実にはならないよね〜。「あの人と結ばれるんだ!」なんてのもそうで、必ずしもなるとは限らないよね〜。

意識が現実を作るとは、モノや物事が現実化するという(こともあるでしょうが)意味ではないのではないかと思うのです。

有名な「コップに水が半分」理論で言えば、コップに水が半分入っているという現実を、「半分も入っている、わーい」と受け取るか、「半分しか入っていない、がっかり」と受け取るかで、全然違ってきますよね。前者の人には幸せな現実があるし、後者の人には不幸な現実があります。

現実は「コップに水が半分入っている」という事実だけ。ただ、それに対してどういう意識を持つかによって現実が決まるんだよという意味で、意識が現実を作っているんだと思うのです。

自分の外側の環境よりも、内側の心のあり方が現実を作っているんだということ。最近マイクが盛んに言っている「なにをしているかより、それをどのようにしているかの質が大切」なんだよね〜。
倍音の月9日・KIN19青い律動の嵐[11月23日(日)] 元気になるコンサルをしよう

あるときの勉強会で初参加のある方が、2本目のボトルに関してかなりネガティブなコンサルをしていました。

コンサルって本当にナマモノでケースバイケースだと思うので、私は必ずしも絶対にネガティブなことを言ってはいけないとは思わないのですが、そのときは明らかにクライアントさんに不安を煽ったりショックを与えたり不愉快な気持ちにさせるものだったので、それを指摘しました。するとその方は「えー?コンサルってそういうものじゃないんですか!?」とびっくりしていました。

えー?っと、その場にいた他の人たちがかえってびっくりしていました。私も内心びっくりしましたが。

クライアントさんにショックを与えるのがコンサルテーション・・・悲しい。

プラクティショナーにそのつもりがなくても知らず知らすのうちにクライアントさんにショックを与えてしまうということはあるかもしれません(あってはいけないことですが)。しかし何が悲しいって、その方は本気でコンサルとはクライアントさんを不安に陥れるものだと思っていたようなのです。その方自身、今までそういうコンサルしか受けてこなかったそうです。オーラソーマとはそういうものなのだと・・・。

もしかしてオーラソーマをそういうふうに捉えている人が他にもいるのかもしれませんね、残念だけど。

私自身はもちろん、オーラソーマは人を元気にしてくれるものだと考えております。ただ、知らず知らずのうちにクライアントさんにショックを与えてしまったことが絶対にない!と言う自信は正直ありません。

でもコンサルテーションの中で、クライアントさんの表情が何かのきっかけでぱーっと輝き始めるあの瞬間は何度も経験しています。あの経験を一度でもしてしまうと、プラクティショナーは止められない?かもしれませんね(笑)。プラクティショナーをやっている生徒さんもよく言ってます。
倍音の月8日・KIN18白い倍音の鏡[11月22日(土)] 共同創造

アマーリエも来年からようやくスタッフ〜(狩野じゃない!)を雇うことにいたしました。

思えばサロンを始めて4年半。よくぞひとりで全部をやってきたものだと自分を褒めてあげたい(笑)。
でも仕事の量というよりも、内容ですかね。

今私は好きなことを仕事にできていて、それは本当に幸せなことだと思っています。しかしそうはいっても24時間好きなことだけができるわけでは当然なく、好きなことに伴う様々なあまり好きではない作業も含まれるわけです。そういうときに「誰かに手伝ってもらうのも手だよね」と考えはしましたが、実行には至りませんでした。理由はいくつかあります。

ひとつは、スタッフを雇うなんて自分には贅沢なんじゃないかと思えたことです。苦手な仕事を人に任せるなんて贅沢!「我慢しろよ。好きなことやらせてもらってるんだから」と、ずっと自分に言い聞かせてきました。
もうひとつは、私は他人と共同でなにかをするのが苦手だということです。仕事でも何でも、ひとりでのびの〜びとやれるとけっこう力を発揮できるのですが、人が関わってきた途端に相手との協調性を気にしすぎて小さ〜くなってしまいます。ワンマンなのね、多分。
そしてもうひとつは、他人の人生に責任を持ちたくなかったことです。それは私のビビリでもあるし、面倒見の悪さでもあるし、自立している人が好きだからでもあります。

しかし、今回決断しました!その理由は・・・
実際に自分の仕事量の負担が増えてきて、このままだとストレスで好きなことも好きと思えなくなってしまったら嫌だなと思ったことがひとつ。
私から見れば苦手な仕事でも、その人から見ればもしかして何かのチャンスを与えられることになるかもしれないと思えたことがひとつ。
そして最大の理由は、良き人に巡り合えたことです。

もし私が経営者だったら(あれ?もしかして今もそうなのかしら、考えたことないけど)、人を雇うときの決め手は、仕事ができるかどうかとか性格が優しいかとかもまあ大事だけど、それ以上に大事なことがあると思います。今回のことで言えば
・オーラソーマを好きでいてくれること
・アマーリエを好きでいてくれること
・上野(=私)を好きでいてくれること
がとても大事で、更に私もその人を人として好きでいられると思えたことが決め手でした。

お互いが好きで信頼関係があってオープンでいられれば、仕事上の問題は(起きるでしょうが)その場その場で解決していけるだろうと思ったのです。そう考えたら、上記のような不安は薄れてきて「それでもできるかもしれない」と思えてきて、ワクワクしてきたのでした。

だって楽しく仕事したいもんね。私だけじゃなくスタッフさんも当然そうであって欲しいし。そしてアマーリエに来てくださる人も楽しく過ごして欲しいじゃん。
2月に新サロンに引っ越したときに「このサロンのイメージはオリーブグリーン」だと感じました(99番ボトルみたいな)。オリーブグリーンのテーマは、共同創造だったんですよね〜今思えば。
倍音の月7日・KIN17赤い自己存在の地球[11月21日(金)] 年齢なりの知恵

昨日でレベル2が終わりました。
思い返せば、ここのところレベル1ばかりやってたので、レベル2は久しぶり・なんだか新鮮な感じがしました(明日から始まるレベル3もそういえば久しぶりです)。

今回は生徒さんの年齢がとても近いところに集まっていました。私も含めアラフォー世代ってやつですか。一番若い人で39歳というのは、アマーリエのコースの中では平均年齢が高い方です。

オーラソーマのコースは、集まる生徒さんによってがらっと雰囲気が変わります。それぞれがとても個性的でユニークで優劣の問題ではなく私としてはとても楽しいし、内容は同じなのにこんなにも違うものなのねーと、感心してしまうほどです。年齢でいっても、平均年齢20代なんていうときもあるもんね。でも今回は平均20代のときとは何かが違う、と感じました(笑)。

私は、人間性に年齢は関係ないと思っております。個性もそう、年齢の問題じゃありません。それに魂の年齢は肉体の年齢と必ずしも一致しません。小さな子供の魂年齢(そんな呼び方あるのかな?)が、自分より上だってことも充分ありえると思うのですよ。
しかし今回のコースを通じて、やっぱり今生において年齢を重ねたことから来るなにかがあること・・・を、シミジミと実感しました。

それは「知恵」です。
「知恵」とは、時間をかけて積み重ねてきたもの。一夜漬けでは得られないものとでも言えばよいのでしょうか。そうなるとやはり長く生きている人に知恵があるのも頷けますね。もちろん今生の経験だけではないから、単純に年齢の問題じゃないとは思いますが、今生をそれだけの間生きてきたという事実も事実。
知恵があるから不安じゃない・知恵があるから混乱しない。知恵があるから楽しむ余裕がある。あああ、全部ゴールドだ。

深み・・・というより「厚み」(体のことじゃないよ、笑)。下半身がより安定してる感じ(だから体のことじゃないって、苦)。
倍音の月5日・KIN15青い月の鷲[11月19日(水)] ヴィッキー現る

なんでだろう?なんでヴィッキーの話をしていると泣いちゃうんだろう?

今日もコース中にヴィッキーの話題が出ました。ヴィッキーの生前のエピソードをみんなに話していたら、それだけで涙ぐんでしまう方がいたんですよね。でもこういうことは珍しくないのです。

私自身、マイク・ブースのコースで一番好きな時間は、マイクがヴィッキーとの思い出話をしてくれる時間です(いいのか?笑)。小さな子供がお母さんに御伽話をせがむようなノリで、本当は「もっと聞かせて」とマイクにせがみたいくらいです。だって私はもう直接的にヴィッキーに会うことがかなわないから。

ヴィッキーとマイクは純粋に愛情だけで繋がっていて、それはとてもとても強い絆で、それはヴィッキーが亡くなった今も何も変わっていないのが、マイクがそうとは言わなくても伝わってきます。「マイクって本当にヴィッキーのことが大好きなんだなぁ」と思うのです。そしてそれは私も同じ。それがなによりうれしい。

そんなマイクの言葉からはヴィッキーへの深い愛情が感じられて、話を聞いているだけでなにやら説明のつかない感動で泣けてきます。そしてそんなとき、涙ぐんでいるのは私だけではないのです。その場には明らかにヴィッキーがいて、ヴィッキーを強く感じてヴィッキーのとても深い愛を感じて・・・・・あああ、泣かないって決めたのにまた泣きそうだ(でもこういう涙はいいよね、笑)。

そうやってマイクから聞いたエピソードをコース中に生徒さんに話したりするのですが、それでも涙ぐんでしまう人がいるってすごいパワーですよね。だって私の話っていわゆる「又聞き」じゃないですか!?それなのに伝わるなんて。でもやっぱりそういうとき、そこにはヴィッキーを強く感じているんですよね。

そういえば昨日から「魔法使い」のウェイブスペルが始まりました。魔法使いはヴィッキーの紋章です。キーワードは「永遠・魅惑する・受容性」。
あああ、なんかヴィッキーだなぁ。
倍音の月4日・KIN14白い磁気の魔法使い[11月18日(火)] 信仰を持つ

今日は泣かなかったよー(笑)。
我慢というんじゃなくて、泣いてる自分がバカバカしくなっちゃってネ。私って単純なのかしら〜。

今日生徒さんたちと、「信仰を持つ」ことについて話していました。なにかを信仰することは、生きてゆくうえでとても大切なことなんじゃないか?って。
これは特定の宗教を信仰するとは限らないことです。

信仰を持つことで、「自分はなんでも自分でやってきた自負がある」・つまり我こそがルールである・・・の感覚が崩れていきます。それはある種アイデンティティの崩壊を意味するものであり、そう思うことで保ってきたものを失うような感覚です。だからすごく恐かったり、不安だったり、反発したりするかもしれません。

私の場合は反発が強いような気がする(苦笑)。
自分でやってきたという自信こそが自分を認められる手段だったのに、それを手放したら自分はなんの価値もなくなってしまう。今までの苦労や努力は何だったのか?!手放すのは嫌だ!」って。

自信とは「自分を信じる」ことです。でも多分信仰とは、自分を信じることとは違うんですよね。私にとっての信仰とは、私がどんなに反発しようが何をしようが所詮「それ」の手のひらの上で踊っているだけなんだということを認めることです(笑)。

でもそこにこそ、今自分が抱いている苦しみから解放される道があるんだということも分かってるんですけどね。

「無駄な抵抗は止めなさい」。
倍音の月3日・KIN13赤い宇宙の空歩く者[11月17日(月)] 止めます

(またしても)レッドクリフの監督ジョン・ウー(MI−2の監督です)は、少年時代とても貧しかったそうです。父を早くに亡くし教会の寄付でやっと学校に行けるような状態で、級友にもいじめられていた彼が逃げ込んだのが教会の援助でタダで見ることができた映画館で、映画を見ているときだけは全てを忘れて映画の物語の世界に入り込んでとても幸せだった・・・。大人になり成功した彼は「私は映画に恩返しをしたいのです」と言っているそうです。

それを読んでまたしても涙を流してしまいました。そして自分のことが恥ずかしくなりました。
「監督に比べて私は何をやってるんだ。自己憐憫にひたってるだけじゃないか。監督は父を早くに亡くしたけど、私の父は元気に生きてるじゃないか」と、今さら何を言ってるの的なことにハタと気づき、恥ずかしくなりました。

監督の映画に出た役者さんによると、監督はとても寛大で優しくて謙虚・そしてとても楽天的だそうです。それはまさに私がなりたい人物像です!
自分を傷つけた人を恨むよりも助けてくれた人やものに感謝することができる人・苦しいときでも喜びを見つけられる人・自分や自分の人生に責任を持てる人。

えぇい、もう泣くのは止めだいっ。
倍音の月2日・KIN12黄色い水晶の人[11月16日(日)] サナトクマラ

ゴールデンスレッドのボトルは、3日前からサナトクマラを使い始めました。そしたら毎日泣いてしまっています。

泣くボトルと言えばセラピスベイ(笑)もこの1ヶ月ほど使っていますが、それのせいじゃないのは確かです!今私が泣くのはサナトクマラのせいなのよ(あとレッドクリフのせい)。
サナトクマラで言うところの「手本となるモデルを奪われた」というのが、妙に胸に刺さります。子供の頃から時々私の中から湧き出てくる「父恋し」モードが全開です。

昨日は夢を見て、泣きながら目を覚ましました。

夢の中の私は少年で、何故かひとりで汽車に乗っていました。隣の席の見知らぬおじさんの肩にもたれてうたた寝してしまっています。ふと目を覚まし寝ぼけていた私はおじさんを父と勘違いし、「パパー、どこに行ってたの?待ってたんだよー」と抱きついた瞬間、人違いと気がつくのでした。
周りの人はみんな親切にしてくれるのに、その優しさが余計に父がいない寂しさをくっきりと際立たせてしまう・・・あ、思い出すだけでまた泣きそうだ。

おとといの夜サナトクマラのボトルで瞑想しているとき、途中からボトルを持っている手のひじの辺りから下がブラックホールのように真っ黒な穴が空いていて、感覚が完全に無くなっていました。ないから何も感じないのです。
夕べも瞑想してみたのですが、今度はボトルを持っている手の指のところだけが氷を持っているようにひんやりと冷たくなって、じんじんしてきました。でもそれは決して嫌な感覚ではありませんでした。
嫌な感覚ではないけど優しい感覚でもない、あえて言えばこんなかんじです。→もし自分がすごーく寒いところに生きていたら、生きることの意味なんてそもそも考えないだろうな。生きることが苦しいなんて考えはなくて、ただシンプルに生き残ることだけを考えて生きていけそうだ・・・そんな風に生きたい、みたいな感覚。そういう冷たさです。
なんかちょっと厭世的だな。

そしてサナトクマラは何故か朝しか使いたくありません。夜は体には塗らずに瞑想にだけ使っています。なんかね、夜使うとまた泣いちゃいそうなんだもん。

あーそれにしてもレッドクリフ!今日もそのことばかり考えていました。
この映画で気にくわないのは(苦笑)、コピーに「友情」とか「愛情」とかが出てくるところです。違うだろーと思うので。彼らは「情」や「愛」に生きたというよりも「理」と「義」に生きたんじゃないのかなぁ。蜀と呉の同盟だって、孔明と周愉の友情なんてお願いだから言わないで。彼らの主君に対する義・国を守るための義からのことですよね。己の命をかけても守りたいものがあるって、かっこいいなー。
倍音の月1日・KIN11青いスペクトルの猿[11月15日(土)] レッドクリフ!

見てきたぞー!レイトショーで「レッドクリフ」を。いまだ興奮冷めやらず。お客様もいっぱいでしたよ。
あ、今日の日記は三国志に興味のない人には、まったくつまらない内容になりそうです。

だって、それまで小説や漫画やゲームでしか接することのできなかった三国志の登場人物が、生きて動いてるんですよー。それまでは頭の中で想像するだけだった戦の陣形や戦闘が、目の前に繰り広げられているんですよー。それだけでも三国志好きにはたまりません。映像が手を抜いてなくて本格的なので、まるで自分もそこにいるかのような錯覚に陥って、臨場感たっぷりにめちゃくちゃ盛り上がりました!

なんかさー、例えば関羽がどんなに強いといっても、ひとりで何10人に囲まれたらさすがにやられちゃうだろうって思うじゃないですか。でもそうと頭では分かっていても、こうして映像で実際に関羽が次々に敵をやっつけるのを見ちゃうと、「こんなこと実際にはあるわけがない。でももしかして関羽だったらホントにやれたのかもしれない」と、そんな夢を見られるんですよ。
超雲が赤子を抱いたまま敵の中を逃げ切る三国志演義の有名なシーンも、「ありえるわけねぇ」なんて野暮な思いは露ほどもなく、「超雲すごーい、きゃー」と、すっかり入り込んでしまいました。これも好き故に・・・です(笑)。

とにかくスケールが大きい。映像を見るだけでも十分面白いです。エキストラ1000人だそうですが、中国の広大な土地の彼方まで兵士で埋め尽くされているんです(後ろのほうはCGだけど)。
特に私は水軍の映像に感動しました。赤壁に囲まれた河いっぱいを埋め尽くす船船船。もし敵がこんな大群で自分達の目の前にいたらすんごい怖いだろうな。

ああ、役者さんってこういうセットの中に実際に立てるところがうらやましいですね。私も願わくば曹操になって、あの80万大群の前に立ってみたい。。。

三国志は群雄割拠の男のロマンの世界だと思いますが、結局誰も夢を果たせずに死んでいくところが好きです。最強と言われた曹操もヒーロ−の劉備や孔明も、天下統一という夢を果たせず無念の思いを持ったまま死んでゆく・・・そういうところがロマンだなぁ、好きだなぁ。まあ、この映画ではそこまでは描かれていませんが。

あー面白かった。しばらくは夢に出てきそうですね。倍音の月の初日・「自分自身に最高の権限を与えるには?」に相応しい映画を見てきました。だってそんな男達ばかりが出てくる映画だもん、まさに。
上映時間3時間弱。全然退屈しませんでしたよ(これも好き故にかな)。ただ最後の30分トイレを我慢するのが大変でした(苦笑)。ホントに限界にきてしまって冷や汗かきながら「彼らも戦っているんだ!私も!」の気合で我慢し、終わった瞬間飛び出しましたー、間に合ってよかった。

あと金城武のファンになりました。
自己存在の月28日・KIN10白い惑星の犬[11月14日(金)] なんかイイかんじ

ま、またしても・・・!嘘をつけないことが起きてしまいました。コ、怖いゾ・・・。

やはり人が関わることなので詳しくは言えないのですが、あまり気が進まない・けどやらなくちゃなーと思っていたことがありまして、そしたら向こうからキャンセルになっちゃったのです。
複雑な気持ちでした。
せっかく用意していたのに徒労に終わってしまった点ではがっかりです。でもどことなくほっとしている部分もあったり。よくよく考えてみればお互いなにも失ってはいないことですし。

こういうことは、偶然と言えばそれまでですけどね。

自分の内面で本当に正直に思っていることが現実化するのだとすれば、今起きていることは自分とそれに関わる人と双方の了解の下で、一番望んだことが起きているのでしょう。だとすればなにも不満や不安はないはず。

実際、今って個人セッションのご予約が少ないのですよ(笑)。1日のメール数もいつもより少ない。この時期は毎年そうだといえばそれまでですが、それでもやっぱり不安です。「このままアマーリエはなくなってしまうのかしら」と、どうしても考えてしまいます(小心者だから)。
なのに何故だか「ああ、良かった」と安心する気持ちが強くてね〜。
予約が少ないことに安心してるんじゃなくて(笑)、世の中に吹く風が良い方向に吹き始めたことに安心してるのです。その流れの中で今アマーリエへの予約が少ないのであれば、それはそれでいいんじゃないのかなという心境です。

何を根拠に?こんなに不安定な世の中なのに?うーん、分かりません。でも何故だか「峠は越した!」と、思えてなりません。

仮に峠を越えたとして、それによって私自身がどうなるかはさっぱり分かりません。でも私も含めみぃんなになにかとても良い感じの流れが始まったと感じるのです。だから、私も安心。そんなんでいいんでない?、と思います。
自己存在の月27日・KIN9赤い太陽の月[11月13日(木)] 嘘はばれる

人が関わることなので詳細を言えないのがもどかしいのですが、あることに関してその場を上手く切り抜けようとして、こずるいことをしようとしたのです。でも見事に相手の方にそれはちょっと違うと思うと言われてしまいました。「まあこのくらいは許してくれるでしょ」的な甘えが通用しなかったということです(笑)。

もうごまかしはきかないんだなと、つくづく思いましたね。

さきほど「上手く切り抜けようとして」と書きましたが、何故そういう態度を取ろうとしたかというと、正直に言えば「保身」からくるものだったのです。もめるのが嫌・話が大きくなるのを避けたい・なんとかなるでしょ的な私の深層にあるものが、あっという間に表面化したのです。

誠実に・誠実に、正直に・正直に、丁寧に・丁寧に・・・それしかないのでしょうかね。
確かにそれが一番ですが、手を抜いちゃダメなのね。相手の人の為なのはもちろんですが、なんか全ての為に・全ての未来の為に、てきとーなことしちゃいかんのですナ。反省です。
自己存在の月25日・KIN7青い共振の手[11月11日(火)] 近況報告

久しぶりにブログの方に沖縄の写真をUPしました〜久高島の続きです


今日は11の日ですね。偶然にも、11番のボトルを大量5本も一気に注文し今日届いたのでした。11番は定番で世界的に見ても1,2を争うほどよく売れるボトルだそうですが、特に最近よく出る気がします。裁かない・・・かぁ。

なんか最近、いつもありがとうと心の中で囁いている気がします。昼間いろいろあると時にカチンとくることもありますが、1日の用事がすべて片付いて寝る前に部屋にいるときになると、浮かぶのはこの言葉ばかりなんです。

もしかしてアークエンジェロイエッセンスのラファエルを使っている作用かしらと思っています。

アークエンジェロイエッセンスは、私達の「共同体」の部分に働きかけると言いますが、そんな感じなんですよ。今私は、自分や周りのいろんなものを共同体としての視点から見ているような気分なんです。そうするとそこにいつも平和があるのがよく分かるのです。だからこんなご時勢にもかかわらず「ありがとう」と言えるのかな〜と。

最近珍しくクイントエッセンスは使っていません。これといって使いたいのが今はないんですよね。
セラピスベイのボトルはもうすぐ無くなりそうですが、今回は泣いたり乱れたりはまったくありませんでした。むしろその逆で、清清しくて落ち着き払っている自分がいます。これはサンジェルマンとの相乗効果が大きいと自分では理解しているのですが。

スレッドの旅もコクマーを飛び出してから5番を今朝で使い切り、明日からはケセドに移ろうと思います。段々と生命の木を降りていきますよ。次はサナトクマラ・もう持ち帰ってきていて、いつでも使い始める準備万端です(笑)。

あーなんかピンクのカラーエッセンスが使いたくなってきました。11番のボトルを使おうとは思いませんが、ピンクは必要っぽいです。いろいろと具体的に動き始めた今の私に必要な気がします。

こうしてオーラソーマの探求と旅は続くのです、あーなんて楽しいんだろう(笑)。
自己存在の月24日・KIN6白い律動の世界の橋渡し[11月10日(月)] マイボトルGET

マイ箸・マイバッグは常用している私ですが、マイボトルは持っていませんでした。地球のことを考えれば早く欲しいところだったのですが、なかなか気に入るくるものに巡り合えなかったんですよね。
機能が良くてもデザインがいまいちだったり、その逆だったり。ロフトあたりに行くたびに探してはがっくりして帰ってくる・・・を繰り返していました。

デザインも、村上隆風イラストとか嫌だしなぁ(す、すみません、世界の村上に向かって、汗)。かといって小学生の遠足っぽいのもなんか。シンプルで且つ地味じゃなくて且つ今ドキなのないかなぁ。
それに重いのはその時点でどんなにかっこよくても不可だし。
飲み口が飲みにくいのや不衛生っぽいのも避けたいところです。私はフタをカップとして使うタイプより、そのままラッパ飲みできるタイプの方が好きなのです。
更に洗いやすくないと嫌ですぅ。面倒くさがりだから、洗うたびにあれもはずしてこれもはずして・・・なんてのは、やはりパス。

そんな理想が高い私ですが、ついに出会えたんです!求めていたボトルにようやく巡り合えました。うれしー。

それは某ホームセンターにありました。
サーモスという日本の魔法瓶メーカーのものです(渋い・・・)。私好みの地味派手なデザインといい、軽いし、丸洗いOKだし、結露にならないし、保冷・保温もバッチリ(らしい)し、飲みやすいし、条件が全て揃っていたのです。
価格は、それまで見ていて大体相場が¥2000前後だと把握していたので、それが¥2500くらいでやや高めとは思いましたが、「ずっと使うものだから、少しくらい高くても買おう」と、即決でした。色はカシス色っぽいややダークなレッドです、わーい。

早速、毎日使っています。
マイボトルは環境にも良いのでしょうがそれ以上に、飲みたい飲み物をいつでも飲めるところが良いですね。ハ−ブティーのようにその場で作って飲むものや、手作りジュースなどは水筒がないと外で飲めないですもんね。私も買い置きしておいたエリキシールを、急にがぶがぶ飲み始めましたもん。作って尚且つ持ち歩けるから。

あーあ、デパ地下やカフェで、もっと飲み物のテイクアウトができるようになるといいのにな。スタバではもうやってるけど、マイボトル持参の人は¥10くらい安くして。その方がお店側としても効率が良さそうですよねー。

先ほどネットでこのボトルについて調べてみたら、なんと正規価格は¥4000以上もするものでした、!高い!びっくりです。どうりで性能がとても良いはずです(笑)。

ちなみにサーモスともうひとつとても良さそうで悩んだのは象印のボトルでした。どちらも魔法瓶専門メーカー、さすがです。
自己存在の月23日・KIN5赤い倍音の蛇[11月9日(日)] 再びCHANGEについて

間違えて恥ずかしいと書いたCHANGEについて考えていました。

物を動かすにはそこに力を働きかけなくてはそれは動きませんが、がっつり固まっているものほど動かすには強い力が必要です。もしくは重いものほど大変です。だから変化させるってものすごくパワーが必要なことだよなぁと思います。

もし羽のように軽いものだったら、放っておいても自然に風が吹けば動く(変化する)でしょう。そこにはそんなにパワーはいらない。
でも重いものを動かすには、「動かすぞ」という強い気持ちとヨイショヨイショと動かせるだけの体力が必要です。あ、だから変化はバイオレットのテーマなんですね(信念のブルー+パワーのレッド)。

羽のように放っておいても自然に変化するほど今の私達は軽くなっていないから、いまはまだ「ヨイショッ」と意識的に変化させなくてはいけないんだと思います。たしかに、世の中今のままではいけないと私は思います。


しかし一方では「ありのままの自分で良いんです。何も変える必要はありません」なんてことも言いますよね。あれ?変えなくていいの?CHANGEしなくちゃって騒いでるジャンってね。

多分こういうことではないかと思うのです。
「ありのままの自分を愛する・受け入れる」ということは、自分に対して無理な力を与えずに自分がどんどん自然な状態になっていくということ・「もっとこうならなければ」とか「こうするべきだ」が無くなってゆくということです。
そして自然というのはそもそも変化するものなのです。変化するのが自然な状態なのです。山も木も風も動物達も、何も力を加えなくても変化しますよね。四季があり夜と昼があり生と死があり・・・。
つまり、自分がありのまま(自然な状態)でいればいるほど、変えようとしなくても勝手に変化してゆくものなのです。無理に「変える」必要はないけど「変わってゆく」んです。

でも、本来羽のように軽くて自然に変化してゆく私達でも、無理に固まって動こうとしていないのであれば、それは不自然なのでそこに不調和が生まれてきてしまいます(環境問題とかが起きている)。そういうときはあえて意識的にCHANGEさせなくてはいけないのではないかしらん。そして今はそういう時代なのではないかしらん。

だからもうちょい頑張りましょう。人手は多ければ多いほどいいですよ。どんなに重いものを変化させるのでも、人数が多ければ多いほど一人当たりの負担は軽くて済みますから(笑)。だってホントに今光に満ちていると感じるんです、すべてが!
自己存在の月22日・KIN4黄色い自己存在の種[11月8日(土)] 過去の栄光

3日前の日記のタイトルのスペルが間違っているとご指摘がありました。CHANGEがCHENGEになっていたのです。今、直しました。

ご指摘メールを読んだ瞬間、顔から火が出る思いでした。日記を読んでこのことに気がついた人に「こいつバカでぇ」と思われている自分を想像し、「違うのよー。CHANGEのスペルくらい知ってるのよー。たまたま間違っちゃっただけなのよー」と、心の中で必死で言い訳していました。

昔、ビートたけしが言ってました。「人を笑わせるのはいいけど、笑われるのは大嫌いだ」と。私もまさにそれ!バカにされるのが耐えられないのですよね。そこには「自分は賢い」というプライドがあるからです(あー、言っちゃったよ)。

小学生の頃たしかに全国模試とか知能テストとかの成績がとても良くて(笑)、先生に「このまま行けば東大に入れるから頑張りなさい」と言われ続け、普通なら見せてもらえないテストの結果を、証拠として私と関君だけは放課後こっそり見せてもらったりしました。そういうのが子供心にもプライドをくすぐられたんですよね。
実際、関君は後に東大に行ったのですが、私は全然(笑)。

なのに多分今でも心のどこかで「ちゃんとやれば東大に行けたんだもんね」と思っている節があって、そういうのって私が一番嫌いな「たられば」人間なのですよ。
まあ、私が行きたかったのは芸大であって東大に行きたいと思ったことはないので、東大に行けなくても全然かまわないのですが、要するに東大に行けるくらいの頭が良い人間だと思われたいのでしょうね、あーやだやだ。

自分の中でどうしても人に知られたくない・好きになれないのはこういう所です(と言いながら日記に書いちゃってるんだけど)。
「私は賢い」と自分で思ってる分にはいいけど、他人にそれを認められたいと思ってる自分が・・・どうにかならないものか。賢かったのは過去の自分であって今はそうでもないのに、過去の栄光にしがみついてるみたいで・・・イタイなー。

20年前のイケイケだった自分を忘れられず、いまだにトサカ前髪のアラフォーと同じくらいイタイ。 ←これはワタシではない(笑)
自己存在の月21日・KIN3青い電気の夜[11月7日(金)] ほしーの

昨日の日記の最後「私もそんな人になりたーい」と書いた後、「私ってホント、欲しがりやさんだよな〜。そんなところやっぱりブルーの欲しがる傾向が強いのかな」と考え、以前経験したあることを思い出しました。

私、物欲はそんなにないと思うんです。私が欲しいのは大抵お金じゃ買えないものなんです。例えば。

私の子供の頃からの憧れは、バーバリーのトレンチコートでした。なので「いつかあのコートが欲しい。大人になったら絶対に買うぞ」と決めていました。
やがて社会人になり、とりあえずコートが買えるくらいのお給料をもらい始めたときにハタと気づきました。「いや、違う。今買っても自分に納得できない。もっとあのコートをかっこよく着こなせるような人間になったら、そのときは大手を振って買いに行くぞ!」と決め、その後10年以上買うに至りませんでした。

つい3,4年前のことですよ。「あ、今なら買える!今の自分だったら、大手を振って銀座の(銀座じゃなくてもいいんだけど、笑)バーバリーショップへ行けるぞ」と思えたのは。
「よし、じゃあ近いうちに買いに行こうっと。あああ、楽しみ」とコートを着ている自分の姿を想像までして・・・・・・・・・・いまだに買っていません(笑)。

そのことがあってつくづく分かったんですよね。私が本当に欲しかったのはバーバリーのトレンチコートじゃなかったんだって。あのコートに象徴される、(私の中で考える)大人の女性としての自分が欲しかったんだと。
で、そんな自分になれたと偽りなく思えたとき、それはすなわち本当に欲しいものが手に入ったということなので、象徴としてのコートは必要なくなったわけです。少なくとも買わなくてはいけない理由はなくなりました。

あんなに欲しいと思ってたのに、全然買いに行こうとしない自分に自分でびっくりしましたよ。

万事につけ私が欲しいものはこういうものなんです。ね、やっぱりお金じゃ買えないのよ。だから逆になかなか手に入れられなくて苦しいことも多いのですが、まあそれは良しとしています。こんな自分を誇らしく思うときと、めんどくさい奴だと思うときがありますけどね。

でもあのコートが大好きなのは事実だから、いつか買いますよー(と言って早3年なんだってば)。
自己存在の月20日・KIN2白い月の風[11月6日(木)] ダライラマ

今日は幸いにもダライラマの講演会に行く機会を得ることができました。行けるとは思ってなかったのでラッキーサプライズです〜。
私自身は彼の話を聞くのは2回目ですが、今回は病み上がりのせいか時々咳をしていて、やはり本調子じゃないのかなと思いました。しかし声にハリがあって力強いのと、持ち前の?ユーモアのセンスと親しみやすさは何も変わらないと感じました。

講演会の出だしでまず言っていたことが印象的でした。
「私はみなさんと同じ人間であり一介の僧侶です。私はヒーリングパワーなんて持っていないし、むしろそういった類のものには懐疑的です。先日胆石の手術をしましたが、もし私がヒーリングパワーを持っていたら病院には行かなかったでしょう(笑)」。

私は彼に対して、まったく彼が言うとおりの人だと捉えていてそういうところが大好きなのですが、崇拝したり盲信している人もたくさんいるんだろうなとは思います。

ダライラマは私からすれば「ああなりたい」と思える目標的な人なんですよね。もちろんそれは彼の外側にあるもの(ノーベル賞を取ったとか世界中から尊敬されるとか多くの人を救っているとか)ではなく、彼の「質」の部分のことを言っています。

まず好きなところは、宗教という一見非論理的とも思えるものに深く関わっていながら、ダライラマの思考は非常にロジカルで客観的です。感情的なものははさまずに事実を調べ吟味しそれを伝えています。なのでとても明解でシンプル、さばさばしてるんだよね(笑)。そういうところがとても好きです。何故なら私自身の質もそれに近いと思うので、親近感が持てるし理解できる(気がする)のです。

しかし、ただ客観的に事実を述べるだけなら、それは機械と一緒で人間味がない・楽しさや喜びがなく冷たいものになってしまいます。

私がもうひとつ・論理的な思考と同じくらいダライラマの好きなところは、非常に慈悲と慈愛の精神を持っているところです。ただ事実を伝えるだけじゃなく、そこに慈愛という質を持って伝えることができるところです。

ダライラマ14世は、非常に論理的で現実的な考えを持っていると同時に、非常にスピリチュアルで慈愛に満ちた人間でもある・・・と私は思います。
このふたつの側面が上手にバランスがとれているところ。これが私が目標とするところなのです。私もそんな人になりたーい。

ちなみにダライラマのバースボトルは31番・・・なんか分かるー。
自己存在の月19日・KIN1赤い磁気の竜[11月5日(水)] CHANGE!

・・・と、オバマ大統領は連呼していました。「Yes,we can!」もいいんだけど、そっちだとどうしてもノッチの顔が浮かんできちゃう(笑)。

今まさに私個人の内面でもCHANGE!真っ盛りなのですが、これは地球全体に起きていることなんだろうと思います。

かつてケネディ大統領の有名なスピーチでこういうのがありました。
「大統領がみなさんに何をしてくれるかではなく、みなさんがアメリカのために何ができるかを考えて欲しい」。

私は今回の勝利宣言のスピーチを聞いていて、オバマ大統領の言葉の端々にこれと同じメッセージを感じました。「Yes,I can」じゃなくて「Yes,we can」だし、民主主義とは本来そういうものではないかと、政治に全く知識のない私は思います(笑)。民に主権があるということは同時に責任もあるということだから、「国を良くするために自分が何をするか?」を国民ひとりひとりがもっと考え実行することをオバマさんは求めていると思うし、そうでなければオバマさんひとりがどんなに頑張ったってみんなが望むCHANGEも実現しないってね。

今は地球全体に光がものすごいから、今度こそ少しずつでもCHANGEしてゆくのでしょう、素晴らしいことですね。宇宙船地球号に乗っている私達にはまだしばらく揺れが続きますので〜シートベルトをしっかり締めてね〜。

そういえば!ここから先はまったくもって個人的な感想になりますが。

最近世界的に活躍している3人の黒人達・オバマ大統領&ゴルフのタイガー・ウッズ&F1のルイス・ハミルトンが、みんな同じ目をしていると感じるのです。目の形のことじゃなくて、目の輝きというか目から発するオーラみたいなものが同じ。
で、それがどうしても仏陀と同じような気がしてならないのですよね。
仏陀に会ったこともないのにこんなことを言うのも妙ですが(だからなんの根拠もない)、もし仏陀というのが御幣があるならば、ガンダーラ仏みたいな目をしていると感じます。

深く清んでいて奥の方まである感じとか、そこに悲しみを携えている感じとか、慈悲や慈愛を感じるのですよね〜あの目は。彼らの目を見ているだけで癒されます、それが仏陀っぽい!?
仏陀は黒人ではないでしょうがそういうこととも直接的には関係してなくて、ただ西洋人ではないということにはとても意味があると思っています。

ハミルトン、優勝おめでとう!!←大ファンなので

あ、オバマさんもおめでとう。←特にファンじゃないので(応援はしてます)
自己存在の月18日・KIN260黄色い宇宙の太陽[11月4日(火)] 東京と九高島の違い

沖縄(久高島)の画像を、またブログにUPしましたのでよろしかったらご覧くださいませ 

ある生徒さんに「久高島は呼ばれた人が行ける島らしいですよ」と言われました。そんなこと言われちゃうと妙な優越感をくすぐられちゃうじゃない、いけないワ(笑)。
まあ、確かに来るべくして来たんだなーとは感じました。しかしその感覚は、私よりもむしろ一緒に行った私の母の方に強く感じましたけどね。「母が此処に来る必要があったんだな」と。

しかし私もいまだに沖縄モードで生きてる感があります。あの土地の影響はとても大きいようです。

沖縄(特に久高島)と東京のエネルギーはなにかがはっきりと違うのですが、なんだろうとずっと考えていました。
「久高島には愛がある」というのはたしかにそうなんだけど、それだとしっくりこなかったんです。何故なら愛は、私は東京にいてもたくさん感じるからです。
でも今日、はっきり分かりました。

「久高島には恐れのエネルギーがない」。これです!

私は、東京には愛もたくさん溢れているけど、それと同じくらい恐れのエネルギーも蔓延していると感じます。しかし久高島には、愛はたくさん溢れているけど、恐れはなかった!ここが大きく違ったんです。
なんとなくコーラルの感じがします。「相互依存」をとても上手に生きているのかな。

恐れから自由になる・・・これはオーラソーマの理念でもあります。

昨日今日と私はラファエルのアークエンジェロイエッセンスをものすごい勢いで使っています。何故かはまだ分かりませんが、ものすごく必要みたいです。
で、久高島とアメリカを繋いでいるの。ネットワークが今すごいことになってるみたいで、私も混ぜてーと入りました(笑)。それをラファエルが手伝ってくれてる感じです(よく分からん内容ですみません)。
自己存在の月17日・KIN259青い水晶の嵐[11月3日(祝)] 扉が開いたらしい

昨日は自分のツォルキンバースデーだったのに、日記も書かずに眠りこけてしまいました。久高島に行って以来の浄化と変容が大きくて、眠気が止まりません。

やはりどう転んでも自分、変容してます!なぁんか妙だもん。
市川団十郎は輸血で血液型が変わってしまったそうですが、私もそんな感じかも。体内の血が総入れ替えしたみたいな妙な気分です。新しい服(自分)にまだ馴染んでいないのです。セラピスベイとサンジェルマンのダブル効果はすごいですねー。

なにが違うって、全然イライラしないのです。
私はどうも人からはあまりイライラしない人のように思われることが多いようですが、全然違います。いつも小さくイライラしています。
車の運転にはそれが顕著に現れまして、赤信号にイライラ・追い越されてイライラ・前の車のノロノロ運転にイライラ・・・なのです。
別に車の運転だけじゃなくても、日常のいろんなことに反応してしまうのです。

なのにこの10日程、つまりちょうど沖縄から戻ってきて以来、まったくと言っていいほどイライラしなくなりました。

例えば今日のコース中ボトルをみんなで使っているときに、ひとりの生徒さんがオイルをカーペットにこぼしちゃったんですね。そんなとき、いつもだったら少しイライラしてたと思います。「別にいいよ〜」と言いつつも、面倒くさいなーとは思っていたと思います。
なのに今日はまったくそういう感情が沸き起こってこなかったんです。ただ淡々と「別にいいよ〜」と言ってました。だってホントに別によかったんです。

こういう小さな変化を、1日の中で無数に感じさせられるのですね。これは小さいけどとても大きな変化です。そうなるとどうしても「私、なんか変わった!?」と思わざるを得ません。

今日は昼間レベル1コースがあり、夜ひとりで片づけをしているときにふっと気づきがありました。その声は「扉が開いた」とはっきり言いました。
今のコースに参加している生徒さん達も、内面でいろいろな変化があるみたいです。内側にあったものが揺さぶられて、浮上してきているのかなと感じます。

扉が開き、正直な自分が浮き上がってくる。正直でいる方が生きやすい世界にどんどんシフトしているんだんと実感しました。そしてその変化は今までになく、とても優しさを伴って訪れているように感じます。カマエルっぽい感じ。私も今そうなのかな?

正直な自分が浮き上がることにより、余計イライラしたり気分が沈む人もいます。それはそれでとても良いことだと思いますから、そんな自分を否定しなくても大丈夫です。私もそんな時期がありましたが、今の私の場合は正直な自分が浮き上がった結果としてイライラがなくなるところまできたのかと思うと、うれしいです。
でもまだ慣れてなくてくすぐったいのだけど。


明日で260日サイクルのツォルキンも終わりです。新しいアメリカの大統領が決まるのと同時に新しいツォルキンが始まるなんて素敵ですね。今はアメリカに向けて光を送っています。
自己存在の月15日・KIN257赤い惑星の地球[11月1日(土)] JOYが今のテーマ

先日の日記で紹介したアークエンジェロイエッセンスに「大天使カマエル」が誕生したというニュースの続報ですが、マイク・ブースからのコメントを紹介いたします。こちらのページで読めますよ。
なぁんか、良いこと書いてあるよな〜。「思いやり」か・・・。

最近、自分が発するエネルギーがなんか変わったような気がしているのです。気のせいかなぁ?でもなんかね〜。
やはり誕生日のあたりからでしょうか?それともセラピスベイのせい?うーん、分かんない。

なんというか「ほにゃ〜」って感じがするの。私の全身から湯気のように、ほにゃほにゃほにゃ〜とエネルギーが出てるのです。もしくはもにょもにょもにょ〜って感じ。擬音化が難しい・・・(笑)。
決してきつい感じじゃなく、強い感じでもなく、ゆるやかに・でもしっかりと出てます。

これは先日の日記に書いた「愛ってどこにでもあるんだよ」と手のひらを開いた夢が正夢になっているような感じで、私の周りがそれで包まれている感覚が消えないのです。
そして小さな気づきが1日の中にたくさんあるのです。とても穏やか且つ明晰なのです。

一皮剥けたのかな。うーん、それはなんか違うナ。本を1ページめくって新たな章に突入した感じかな。


どうも私の文章には、「・・・な感じ」とか「なんていうか・・・」が多い気がするのですが。

今日は思い切り気の抜けた文章になっているようですみません。明日は沖縄の続きを書けそうです。