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水晶の月2日・KIN103青い水晶の夜[5月31日(土)] 地球規模の変化の波

なんだかよく分からないまま水晶の月に突入しました(笑)。

「よく分からない」というのは、何が分からないかも分からない・でもどこかではよーく分かっているとも感じる、という奇妙な感覚です・・・(苦笑)。
毎日普通に過ごしているけどなんだか現実感覚がなくて、フワフワしているような実体がないような感じです。時々思わず自分の両手をじっと見つめてぎゅっと握ってみたりしてしまいます。「私、ここにいるよね」を確かめたくなるのです。
この実体のなさは、メキシコのマヤで感じたのとすごく似ているな〜。「私、行ったっけ?」と、問いかけたくなるようなあの感覚。行きましたよ、もちろん覚えてますとも。なのにまるで夢の中で行ったような感覚なのです、今でも。


昨日セッションに来てくれた方からの情報によると、4・5・6月は地球規模でエネルギーが大きく変化している時期だそうです。体調を崩したり精神的に不安定になる人もいるかもしれません。こういう時期はグランディングをしっかりしましょう、とのことでした。
その方も私もこの2ヶ月ほどずっと体調もイマイチだしそんな感覚でいたので、やっぱりーなんて盛り上がってしまいました。


私としては、3月の春分の日あたりからこの変化が始まり、6月の夏至あたりで落ち着きそうに感じています。←根拠はないっす。なんとなくそう思うだけ。

4月下旬くらいから偏頭痛を始めとして体調もいまひとつで、それはサロンの引越しやそれに伴う激務?による疲れが出たものだと思っています。でもどうしてもそれだけじゃないとも感じています。
それに、GWが明けて忙しさがひと段落したらやろうと考えていたあるアイディアも、どうも気が進まなくて実行に移さずにいます。これまたなにか大きな力の影響としか思えないのよね。今はタイミングを待っているようなかんじです。
そういった今自分に現実的に起きている心身の変化と、その地球規模の大きな変化は、関連していると思っています。

お父さんの収入が家族全員の暮らしに影響を与えるように。
会社の業績が社員ひとりひとりのお給料に影響を与えるように。
GNPが国民ひとりひとりの生活に影響を与えるように(税金とか、涙)。
地球の状態が地球に生きるすべての人(存在)に影響を与えています。

規模が大きくなればなるほどその関連性を身近なものとして実感しにくいかもしれませんが、実は規模が大きくなればなるほどその影響力は大きいと思いますよ。

でもその流れも、なんとな〜くもうすぐ終わるような気もしているのですよね。そしてなにかがすっきりして、何かが動き出す予感。なにが動き出すんだろ・・・楽しみです。
水晶の月1日・KIN102白いスペクトルの風[5月30日(金)] オルガちゃん

カマエルのボトルを使い終わり、まだカマエルに換わるもの(もしくは2本目のカマエル?)が必要だと強く感じて昨日ボトルを選んだとき、びかーーーっと飛び込んできたのはカマエルではなく67番でした。「またあなたですか〜」ってかんじ(笑)。もう何本目だろう!?この4,5年で10本以上は確実に使っていますね。「毎度お世話様です」とありがたく持って帰り、早速夕べから67番のマゼンタを使い始めました。

やはりカマエルのマゼンタとは似て非なるものがあります。左肩のあたりに塗るのが異常に気持ちよくてそこばかり重ね塗りしてしまいました。すでに4分の1くらいなくなっています、肩だけで。


昨日、私はこの日記に「外側に流されないで内側の流れに従うことが大切だ」と書きました。
でも考えてみたら、外側の流れにのることで結果的に良い方へ導かれたなんてこともよくありますね「みんながプラ登録するのになんとなく合わせただけだったけど、それで良かった」とか。 まあ、「みんなに合わせただけ」といっても、それすらもが無意識なる内なる声だということもできるかもしれませんがね。

どうも私自身がいつでも何かの状況に直面したときに、周りよりも「自分はどうしたいか?」をまず問うてしまう方なので、その発想しか浮かばないのよね〜。
基本的には別にそれでかまわないし、そんな性格を変えなきゃとも特別思っていないのですが、時に「周りの流れに乗るだけで自主性のないのは嫌」みたいなかんじで、自分に制限をかけてしまっているなと感じます。

67番は「神聖な愛〜小さなものへの愛〜」というりっぱな名前がありますが、私は勝手にオルガと呼んでいます(そんな勝手なことして良いのか?・・・良いんです!自分の中だけの世界だもん)。
「オルガ」は、小学生の頃新聞広告で見かけて、どうしても欲しくて親にねだって買ってもらったビスクドールにつけた名前です(オルガはロシア語の名前だから、今思えばその頃から私はロシアが好きだったんだな)。
私はとても内気だったので、友達と遊ぶより家で人形遊びをしている方が好きで、いつもオルガと遊んでいました。でもそれはものすごく楽しかったなぁ。なんとなくそのときの感覚を思い出すのですよね。

なんかね、「周りの流れに乗るだけで自主性のないのは嫌」なんて言ってる自分が馬鹿馬鹿しくなるくらい、オルガと遊んでいるときの自分は「全ての愛」だったんだと思います。んー、なんていうか・・・あの頃の私の方が今の私よりずっとある意味大人で、今の私を微笑ましく見ていてくれてる感じなのです。

空想(妄想)の中でオルガを抱っこしている子供の私がいて、こっちを見ています。子供の私は、子供のくせに(苦笑)聖母マリアさまのような慈悲深い悲しい目をして、アルカイックスマイルで微笑んでいます(そういえばオルガの青い目も妙に悲しげでしたねー。でもそこが気に入っていたのですが)。
今の私にはその目が悔しいのです。「そんな憐れみの目で見るなよ!」と、今にも叫び出しそうです。心のどこかでは、自分の方が折れるしかないんだと分かっているのだけど、でもまだ抵抗しているの。だから苦しいの。「悔しい、悔しい」と泣いているのですが、子供の私はおかまいなしに相変わらず微笑み続けているという・・・。

そんなわけで、夕べはボトルにちょびっと泣かされました。というか、67番にはもう何度泣かされたことか(涙)。

あああホント、67番は大好きです。今生を通じてのギフトかななんて最近は思っています。
スペクトルの月28日・KIN101赤い惑星の竜[5月29日(木)] 内側から来る動機

あああ、今日でスペクトルの月も終わりです。なんだか今月はイマイチ意識が散漫なまま終わってしまったかんじです。あ、でもスペクトルってそういうことかしらん(解放・溶かす・解き放つ)。

今日サロンで75番の「流れとともに行く」のボトルが割れました。
これは、自分の外側ではなく内側の流れとともに行くという意味だと、私は受け取っています。今日で終わったレベル3の生徒さんたちも、ぜひそうあって欲しいなぁ。


レベル3ともなると生徒さんたちも、すでにプラクティショナーとして活動している人・これからしたいと考えている人・活動する気はない人など、様々です。
でも同じオーラソーマというものを学びつつそれを様々な形で自分なりに活用している人を鏡として、「じゃあ自分にとってのオーラソーマとは?」を、もう一度見つめなおす良い機会だと思います。

どちらかというと私の考えは、プラクティショナーとかティーチャーになるためのオーラソーマというよりも、「オーラソーマって面白いな」とか「もっと知りたいな」という単純な動機がまずあって、その延長にプラクティショナーやティーチャーとしての活動があるのが自然な流れだと思っています。
だから生徒さんにも、「周りがみんなプラ登録しているから私も」的に流されないで、周りを鏡として自分の内側と向き合って、そちらに従ってもらえたらなと思います。

私自身、生徒さんやクライアントさんを鏡としていつも自分と向き合っているんですよね。

「私は何のためにオーラソーマをやってるの?」と、自分の内側に問いかけてみます。答えははっきり感じます。「好きだから」「楽しいから」「面白いから」です。それだけじゃないけど、少なくともそれが最初に来ます。
でもそれってオーラソーマをやっていく上で(オーラソーマだけじゃないけど)、とても大切なことだと思っています。何故ならそういう子供がおもちゃで遊ぶような単純な気持ちが一番ポジティブで、自分がそうである方が結局自分にもクライアントさんにも良いからです。
だからそういう自分を確認できるとほっとしますよ〜、「ああ、私は道を踏み外してないな」って(笑)。

今日の生徒さんが「本当はオーラソーマのような癒しのツールが必要ないような世の中になることが良い」と言っていました。私もまさに同感です!
オーラソーマのような癒しのツールを必要としないくらい世の中が平和になったら最高です。私もそれを目指しているつもりなんですよ〜。
でもこれはオーラソーマを否定しているわけではありません。私はきっとそうなってもオーラソーマに関わり続けているでしょうね。職業としてやれなくなる日が来ても、ボトルを使ったりしながらオーラソーマに親しみ続けているでしょう。

これは依存とは別物ですし、私としてはとても地に足の着いたことを言っているつもりなのですがね。どう受け取られるのかな。「オーラソーマ依存症」みたいに思われるのかしら(笑)。

内側を流れる大いなる意志の流れに逆らうことはできません。小さなエゴは抵抗することもあるけど、いつかは流れに乗らざるを得ないのです。そして内側の流れは、「純粋な動機」の中にあります。「無条件に好き」という感情がその純粋な動機を現すと思います。

ああ、なんかスペクトルなかんじ〜。
スペクトルの月27日・KIN100黄色い太陽の太陽[5月28日(水)] ボトル3本使い

うーん、またしても頭痛が出てきましたね〜。この1ヶ月なんとなく続いています。
どういうときに頭痛が出やすいのか、20年もこの頭痛と付き合ってきてようやく分かるようになってきたかもしれません。というか、最近ますますメンタル面の状態が体の症状にてきめんに現れるようになっているので、それで分かってきたのかな。

そんな現在の私はボトル3本使いです。チャクラやレスキューボトル以外で同時に3本使うのはちょっと珍しいのですが、今回はどれもが同じくらい使いたいのですよね。

ラツィエルとオレンジはもう2ヶ月くらい使い続けているボトルですが、最近はそこにカマエルが加わりました。どのボトルもそれぞれ果たしてくれる役割は違うと感じていますが、どれも欠かせない・この組み合わせだから良い!みたいな感じかな。

Perfumeに例えれば、ラツィエルがかしゆかで、オレンジがのっち、カマエルがあーちゃんというところかな〜。うーん、やっぱりラツィエルがあーちゃんでカマエルがかしゆかかな〜。それともオレンジがあーちゃんでラツィエルがのっち?

ま、どうでもいい話でしょうが、イマイチ気分が優れないときは、そんなどーでもいいことを考えながら眠りにつくのがいいんです。
スペクトルの月26日・KIN99青い銀河の嵐[5月27日(火)] 不安とともに生きるって悪くない

昨日の「どうやってサロンを始めたか?」についてもう一度考えてみたけど、自分でもまだよく分かりませんでした。
それに「どうやって始めたか?」よりも「どうやって維持し続けているのか?」の方が重要なんだろうなとも思いました。始めるだけならもっと簡単なのでしょうが、始めらることに悩む大きな原因は、「始めても維持し続けられるか分からない」だろうから。

もちろんサロンを始める段階では、維持し続けられる保障はどこにもないわけです。それでもどうやって始める決心をつけられたのか?が、最大の分かれ目なんだと思います。
一応自分はこのサロンを4年維持し続けることができました。でも来年やれてる保障はないし、どこまでやれるかは神のみぞ知る・・・の心境です。
まな板の上の鯉みたいな(笑)。だからあとは、やるだけやるしかないのですよね。「人事を尽くして天命を待つ」です。でもこういう心境って清々しくて、なんか好きだ。

でも冷静に考えれば考えるほど、今の私はラッキーだと思います。どう考えても実力や努力以上のものが与えられているとしか思えません(謙遜ではなく)。
昔はそんな風には思いませんでした。明らかにこの5,6年くらいのことです。今振り返れば、オーラソーマを学んでからかもしれません。

もちろんいろんな人たちに支えられて今の私がいます。でもそれとは別に何か大きな存在の支えを感じずにはいられないのです。それを感じていると「ああ、なんかよくわかんないけどこれでいいのね。この道で合ってるのね」と安心できるのです。
実際問題不安はなくなりませんが、それでももっと奥のほうでは安心しているのです。安心だけじゃなくてワクワクしているのです。
未来は誰にも分からない。分からないから不安になることもできるけど、逆にワクワクするほうが大きいのです。それはなにか大きな存在の支えを感じているからです。

こういうとき、スムースに物事が進むのかななんて最近は感じています。これは(依存的という意味で)宝くじに当たるのを待つ感覚とは全然違います。

これは昨日も書きましたが、単なる精神論じゃなくてとても現実的な話をしているつもり。

まあ私の性格が積極的なほうだからこう考えるのかもしれません。宝くじに当たればそれに越したことはないよなぁ。楽してお金が手に入るんだもんね。
でもどうせ当たらないんだって←この思い込みが当たらない原因かもね
スペクトルの月25日・KIN98白い共振の鏡[5月26日(月)] 夢と現実

今レベル3コース中。
ここまでくると、生徒さんの中にはすでにサロンを開業している方もいます。ある日のお昼休み中にみんなで食事しながら、すでに開業している人・これからしたいと考えている人で、あれこれ話していました。
(私も含め)すでに開業している人が声を揃えて「最初は全然お客様が来なかったよー」と言うのを聞いて、これから始めたいと考えている人が「なんだーやっぱりそうなんだ。それでもいいんだ。なんか安心した」と言っていました。

最近立て続けに、どうやってサロンを始めたのですかという質問を受けるので、今一度自分のことを振り返ってみました。どうやったらできるのかな?難しいな〜よく分からないな・・・。

でもまずは「本気出すこと」かな。本気出すというのは、「気合だー」みたいな曖昧な精神論ではなく現実的なことを言っています(別にあの親子を否定していません。むしろ好きです、笑)。シビアに現実に直面するということです。

「いつかやれたらいいな〜」とうっとり夢見ているときは楽しいですよね。
ありえないようなことまで想像して、夢のように楽しく優雅になにかしている自分がいます。お客様は素敵な人ばかりで感謝したりされたりするばかりです。
恋に恋する少女みたいなね〜。

しかし本気出して考え始めると不安が生じてきます。そりゃそうだよね。本気出すことで「いつかやれたらいいな〜」の段階では見えてこないこと・できることやできないこと、やりたいことややれないこと、必要な金額や足りない金額等が明確になりますから。さらに「お客様が来なかったら」「トラブルが起きたら」「続かなくてすぐに止めざるを得なくなったら」などなども
でも考えようによっては、不安が生じてきたということはより現実化に近づいている証拠でもあります。

そして、ここから先に分かれ目があると思います。
やりたいと本気で出して考え始めたとき、不安が生じるのはほぼ全員共通だと思うのですが、そこで前に進む人と進まない人に分かれます

でもさー。はっきり言ってそういう不安を解消する方法はないと思うのよ。だって保障ってどこにもないですよね。明日お客様がくる保障なんて、どこにもないんですよ。きっとほとんどの人はそのくらいのことは分かっているんでしょうが。

だからもっと本気出しましょう。もっと本気出せば、最初はお客様が来ないであろうことくらいすぐ分かりますよね(苦笑)。そこで目をそらさずさらに本気出せば、じゃあどうしたらお客様を呼べるのか必死で考えるし、それを実行するでしょう。だってそれ以外に何ができる?
自分を信じるとか信じないの問題どころじゃじゃありません。優雅になんて言ってる場合じゃありません。やるしかなくなります(笑)

もちろん中には夢のような偶然が続いて現実になる人もいます。でもそれは夢のような話です。
本気でやりたいなら、宝くじに当たるのを夢見るよりも、今できることをやり始めるほうを私なら選びます。やったからといって叶うかどうかは分からないけど、決してやってこない保障を求め続けて時間を過ごすよりは建設的だと思うのです。

どうなのかな。まだ良く分かりませんけど。


私って宝くじに興味ないのよ。「どうせ当たらないのに買ってどうする」みたいな。あーあ、夢のない人間ですかね。いや〜むしろ夢見がちな方だと思うんだけど。
スペクトルの月23日・KIN96黄色い倍音の戦士[5月24日(土)] 繋がってるー

ラツィエルは「過去からの条件付けのパターンを手放す」ボトルと言われます。この2ヶ月、休み休みではあるものの(苦笑)ラツィエルのボトルを使い続けている私も、まさにその真っ最中だと感じています。
加えて私は26番のオレンジのボトルも使っています。これがいいのよね。ラツィエルと合わせて使うことで、なんというかヒーリングのパワーを増幅させてくれているような気がします。「癒し」と「気づき」がもたらされるような感じかな。
でも最近、生徒さんやクライアントさんでも26番を選ぶ人・そして使う人があまりにも多くて、一体なんだろうと思っていたのです。

そして今日、ちょっと調べたいことがあってラツィエルに関する資料を読んでいるとき、ふとある想いが心をよぎりました。

今私が体験している「過去の条件付けのパターンの手放し」。過去の苦い体験を起こした誰かを許し、それを起こすことを許してしまった自分を許す。
これは今私だけではなく、多くの人が同じような体験をしているかも知れません。だからオレンジを選ぶ人がこんなにも多いのかもしれません。
だけど選ぶ理由は人それぞれで、それはとても個人的なことで個人の中で起きていることなのです。

しかし、もしかしてこれはみんなで起こしていることかもしれない・みんなで一緒に励ましあい協力し合いながらこの過程を乗り越えようとしているんだと感じたのです。

抱える傷やその原因はそれぞれ違えども、その傷を癒すのはみんなで協力し合っている。
なんかね〜、自分が今感じている自分の過去の感情は、もしかして誰かの感情でもあるのかな・・・とかね。

「内側で繋がっている」のはコーラル的な感覚かもしれませんが、今ってそうやってみんながひとつになってこの過渡期を乗り越えようとしているみたいです。

それは私の感情なんだけど誰かのものでもあって、地球の感情でもある。だから今自分を癒すことは誰かを癒すことでもあり、地球を癒すことでもある。
そうやって内側で繋がっているのならば、例えば誰か1人が癒されれば同時に
10人(もっと?)が癒されるでしょう、もしくは癒されやすくなるでしょう。


今日は1日そういう感覚が消えませんでした。

自分にとっての「過去の条件付けのパターン」が誰かによって癒されてゆき、逆に自分のものではない誰かのそれを感じている。でもそれは決して悪いことではなくく、むしろ強力に協力し合うことでより容易になってゆくのです。昔なら1年かかって癒せていたことが、今なら1週間で癒せる時代に突入したのですよ。いい時代だにゃぁ。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」じゃなくてー(苦)、「トラウマも、みんなで癒せば怖くない」です。
スペクトルの月22日・KIN95青い自己存在の鷲[5月23日(金)] 森を見て木も見る

18日の日記にも書いた、サロンの玄関に置いている鉢植えのスミレの花の開花情報です(誰も聞いちゃいないでしょうが)。

今朝は11個・そして夜には12個咲いていましたー、わーい。

なんで急に私ったら、こんなにお花を愛する人になってるんだ?あ、そうか、カマエル効果に違いない。

やっぱり私にとってマゼンタは、心に潤いを与えてくれる大事な色です。
「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、日頃森を見て木を見ない性質の私にマゼンタは木を見る喜びと幸福感を与えてくれるのです。シアワセってこんな身近なところにもあるから、いつでもシアワセでいることができるんだよね〜と知らせてくれます。

私はどうにも「平凡」というものを嫌う傾向がありまして(あ、なんかヤな性格)、お花がひとつ咲いたかどうかなんて、興味ないしつまらないと思ってしまうところもあります。ありました(過去形)。

お料理とかも苦手です〜。「創作」するという意味での料理は嫌いじゃない(むしろ好き)のに、毎日の生活のための料理と捉えた途端にやる気が失せるのは何故(苦笑)?こういうとこ、ホントに自分は男だなーと思います。

そういうときにマゼンタは、心に潤いを与えてくれる色なのです。
やっぱり私にとってマゼンタは今生を通じてのギフトなのかもなぁ。「いつも心にマゼンタを」です。


卒業生の方たちがどんどん成長していくのを見るのは、本当にうれしいし楽しいです。今日も卒業生の方の話を聞いていて、その方が本当に以前に比べて表情も豊かで穏やかでその人らしくなっていて、感動してしまいました。
お花の成長には対して興味なかった私ですが、人にはとても興味もあるし感動してしまいます。

森を見る方が好きだけど、木を見るのももっと好きになれたらいいな。
スペクトルの月21日・KIN94白い電気の魔法使い[5月22日(木)] 1行の魔法

とある仕事上の用事があって、オーラソーマティーチャーの大先輩にあたる方とメールのやりとりをしました。

普段から交流のある方ではないし、知人とすら呼べない程度の関係です。だから私もその方に対して、好きとか嫌いとかの特別な感情は持っていません。メールもとても事務的な内容でした。ただその方が今とても忙しいのは分かっていたから、なるべく分かりやすく一度のやりとりで済むように配慮してメールを打ったつもりではありました。

そしてその方からの返信メールの最後に、「今の気持ちを忘れずにこれからも頑張ってください」的な私に対してのねぎらい・激励が、短く1行だけ添えてありました。

それを読んだ瞬間、ここ最近の自分の忙しさから来るすべての疲れが吹っ飛びました(大袈裟ではなく)!
「よぉーし!やるぞーーー!」と心で叫び、体中にエネルギーが再び満ちてきました。そのときの私はきっと目に炎が燃えさかっていたと思います(笑)。

先輩に激励してもらった・・・たったそれだけで、私はこんなにも元気になれるんだなぁ。その1行のおかげでその日は1日じゅう気分が良かったです。シアワセでした。たった1行、されど1行です。

きっとその方はその1行のことなんてすでに忘れているでしょう。でも私はいつまでも覚えているでしょう。この先ティーチャーとしての自信を失いかけたときには、その1行を思い出してまた頑張れるでしょう。

忙しい中でもそういうちょっとした配慮ができるって素敵ですね。私も心からそういう人でありたいです。だってこんな小さな出来事で1日シアワセな気分でいられるんですよ〜。


今日も世界では、こんな小さなシアワセの種があちこちで蒔かれているのでしょう。小さ過ぎてテレビのニュースではやらないけど、世界平和もこういうところから広がってゆくのです。

私も種を蒔きたーい。最近は、蒔いて欲しいというより蒔いてあげたい私です。
スペクトルの月20日・KIN93赤い月の空歩く者[5月21日(水)] あとちょっと

またしても昨日の日記の続きになってしまいますが、電車内でメイクする人を見かけて不快な気持ちになったときに、愛ある行動のひとつには「注意する」もあるなと思いました。なのにそれができない自分はやっぱり小心者です。そう考えたらなんかちょっと落ち込みました。


今朝の夢には細木数子が出てきました。初登場です、意外です。別に好きでも嫌いでもない人なので。

夢の中で私を含めた10名ほどの人が、細木さんのセミナー?みたいなのに参加していました。それでどういう経緯だったか覚えてないけど、私は細木さんから気孔を受けたのです。
ドラゴンボールのカメハメハみたいなポーズで細木さんが私に向かって「えいっ」と気を送ります。その瞬間、私のお腹のチャクラのあたりに直径20cmくらいの気の玉のようなものが入り込んで、それが体の中をもにょもにょと上昇し、やがて左耳の上辺りからぽこっと抜けたのでした。
左耳の上辺りはちょうど今偏頭痛で痛むあたりです。なんとなく今日は頭がすっきりしていて1日じゅう頭痛が起きませんでした。これはまさか細木さんの気孔のおかげ(笑)?

何故細木数子だったのかも気になりますが、あの気の玉のもにょもにょの感覚が今でも残っていて、あれで確かになにかが抜けた感じがしています。

昨日が満月だったから?久しぶりにレコードキーパーの石で瞑想したから?

この数日カマエルのボトルを使っていて、それまでややしんどかったオレンジとラツィエルがまた復活しました。今3本目のラツィエルに突入しています。
なんかねー、あとちょっとな感じなのねー。出そうで出ない・でもあとちょっとで出るーーーって感じなのです。←汚い意味ではない

今の自分は動きがやや停滞している感じ。でも決して悪い感じなのではなく、緩急をつけている・その「緩」の時期にいるみたいな感じです。グレゴリオ暦的な正月明けからノンストップで走ってきたのだから、それは自然なことと受け止めているし全然焦ってはいません。

サザンだって解散じゃなくて活動休止でしょ。
走り続けているのは大変ですよね。それで追い詰められて解散してしまうより、休む期間を設けた方がバンドはより長持ちするし、長持ちした方がメンバーにとってもメリットがあるだろうしな。ファンにも配慮している感じだし、賢い決断だなと思いました。
でも今って、解散しても平気で再結成しちゃう時代ですよねー。
スペクトルの月19日・KIN92黄色い磁気の人[5月20日(火)] 理解できない人はそれなりに

昨日の日記で、電車内でメイクする人の気持ちが分からないと書きました。

理解できない人を自分の世界から抹殺して生きるのは不可能です(でも今って理解できない人を抹殺したがる人が増えているような気がする)。自分が理解できようができまいが、その人はそこに存在する権利があるもんね。

それでも、理解できなくても、その人を受け入れることはできます。もしくは愛することもできます。そしたらそれでOKではないかしらん。

車内でメイクする女性も、違う場所ではお年寄りに席を譲っているかもしれないし、痴漢を撃退しているかもしれません(笑)。四川大地震の被害者のために義援金を送っているかもしれないんです。別の見方をすれば、義援金を送っている人が犯罪者だったりすることもあり得ますよね。

私も先日、昔からの知人が犯罪者になってしまってびっくりしましたが、だからといってその人を好きな気持ちにはなんの変わりもありませんもの。
だんなさんが何故、何度言っても靴下を丸めたまま洗濯機に入れるのか、どうしても理解できません。なにも難しいことじゃないし犬だって躾ければできるんじゃないかと思うと「おまえはアホか!?」と言いたいけど、だからといってだんなさんを嫌いになったりはしないしね。

その人の言動や行為の一つ一つに認められないものがあったとしても、その人そのものを認めてあげる・その人がそこで生きていることを認めてあげればいいんだと思います。それだったらできる?自分の内側奥深くにある「愛」の部分に触れると、すぐにできますよ。

やっぱり私は電車内メイクは認められません。そういう人を見かけると思わずその人自身も否定してしまいそうになるのですが、はっと気づいて気を取り直し、自分の内側の「愛」の部分に触れて、その人自身を否定はしないように努めます。そんな人の中にも必ずある「愛」の部分に触れるようにするのです。

まあエラそうに言ってますが、私もまだまだ簡単にはできないので練習中なんですけどね(笑)。
スペクトルの月18日・KIN91青い宇宙の猿[5月19日(月)] 理解できない

今日地下鉄の構内で「電車内でのお化粧はやめましょう」みたいなポスターが貼ってあってびっくりしました。こういうことがポスターになっていること自体がショックで。

確かに私も車内でメイクする女性をよく見かけます。そして不快な気持ちになります。
彼女たちはどういう気持ちで車内でメイクしてるのかなぁ。

(推測)「だって大声出すわけでもなく場所をとっているわけでもない。誰にも迷惑かけてないじゃない。何が悪いの?」
(推測)「大また開いて座ったり満員電車で新聞広げてる親父の方が、よほど迷惑だ」
(推測)「嫌がられてるんだろうけど誰も怒りに来ないし、駄目って言われないんだからやっててもいいでしょ」
(推測)「電車内で知り合いに会うわけじゃないし、この人たちにどう思われようとアタシには関係ない」

・・・あ・・・・・なんだか・・・彼女たちの気持ちを推測していたら・・・気持ちが荒んできたので・・・この辺で止めときます・・・・・。
もっとポジティブな方向で推測しないといけないのかな。

(推測)「だらしなくしているより綺麗でいる方が周りの人たちもハッピーだから、きちんとメイクしよう」
・・・あ・・・・・なんだか・・・自分の気持ちとギャップがあり過ぎて余計に虚しくなってしまった・・・やっぱり止めときます・・・・・。

けどねぇ、考えてみたら自分も同じようなことしてるのかもしれません。

例えば私は学生時代から今でも、電車内でしょっちゅう漫画を読んでいます。20年以上前(学生時代)には「電車の中で漫画を読むなんてはしたない!」と、よく大人たちに怒られました。でも私からすればなにが悪いのか全然理解できませんでした。
「だって大声出すわけでもなく場所をとっているわけでもない。誰にも迷惑かけてないじゃない。何が悪いの?」って本気で思ってました。ということはメイクをする彼女たちも、あのときの私と同じ心境なのでしょうか。
てことは、あの頃私に電車内で漫画を読むなと怒っていた大人たちの心境が、今の私と同じなのでしょうか。

そう思うとメイクをする彼女たちの気持ちも理解でき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ないぞーーー!!

やっぱり私には、電車内でメイクをする人の気持ちが理解できないし、電車内で漫画を読んじゃいけないという人の気持ちも理解できません、正直なところ。

でも私に限らず人間ってホントはこんないきものなんじゃないのかなぁ。自分の視点からでしか見えないのです。でもそこが愛しいとこだとも思うんですけどね。


電車内で漫画を読んじゃいけないという輩たちには「漫画ってのはなー、日本が世界に誇れる素晴らしいカルチャーなんだぞ!」と、声を大にして言いたい(笑)。

スペクトルの月17日・KIN90白い水晶の犬[5月18日(日)] いきものがかり

先日、サロンの玄関に置いていた観葉植物を1本枯らしてしまいました。

今のサロンは前に公園があって、毎日イチョウの葉っぱが成長して行くのを楽しみにしているなんて、数日前の日記に書いたばかりの私ですが、実はそんなに自然を愛しているわけでもなくて、手間ひまかけて何かを育てるほどの愛情は結局はないのか・・・なんて思うと落ち込みます。

しかしやっぱりなにを思ったか、お花の苗を買ってしまいました。育てるのが一番簡単そうな(苦笑)、そして可愛らしい感じのすみれの花の苗です。
土も買ってきて、枯らしてしまった花の鉢がちょうど空いていたから、そこに2時間くらいかけて苗を植えました。こういう作業は久しぶりで妙に楽しかったー。

それ以来!私なんだか違うんです。毎日せっせと水をやり肥料を与えたりしています。

何が違うって、ただ水をあげるだけじゃなくて愛情こめてるんです、自分でいうのもなんですが。
夜自宅にいても、お花のことを思い出したりしてます。そして毎朝サロンに着いて咲いている花の数が増えていくのが楽しくて仕方ありません。

おとといくらいまでは3つくらいしか花が咲いてなかったけど、昨日の朝は5つくらい・そして昨日帰る頃には7つくらい咲いていました。
鉢の淵の土に「夏すみれ」と書いてあるカードをさしているのだけど、やはりおとといくらいまではカードの文字がはっきり見えていたけど、昨日の夕方には葉っぱが広がってカードが見えなくなりつつあることを発見しました。

すごいすごい、育ってる!小学生みたいだけど、なんか感動。

・・・いつまでこの感動が続くか分かりませんが(飽きっぽいから・・・)、とりあえず生き物を育ててます〜。
スペクトルの月16日・KIN89赤いスペクトルの月[5月17日(土)] なんかー

ゴールデンウィークまでの忙しさがひと段落したら、構想中の新たなアイディアを実行に移そうと考えていたのですが、ここへ来てなんだか気持ちが前に進みません。偏頭痛も治りきっていないし、なんとなく情緒不安定だし、体調は相変わらずいまひとつです。それも含めて今の私はやや停滞気味な感じです。

決して悪いことではないような気もするのです。何故なら、早く実行したいのにそれを止めるなにかは、決して「恐れ」からではないということは確信しているからです。実行するのが怖いからそれを止めてるんじゃなくて、なにかよく分からないけどもっと良いタイミングが来るからそれまで待てと言われている感じなのです。

ここ数年は、何かを決めるときはいつもこんなかんじ。「なんか今じゃないのよね〜」とか「なんかこれかな〜と思って」みたいな、根拠も理由もない決め方をしています。私の人生に計画性がどんどんなくなっていきます(笑)。

いや、計画性はあるのよ。でもそれは私自身が決めているんじゃなくて、なにものかが決めているのに従っているような感覚なのです。でも確かにそのなにものかに判断を委ねる方がずっと物事が上手く運ぶんですもの。「個」の自分からすればちょっとしゃくにさわるのですが(苦笑)、たしかにあちら(=なにものか)の方が上手(うわて)なのよね、悔しいけど。

そんなわけで今は少し魂的には安静にしている時期みたいです。この半年ほど急激に進んでしまったので、肉体がそれに追いつくのを待っているのかな。

ラツィエルも相変わらず使っていますし、オレンジも使ってます。これに加えてカマエルを使い始めたらすごく落ち着きました。
それプラス、ゴールドのカラーエッセンスがすんごくいいの!これは使おうと思ったわけじゃなくて、たまたま余ったから使い始めただけなんだけど、今の私にはばっちり!でした。
あとはザドキエルのアークエンジェロイエッセンスも使っていたけど、最近はミカエルに戻りました。なんかそっちの方が良いみたいです。
レコードキーパーのクリスタルでも瞑想はできていません。枕元に置いているだけで気分がザワザワします、なんなんだ(笑)。

んー、抜けるまでもうちょいというところかな。なんとなく、ね。←今日の日記は「なんか」「なんとなく」ばっかりダ
スペクトルの月15日・KIN88黄色い惑星の星[5月16日(金)] ポジティブって

この日記上でもつい書いてしまうくせに、実はあんまり好きじゃない言葉のひとつに「ポジティブ」「ネガティブ」があります。
んー、なんか差別的な感じがして好きじゃないのかも。特に「ポジティブ」の方ね。
何故って、世間的には
ポジティブ=良い・正しい
ネガティブ=悪い・間違っている
のイメージが強いと思うので、そういうとき私のヒネた性格だと、ついネガティブさんを擁護したくなってしまうし、ポジティブでいなさいなんて言われると「無理ー」と反抗してしまう私です。
「ポジティブな人」で私が(きっと多くの人も)イメージする「いつも明るくて前向きな人」なんて「いるわけねー」とすら思っています(苦笑)。

・・・と、さんざんポジティブさんの悪口を書いておきながら、やっぱりポジティブでいることはとても大事だと思います。それが全てだとすら思います。

「ポジティブ」を辞書で引くと「積極的な」と書いてあります。ちなみにネガティブは「消極的な・否定的な」でした。

もし私が辞書を作るとしたら、「ポジティブ」の欄には「否定しないこと」と書きたいです。明るい性格かどうかなんて関係なくて、元気じゃなくても暗くても「否定しないこと」がポジティブさんの条件?なんだと思います。そうだとすればやはりポジティブでいることはとても大切です。


コンサルテーションでも「ボトルはポジティブに見ましょう」と言いますよね。何故ならクライアントさんが選んだボトルをポジティブに見ることは、クライアントさん自身をポジティブに見てあげることだからです。まあ、この理屈はオーラソーマを学んだ人なら分かると思うのよ。

例えばクライアントさんのボトルを「綺麗ですね」と褒めることは、それを選んだクライアントさんを綺麗だと肯定していることだから、これはポジティブです。でもね、案外ここに誤解があると思うのですよ。

1.綺麗だと本心から思うから「綺麗ですね」と言う
2.本心では思っていないけど、ボトルは肯定的に見るものだから「綺麗ですね」と言う
3.綺麗じゃないと本心で思うから「綺麗じゃないですね」と言う

この3つの中でポジティブなのはどれでしょう?正解は1番でーす。2番と3番は違います。

いつも書くことだけれど、何をするかよりどのようにするかが大事です。「綺麗ですね」と褒めてればいいわけじゃなくて、どのような気持ちでそれを言っているか?クライアントさんは無意識のうちに「何を」より「どのような」の部分をより強く受け取りますから、心から綺麗だと思ってそう言えばクライアントさんを元気づけてあげられるでしょう。でもそう思っていないのに褒めるのは、時にかえってクライアントさんを傷つけてしまうかもしれません。
お世辞って、傷つきませんかね?少なくとも私は、心にもないことで(一見)褒められると、余計虚しいというか悲しくなってしまうのですが。

2番の場合は、一見クライアントさんを肯定しているようでいて本心では否定しているので、その波動がそのままクライアントさんに伝わるということです。

じゃあ3番は?
これはクライアントさんのネガティブな側面に同調しているということだと思われるので、やっぱりポジティブではないですね。プラクティショナーの役割は、ネガティブな側面にはまってしまっているクライアントさんが、ポジティブな側面に同調することをサポートすることだと捉えれば、これもやっぱり違います。

「上辺だけならいくらでも綺麗だって褒められるけど、そんなにいつも本心から褒めるなんて難しいよー」と思うでしょうか。

そうなのよ、だからプラクティショナー自身の意識の成長って、まずとても大事なのよ。
いつでもその人の綺麗な側面を心から見てあげられる人になれるように。いつでも自分の綺麗な側面に気づいてあげられるように。

それが「ポジティブな人」だと私は思います。
スペクトルの月13日・KIN86白い銀河の世界の橋渡し[5月14日(水)] 私のボトル史

友の回復を祈って・・・。


オーラソーマのコンサルテーションを初めて受けたのは、もう10年以上前のことです。初めてボトルを使ったのもそのときでした。
その後、学ぶことになるとはその時は考えてもみなかったし、ましてやそれを職業にするとは!人生とは不思議なものです。

オーラソーマのヒーリングの全てはまずボトルを4本選ぶことから始まりますが、私も今までに何度ボトルを選んだか分かりません。
私はレベル1を受けてすぐにボトルセットを購入したので、それ以来いつもボトルたちと一緒です。眺めているだけでも良いし、探究心の強い私はとにかくボトルでよく遊びました。勉強のためとかじゃなくて、ただ楽しかったから。ボトルはトモダチだったのです(今でもね)。

それから数年の間で私自身も私を取り巻く環境も随分変わりました。それは予定外だったけど、でも多分予定通りなのでしょう。

1本目のボトルは、昔も今も番号は違えど色味はそんなに変わりません。カラーローズ的にはオリーブグリーンからロイヤルブルーにかけての色合いが来ます。特に上層はよりブルーが強く、下層はそれよりややイエローが強い感じかな。ターコイズ/グリーンのイメージが一番しっくりきます。

やっぱりね、人格の光線であるターコイズに関しては、子供の頃からまさにそんな感じでしたもん。ターコイズな側面は私の一番自信のある部分であると同時に、悩みどころでもありました。「如何にクリエイティブでいられるか?」が今も昔もこれからも、私にとっては今生の最大のテーマなんでしょうね。
でもその辺はオーラソーマをやる前から意識していた自分でもありました。

オーラソーマをやって一番理解できた自分は、むしろ下層の魂の光線であるグリーンの質です(やはり下層だけあって意識的に理解していない自分なんだよな)。
自分はいつでもクリエイティブでいようと昔からしていたけど、それがスムースにできるときとできないときがあったのです。この違いはなんだろう?どうしたらいつでもクリエイティブでいられるのかが、考えててもなかなか分からなかったのです。でもオーラソーマで自分のボトルを選びながらとても分かりやすく教えてもらいました。

グリーンの「スペース」。これだったんです。私がターコイズであるためには、スペースが絶対的に必要なんです。

このことをボトルから教えてもらったときに、自分のスペースを大切にすることに対しての罪悪感や遠慮はなくなりました。そして実際にスペースを作れるようになると、いつでもターコイズでいられるようになって、そうすることでいろんな物事がスムースに運ぶようになってきたのです。

・・・さらにボトルを選び続けていると、2本目に選ぶ色も定着してきました。それはマゼンタ。
マゼンタの「天恵」を知ること・それを受け取ること。それは今生を通じての自分にとっての最大のギフトかもしれません。私がどんなにターコイズでいられて幸福に浸っていても満たされないなにかは、マゼンタによって満たされるのかなと最近は思っています。


などなど、今の時点での気づきなのですが、でも選ぶボトルって変わるから、1年後に全然違うこと言ってるかもしれませんので、参考程度に読んでおいてくださいまし(笑)。
スペクトルの月12日・KIN85赤い共振の蛇[5月13日(火)] 帰る場所

元々自分の気分が天気に左右されやすいという自覚はありました。曇り空というだけで鬱がひどくて困っていた時期もありましたっけ。が、雨の日の朝は特に夢見が良くないのは何故かしらといつも思います。
起きたときに夢の具体的な内容はほとんど覚えていないのですが、感情だけがくっきりと残っているのです。一体私はどんな夢を見ていてこんなに気分が沈んでいるのだろうかと不思議な程です。今朝も半泣き状態で目が覚めました。憂鬱でメランコリックな、全てが遠い彼方へ行ってしまってひとり取り残されたような、とても絶望的な気分です。

そんな今朝、今日の予約が急にキャンセルになって昼間の予定がぽっかり空いてしまいました。さて、どうしよう。

1.家で休む
2.サロンで事務仕事
3.「大岩オスカール」展に行く
4.「ラフマニノフある愛の調べ」を観に行く
5.漫喫にいりびたる

これくらいしか思い浮かばないのが寂しいなぁ。で、2と4を選択することにしました。

私はアマーリエのサロンを自分なりにとても気に入っています。しかし、仕事がないときにサロンにいることはまずあり得ません。
このサロンがクライアントさんや生徒さんにとって、家にいるときとはまた違ったリラックスできる空間であって欲しいし、それなりにはできているとも思っていますが、自分にとってはやはり「仕事場」なのです。私もサロンにいるときもリラックスできますが、家で寛いでいるのとは全然違います。
私は仕事モードとプライベートモードで全然人格が変わってしまう方だと思います。でもどちらも本当の自分だから、どちらもないと人生が面白くない性分だし、それがごちゃごちゃになってしまうのが一番耐えられません。なのでオンオフをきっちり分けるためには、実際のスペースも分けないとだめなのよね〜不器用なもので。
サロンにいるときのリラックス感はあくまでも仕事モード中のリラックスなので、家でリラックスしているようにはならないのよね。で、どっちも必要。

「ラフマニノフある愛の調べ」(←副題が嫌だわ)は映画としては普通でした。
でも超個人的にラフマニノフ大好き・世紀末ファッション大好き・ロシア大好きな私には、ストーリーとは違う面で存分に堪能できたので満足じゃ。
ラフマニノフ役の俳優さんがとても上手でした。神経質そうな感じやいつも仏頂面なところとか(笑)似てるし。

ロシア人貴族として生まれながら革命を逃れてアメリカに亡命し、望郷の念にかられながらも二度とロシアに戻ることなく逝ったセルゲイ(ラフマニノフ)。なんかこのメランコリックな感じが今朝の夢と重なって、見ながらハラハラと泣いてしまった私です。

ここのところ天災で家を失ってしまった人たちのニュースを見ます。「帰る場所がない」とか「帰れない」ほど辛いことはないよ・・・。
スペクトルの月11日・KIN84黄色い律動の種[5月12日(月)] 選択権

昨日の日記って北斗の拳っぽいかも。「我が生涯に一片の悔いなし」!そうか、私はラオウを目指せばいいんだ〜。


ヴィッキー・ウォールの言葉に「私たちが持つ唯一の権利はネガティブにならないことです」というのがあります。私の大好きな言葉です。好きというより、とても癒される言葉です。

けっこうショッキングな言葉ですよね。裏を返せば、自分の人生においてネガティブにならないこと以外になんの権利もないということですから。
でもそうですね。人生一寸先は闇で何が起きるか分からないし、起きる出来事を前もってコントロールすることはできない。それはカミサマの成せる技というところでしょうか。
どんなに抵抗しても無駄なのです。受け入れるしかないのです。あーだからやっぱりピンクって大事よね〜。

でもカミサマは私たちに、起きる出来事を選ぶ権利はくださらなかったけど、起きた出来事をどう受け止めるかを選ぶ権利は与えてくださったのです。
そして私たちがネガティブとポジティブどちらで受け取るかの選択次第で、人生は180度違うものになります。何が起きたかじゃなくて、起きた出来事をどう受け取るかによるのです。それが全てです。あーだからやっぱりイエローって大事よね〜。

そうやって人生に起きるいろんな出来事を通して、大いなるものに小さな自分を明け渡す(手放しと言ってもいいでしょう)ことを経験しながら、私たちが何者なのかを学んでいくのですね。本質じゃない自分を経験することで初めて本質を知ることができるのね。あーだからやっぱりブルーって大事よね〜。


そしてカミサマは、私たちがネガティブでいようがポジティブでいようがおかまいなしに、溢れんばかりの愛を絶え間なく注いでくれているのです。
だから安心しましょうね。
スペクトルの月10日・KIN83青い倍音の夜[5月11日(日)] 74番について考える

選んでるわけじゃないけど最近74番(ペールイエロー/ペールグリーン)のボトルが気になります。

このボトルの名前は「トライアンフ(勝利)」と言います。 トライアンフを辞書で引くと・・・【古ローマ】凱(がい)旋(式); 勝利 ((over)); 偉業; 大成功(の喜び), 得意の様子[表情]・・・だそうです。

ボトルを眺めながら「私にとっての勝利ってなんだろう?」と考えました。
答えはすぐに浮かびました。私にとっての勝利は「人生最後の日に良い人生だったと心から思えること」です。

そこで今度は「じゃあ良い人生ってどんな人生かな〜」と想像してみました。
これもすぐに答えが浮かびました。それは「やりきった感がある人生」でした(笑)。
「やりきった」というのは、どれだけ目標を達成したかよりも、そのためにどれだけのことをしたかが重要なんです。グリーンのハートの真実をイエローの自己においてどれだけ生きられるかなのです。74番は7番の「ゲッセマネの園」のインテンスバージョンです。7番のテーマは「プロセスを信頼するテスト」。ね、ぴったり。

なんかこうして書いていると、本当に私はいつも自分のことばかり考えている自己中心的な人間だと思います。

しかしそればかりでもないとも最近は思うのよ。

74番の補色は65番です。ここには奉仕を生きている自分がいます。つまるところ他者への奉仕と自己への意識は表裏一体。ここをイチイチ分けて考えなくても良いのですよね。それは同じことなんです。同じことと思えることが私にとっての「良い人生」なんです。
好きなことやってたらいつのまにか人への奉仕に繋がってた・・・なぁんてのが理想ですね。でも今わりとそんな感じになれてると思うのです。

さらに74番を眺めていると、そこには楽しそうにみんなと笑っている自分の姿があります。
多分私にとっての「奉仕」は「分かち合い」の感覚なんです。だって一方的に与えるのも一方的に受け取るのもあんまり好きじゃなくて、分け合う・ワリカンが好きなんですもの(笑)。公平で平等意識の強いてんびん座だしサ。まあ、借りを作るのが嫌いなプライド人間のてんびん座ともいえますが。
グリーンな私からすれば、借りを作るのも貸しを作るのもスペースを保てないからしんどいんです。

でも本当は借りも貸しもないと思える境地に達することができるのが理想です。何故なら貸し借りの感覚があるということは、そこにまだ分離があるということです。
それすらもなく、窓もドアも開けっ放しのオープンな家(=私)に風が自由に出入りするような感覚で、みんなと分かち合いながら生きていけたら最高ですね。

でもそうなれるかどうかよりも、そうなるためにどれだけのことをやったかが「やりきった感」のために重要ですから、やりきるために今日もせっせと自己探求にはげむ私なのです。

・・・こうして74番の理解がまた少し深まりました。なんかね、1本のボトルからこうしていろいろ広げることができる・・・オーラソーマのそういうところが好きなんですよね。
スペクトルの月9日・KIN82白い自己存在の風[5月10日(土)] コンサルの気づき

今日のコース中にコンサルテーションをしたとき、人数合わせのために私も生徒さんたちに混ざりました。そこで久しぶりに自分のボトルをコンサルしてもらう機会になりました。

いやー、やっぱり誰かにコンサルテーションをしてもらうのは良い勉強になります。単純にコンサルの内容やボトルの見方というだけじゃなく、コンサルをしてもらいつつもオブザーバーでもいることで、プラクティショナーとしての自分のあり方についてもたくさんの気づきを与えてくれます。

今日はそのこと以外にも、生徒さん達からのメールを通して、特にコンサルについてたくさんの気づきを与えてもらいました。
あらためて肝に銘じたのは、いつでも「その瞬間に感じたこと・起きていることを一番大切にする」ということです。

コンサルをしていると、そのとき自分が選んでいたり使っているボトルが立て続けに選ばれることがよくあります。もちろんクライアントさんは全然違う人ですから、それはシンクロニシティかもしれません。人が人を引き寄せるというのは実際あると思いますから、自分と同じテーマを持った人が鏡のようにお互いを見せ合うために来る・・・ということもあるでしょう。
しかしそういうシンクロが起きたとき、それがあたかも自分へのメッセージのようになってきて、自分がそのボトルから感じているのと同じことを言うだけになってしまうのは良くないなと思ったのです。

「自分も今そのボトルを選ぶし使いながらこう感じている。そんな自分と同じボトルを選んだのだから、これはシンクロだ。ということは、この人(=クライアント)も自分と同じテーマを持っているんだ」と思い込んでしまうとき、自分はありのままのクライアントさんを見ていないということになります。その瞬間起きていることではなく、過去のデータを見ていることになります。それは違うよねー。なんかそういうのは傲慢だな。

自分もいつのまにかそういう見方をしちゃってたなーと、今日反省しました。
スペクトルの月8日・KIN81赤い電気の竜[5月9日(金)] 子供パワー

アマーリエサロンは公園沿いのマンションの2Fにあり、この季節、ベランダの先には新緑が広がっています。引っ越したばかりの2月頃は裸の木ばかりで公園の向こう側のマンションがそのまま見えましたが、今は公園の木々の鬱蒼とした緑のおかげで全然見えなくなりました。

ちょうどこの公園を斜めに突っ切るのが私の通勤路なので、毎朝木立の中のとある1本のイチョウの木の葉の生え具合を観察するのが、最近の小さな楽しみになっています(笑)。
でもすごいんですよねー。ついGW前くらいまではようやく1枚葉っぱが生えてきたーなんて喜んでいたのに、今やふっさふさですよ(髪の毛じゃないけど)!
自然の生命力を感じるって、それだけで自分の中から力が溢れてくる感じがします。グランディングするようなかんじ。
朝の公園で私はまず木にもたれて木と交流し、次に太陽に向けて指で三角形を作ってその間から光を自分に流しチャージしてから、サロンに向かうのが習慣になりつつあります。毎朝レッドポマンダーを使ってから1日をスタートさせるのが定番ですが、それと同じような効果を公園の数分間で得られるのです。
なるほど、レッドとグリーンが補色なわけですね。

さらに私は、その公園が気持ちよいのは自然のおかげだけじゃないと思っています。


そこは子供が好きそうな懐かしの遊具が充実しています。ブランコ・鉄棒・登り棒・砂場・シーソー・ジャングルジム・・・。中心には「ホームレス中学生」に出てきた「巻きフン」のような、子供が登ったり滑り降りて遊ぶ白い大きな山?もあります(そのせいでだんなさんはこの公園を「デベソ公園」と名づけました)。
だから平日の午後や休日は1日じゅう子供がすごいです(笑)。少子化は何処へというくらいたくさんの子供たちがきゃーきゃーわーわー。
雨の日は静かなんだけど止むとまた何処からともなく子供がわらわらと集まり、あっという間にきゃーきゃーわーわー始まります。

でも子供の声って全然うるさいと感じないですね。むしろ子供の遊ぶ声で「なんか平和〜」な気持ちになり、サロンでは良いヒーリングミュージック代わりだと私は思っています。
子供たちっているだけでポジティブなんだなーと、日頃あまり子供に接する機会のない私は最近しみじみ感じています。ベランダから子供が遊んでいるのを見ているだけで元気になります。


そんなわけでこの公園の気持ち良さのひとつは、ここで遊ぶ子供たちの健康で生命力溢れるエネルギーがたくさんあるからだと思うのですよねー。
5月5日(ちょうどこどもの日じゃん)の日記にも書いたけど、そこに本人がいなくてもエネルギーが残ってることってあると思うのです。夜遅くサロンからの帰り道に誰もいない公園を通っても、「なんか平和〜」な気持ちにさせてくれるのです。

子供たち、ありがとね。
スペクトルの月7日・KIN80黄色い月の太陽[5月8日(木)] 今日の日記はちょっと・・・

昔、オーラソーマを学んでいるというある人から「オーラソーマをやって一番良かったことって何ですか?」と聞かれ、「自分の意識の成長をすごく助けてくれるところかな〜」と言ったら、きょとんとされてしまったことがあります。
彼女は自分の意識の成長とかそんなこと考えたこともなかったそうです。レベル2か3まで学んでいてボトルセットを購入するほどオーラソーマが好きなのに、それは綺麗だなと眺めているだけで、自分でボトルを選んだり使ったりしたことはなかったそうです。「飾っておくだけじゃダメなんですか?何日おきに選べばよいのですか?」と逆に聞かれてしまい困ったことがあります。

いや、確かに飾って眺めるだけで充分な面もあると思いますよ。ボトルは単にオーラソーマの勉強に使うツールじゃありません。私もそんなに毎日4本選んでるわけじゃないし、ただぼんやり眺めているのは大好きです。
4本選ばずにただ眺めているだけ・・・でも私にとってはそれも自分の内側と向き合う時間なのですが、彼女の話を聞いていて何か違うと感じてしまったのです。
彼女はそのときいろいろな状況が上手くいかなくて悩んでいました。せっかくオーラソーマを学んでいるのだから、そしてボトルが家にあるのにどうしてそれを使わないんだろうと、とてももどかしく感じてしまったのです。
私にしたらそういうのは、お料理が目の前にあるのに食べずに眺めているだけみたいな感覚なんですよね。

・・・ここまで書いて今気がついたけど、今日の日記はなんかネガティブになってるみたいです。思い切りジャッジ(否定)が入ってしまっている・・よね。
どうしよう、消しちゃって書き直そうか・・・人を批判しているこういう自分を知られてしまうのは怖いな・・・葛藤。

でもいいや、このままにします。人はネガティブになるとこうなるんだという、ある意味見本にしてください(ヤケクソ!)。あ、でも不快感を与えてしまうかな・・・申し訳ない・・・それに嫌われてしまうかも・・・・・・なんか今日の日記は本当にグダグダになってしまいそうです。

こういうときは別なものに逃げよう。一昨日引いたエンジェルカードにも「もっと踊りましょう」と出たし、今夜もパフュームを踊って寝ましょう。
明日はもっと楽しい内容の日記を書けるような自分に戻します!
スペクトルの月6日・KIN79青い磁気の嵐[5月7日(水)] 受容する

がーーーーーん!!!芋洗坂係長が自分より年下なんだってーーーーー!!!
ショックぅぅぅぅぅ。あまりにもびっくりして、はずれたアゴが戻らないよ・・・(涙)。

エドはるみにやけに肩入れしてしまう自分。Perfumeを踊ってもだんなさんに「昭和臭が拭えない」と言われてしまう自分。そろそろいい加減現実を受け止めねばいけないのですね、自分(苦)。


先日ある人が「私、受容的な人になりたいんです」と言っていました。寛大で人の言うことを受けとめてあげられる人になりたいそうです。で、仕事で頼まれることをNOと言わず全部引き受けているうちに、自分がいっぱいいっぱいになってしまったそうです。自分は都合よく利用されているだけだと感じていてもう断りたいのにNOと言えず、自分はまだまだ受容的でないと言っていました。「どうしたらいつでもYESと言えるような人になれるのでしょうか?」とも。

はい、ここでひとつ大きな誤解があると思うのですよー(笑)。

でもそれを語る前にひとつ確認です。まず大前提として、すべては自分の内側で起きていることが外側の世界に反映されるということです。現実で起きていることは内側の自分の現れです。その上で次に進みましょう。

まず「受容的」であるというのは、誰に向けてのものなのか?この人は「他人に向けての受容性のことを言っているようです。しかしもしも先に述べたように、現実で起きていることが内側の反映ならば、この人が自分を受容していれば他人を受容することも容易にできるはずです。ではこの人は自分を受容しているでしょうか?

どうも違うみたいですね。何故ならこの人は、「本当は断りたい」という自分を受容していないからです。それが正直な自分ならばそんな自分を受容するのが「受容」ですが、この人はそんな自分を「こんな受容的じゃない自分じゃだめだ」と否定しているのです。そこに苦しさが現れます。
この人がまず受容すべきは自分です。何故なら自分を受容することが他人を受容することに繋がるからです。他人に対して受容的な人になりたいならば、まず自分に対して受容的な人でいてくださいね。

「でも嫌だからと言ってNOばかり言っていられません」。そうですよねー、現実的には言えない状況も多々ありますよね。

でも大事なのは自分の内側なんですって。行動に表すかどうかよりも、内側で受容しているか否定しているかが全てなのです。NOと言えなくても、そんな自分を受容できれば苦しくないでしょ。NOを言えてもそんな自分を受容していなければ、「大丈夫かな」「こんな自分じゃまだダメだ」と、やっぱり苦しいでしょうし。

そんなことで、私も芋洗坂係長より年上な自分を受容することにします(涙)。できるかなー。あ、でも係長、好きですヨ。
スペクトルの月4日・KIN77赤い水晶の地球[5月5日(月)] 涙の向こうにあるものは

昨日のコースでは、サロンの中にたくさんの涙が溢れました。

私はコース中に、生徒さんが選んだボトルを使ったワークをしてもらいます。そしてボトルを通して生徒さんひとりひとりの中にいろんな感情が溢れてきます。
感情は素直な自分の側面だから感情を表すのは良いことだと思うのですが、なかなか普段は素直に感情のままに振舞うのは難しいことも多いですよね。そうして感情を抑えているうちに、いつのまにか素直な感情がなんなのか分からなくなってしまうかもしれません。
しかも、素直な感情はいつも心地良いものとは限らないし、それを知るのはかえって怖いときもあります。

それでも昨日のワークでみんな自分の感情と誠実に向き合いました。そしてたくさんの涙が溢れたのです。何故素直な自分の感情を感じると涙が出るんでしょうね。それは苦しい涙?うれしい涙?

そんな1日が終わりみんなは帰りました。面白いことはその後起きたんです。

夜のセッションに来てくださったクライアントさんが、来た早々急に涙を流し始めてしまったのです。その方は別に今悩んでいるわけでもないし、悲しいことがあったわけでもない!と断言してくれました。なのに、何故か涙が出てしまうと。

ここから先は私なりに感じたことです。

そのときサロンには当然昼間の生徒さんは誰もいなかったわけですが、生徒さんたちの思い(感情)がたくさん余韻として残っていると感じてはいました。特に愛のエネルギーです。悲しみも苦しみも含めた愛のエネルギーです。
もしかしてそのクライアントさんは、昼間の生徒さんたちの感情が室内に残っていたのに共鳴して、(クライアントさんからすれば理由の分からない)涙が溢れてしまったのではないかしら。

意識はエネルギーを持っています。人の感情もエネルギーだとすれば、その人の肉体がそこになくても意識があれば、そこにいる誰かに影響を与えることがあるのかもしれません。
・・・そのとき、なんだかすごいものを目の当たりにしている気がしました。未来の私たち人間の在り方・人間関係の在り方を垣間見た気がしました(こうやって冷静に観察してるところがやっぱり冷たいのかしら)。

しかしもしそうだとすれば、いろいろ考えさせられることもありますね。例えば・・・。これはまた明日にでも書きましょう。長くなっちゃうからね(笑)。
スペクトルの月3日・KIN76黄色いスペクトルの戦士[5月4日(日)] 7色の光線(スペクトル)を解き放つ

なんか・・・・・・・・・・・オーラソーマってやっぱりすごい!・・・と再確認しました(←何度でも確認するのです)。

コース中に起きたこと。それからコース後に起きたこと。今日はいろいろありました。私ななんて感動的な現場に立ち会うことができる幸せな職業をしているのだろうかとあらためて思いました。みんなの幸せを心から祈りますし応援します。
まさにスペクトル(解放・溶かす・解き放つ)な1日だったな〜。

助けてくれてありがとう、ヴィッキー。それからたくさんの人たちとたくさんの存在たち(今日は特にミカエル!)。

具体的に何があったか書きたいのですが、もう遅いので明日にいたします、あしからず。
スペクトルの月2日・KIN75青い惑星の鷲[5月3日(土)] オープンハート

今もレベル1コース中です。
私はコース中になにかのワークをした後、おひとりづつ感じたことをシェアしてもらうことに時間を割くほうだと思いますが、今日のお昼休みに生徒さんたちが「みんなの話を聞いてるだけで泣きそうになる」と話していました。
オーラソーマのボトルは本当にパワフルで優しいので、ボトルに触れているだけで心のどこかが満たされて自然と涙が出てしまうこともよくあります。今日も涙ぐみながらシェアしてくれた方が数名いました。そういう人の話を聴いていると自分ももらい泣きしちゃう・・・ということです。
その理由を考えていました。多分こういうことだと思うのです。

生徒さんたちが、オーラソーマのコースを受けること・オーラソーマに触れていることで、どんどんその人のハートがオープンになってゆくのをいつも感じています。ハートはグリーンの色・そしてグリーンには「真実」というテーマがあります。ハートがオープンになることで自分の本当の正直な部分に触れることができるのです。
それは必ずしも心地良いばかりとは限らないでしょう。自分の正直な感情の中にはネガティブなものもあるでしょうから。それでもハートをオープンにして真実に触れることはとてもパワフルで、さらにその奥には必ず暖かいなにかがあるのです。そしてその自分に気づく(感じる)ことで、何だかよく分からないけど涙が出てしまうのです。それはね、自分の中の「愛」に触れるんですよ、うふ。

そして、そういう体験をシェアしてもらうだけで、聞いている人まで涙してしまうのは何故か?

「真実」から語られる言葉というのは、とてもとても力強いのです。魂から語られる言葉と言ってもいいでしょう。
なんの奢りもエゴもない心からの正直な思いを語る。それはボキャブラリーなどというものを遥かに越えたところで、聞いている人の魂を響かせるだけの力がありなにか(だからそれは愛なんだってば)を感じあうのです。

なんだか分からないけど涙が出てしまうとき、なにかが溢れるような感覚になりませんか?はい、それは自分の中が愛で満たされて、愛が溢れてくるんですよ、涙とともに。

こういう感覚は実際に「感じる」ことでしか分からないでしょう。だから言葉で説明することにほとんど意味がないとも思うのですが、でもオーラソーマって素晴らしいのよ〜と、今日の生徒さんの話を聞いていてつくづく思ったので、思わず説明しちゃいました。
スペクトルの月1日・KIN74白い太陽の魔法使い[5月2日(金)] インフォームドコンセント

リコネクションやリコネクティブヒーリングをしてみて、今感じていること。

セッション中にクライアントさんの体が自然に動くことがよくありますが、理由の分からない奇妙な動きをすることが多いです。「なんでそういう動きなの?」って、やっている私も思うし本人も不思議みたいです(笑)。

リコネクションのエネルギーをもたらすのはプラクティショナーではなく、もっとずっと大きな存在だと言います。私達にはその理由が分からなくても、きっとそれがクライアントさんのヒーリングのために必要なのでしょう。大いなるナントカとやらは、私達にはうかがい知れないところでなんらかのヒーリングを施してくれているんでしょうね。

でもできることなら「どうしてそうなるの」かを知らせてくれないかなーとも思うのですよね。別にいいんだけど、でもやっぱり知りたいじゃん、それにその方が親切よね。大いなる意志というお医者さんを信頼しているけど、インフォームドコンセントも大切よね。エリックは「理解しようと思わなくていい」と言ってたけど、まだ知りたがる私です。

その点オーラソーマはとても親切です(笑)。何故ならそこにボトルというものがあるからです。その人にどんなヒーリングの必要があるのか、ボトルがちゃんと語ってくれるのです。

そこがオーラソーマとリコネクションの違いかなと最近思います。

でもリコネもとても好きなんですよ。
惑星の月28日・KIN73赤い銀河の空歩く者[5月1日(木)] 宿り木

自分のことを愛してあげられたら、それが全てだよな〜とつくづく思います。

この日記にもよくスピリチュアルとか5次元とかエネルギーとか書いていますが、本当は何も重要ではなくて、いつだってたったひとつの真実は「自分を愛している」ということなんだよな〜。

今のサロンの前には公園が広がっていて、この季節は新緑がとても綺麗です。日に日に葉が伸びて色鮮やかになってきています。公園に入った瞬間に空気がちょっとだけひんやりしているのが分かります。私は毎朝人気のない公園を歩きながら、時には木立の真ん中で立ち止まって深呼吸をしてからサロンに向かうのですが、それだけでとても気持ちが安らぎます。

自然って本当に「自然」だな。なにも無理してないし、ありのままでいるし、ありのままの私をそれで良しと言ってくれるし、変わらぬ優しさでいてくれる。だから私も自然の前では素直なありのままの私でいられます。

私は時々想像します。自分がこの木立の木々になっていて、誰かがその下に立っている自分の立場になっている様子を。自分(=木)の下に立っているその人が、そこで癒されてまたどこかへ去ってゆく様子を思い浮かべます。

私はそんな木立の木みたいな人になりたい。それがグリーンである私が誰かにしてあげられる最高のギフトでしょうし、私自身の最高の喜びでもあるのでしょう。そこにクリエイティブというエッセンスをトッピングして存在できたら、それが9番を選ぶ「私」なのでしょう。

そう考えると今のサロンは立地条件的にも、自分にとってのソウルカラーであるグリーンを思い出させてくれる良い場所にあるんだわ(笑)。

今日は惑星の月最後の日なので、ちょっと表明してみました。