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自己存在の月14日・KIN151青い律動の猿[10月31日(水)] はまらない女

ある雑誌に「ホストにはまりやすい女」の傾向を歌舞伎町の売れっ子ホストとやらが語っていました。それは
・バッグや携帯にキーホルダーやストラップをじゃらじゃら付けている女
なんだって。理由は「そういう女性はもらったものを捨てられないタイプだから、間違いなく寂しがりやで情に厚い」からだそうです。で、逆にはまりにくいのは
・ロハスな女
なんだそうな。これ、笑いました。なんか分かるー(笑)。理由は「ロハスな女は自己管理ができるタイプだから、人に流されない」だそうだ。

あー、もう完全に自分は「はまらない女」です。

バッグや携帯になにやらじゃらじゃら付けたことは、それこそ小学生のときからありませんね〜。つける意味が分からん。別に可愛くもないしむしろ邪魔じゃないか!?としか思えません。使わないものはいらないという、その辺とっても合理的な人間なのです。
もしそういうものをもらったら・・・・困りますねー(笑)。その人の気持ちはとてもうれしいので、捨てることもできない。でもつけるのも正直苦痛です。きっとしばらくつけて、そして密かにはずすでしょう。願わくばこちらから言わなくても、私がそういう人間だということを察していただいて、始めからくれないでもらえたらうれしいんだけど。そのお気持ちだけで充分なのです。

実際、私にとってとても身近な存在のある女性はそういうものをバンバンくれちゃう人で、とても優しい人で大好きなのですが正直困ってます(笑)。より困ったことに、私とは趣味が全然違うんだよねー。「こ、これはとてもとてもバッグに付けられないよ・・・(絶句)」みたいな奇妙なセンスのものをくれるのです。
誰にでもそうするわけじゃないけど、けっこうそういうときは正直に言ってしまいます。「(旅行のお土産など)特に買わなくていいですよ。いただいても多分使わないと思うので、わっはっは」と、気分を害さないように笑いに持ち込んで一応気は使いますが。向こうもこちらの性格を分かってくれているのですが、やはり向こうにも向こうの性格があるから、やっぱり買ってきちゃうんですよね〜(笑)。
自己存在の月13日・KIN150白い共振の犬[10月30日(火)] 点と点が線に繋がった!

最近面白い気づきがあって大感動したので、そのことについて書こうと思っているうちになんだかんだとひにちが経ってしまって、私の中では今さら感が強くなってしまいました。もう面白くないかもしれないけど、書いてみます(笑)。

8月の中旬頃、サロンの72番ボトルが割れました。普段自分は選ばないボトルだから何故72番だったのか、その時は考えてみたけど分かりませんでした。
その少し前にある生徒さんからのメールに「リコネクションを受けてとても面白かったです」と書いてありました。そこで、いつか受けたいと思いながらすっかり忘れていたリコネクションのことを思い出し、いても経ってもいられない気分になってしまい、すぐに私も予約を入れて8月下旬に受けに行きました。その後、私の中から光が溢れ出した話は、その頃の日記に(興奮気味に、笑)書いていますね〜。
先日リコネクティブヒーリングのセミナーを受ける少し前から、なんだか妙な胸騒ぎ?のような感覚があって(なにかが来ている感じ)、なんとなく「リコネクション」の本を久しぶりに読み返していたんです。読み返し始めてから「あ、もうすぐこれのセミナーだったんだ」と思い出したのが、マヌケというかシンクロというかで面白かったですが。本には、著者であるエリックがチャネリングで受け取ったという「あなたがやっていることは、ストランド(鎖)を再結合することである」のフレーズが何度も登場します。これはDNAの再結合のことだそうです(詳細は省略)。でも読んでいるときは、特にそのことについて深く考えたりしていませんでした。
そしてセミナーの数日前にサロンと寝室の時計が同時に止まり、そのときある生徒さんから「DNAアクティベーションのセッションを受けてみませんか?」とのメールをいただいた・・・その「DNA」の文字を見た瞬間・・・・・全部が繋がったんですよーーー。

この数ヶ月の間に起きたひとつひとつの出来事の点と点が、1本の線となって繋がった瞬間!こういう気づきは、突然閃光のように落ちてきますね。

11月初旬にDNAアクティベーションを受けるために、リコネクションセミナーを受けたんだ。リコネクションセミナーを受けるためにリコネクションを受けたんだ。リコネクションを受けるために72番が割れたんだ。72番を割るためにギリシャに行ってパンドラの箱を開けたんだ。ギリシャでパンドラの箱を開けるために・・・・・・・・・・と、どんどん遡っていき、今のところ2年半前のスペイン旅行まで遡れることが判明しています(笑)。でもきっともっと遡れるんだと思います。つまり、過去のたくさんの出来事が今の私に起きている一連の出来事のための準備だったわけです。
いやー、すごいね。一体誰がこの台本を書いているんでしょうか。なんとなく分かりますけどね。

でもココで終わらないのですよー。

過去の出来事が今のための準備だったのならば、今起きていることも未来の何かのための準備だということですよね。では、一体どんな未来のための「今」なのでしょうか。
答えは「分かりません」。でもなにかに繋がっていることは分かっています。リコネクションを受けた理由が、申し込んだときは分からなかったけど今分かるように。
あー面白すぎる。筋書きのない台本。あ、筋書き(ブループリント)はあるのか。でも私からすればハラハラドキドキものですよ、もう(笑)。

あ、あとDNAのことを書くのを忘れていました。DNA再結合が今の私にとって大事なポイントなんですよ。だから72番が割れたんです(あのボトルはDNAレベルでの変化のボトルです)。
でも長くなりそうなので、またの機会にいたします。もう少し先が見えてきたらね〜。
自己存在の月12日・KIN149赤い律動の月[10月29日(月)] 大天使ラツィエル一考

実はこの数週間の私に起きていることは、あまりにもたくさんあることとあまりにも経過が早くて、日記に書いていたら本1冊分くらいのボリュームになってしまいそうです。「今日はこのことを書こうかな〜」と夕方考えていても、夜にはもうそれはすっかり過去のことになってしまっている感じ。そして結局大したこと書いていなくて・・・すみません(涙)。
オーラソーマに新しいボトルができていろいろ感じるところもあったのに、そのこともまだ書いてないし。なので今日は新ボトルについて今の時点で私が感じることを書きます。


最近「癒し」について今一度考えさせられることが多いです。

癒しとは、怪我をしている人に手当てをしてあげること。ま、そりゃそうですよね。しかしより深いレベルでの癒しは、必ずしも怪我をしている人の手当をしてあげることとは限らないという話は、この日記上で何度も書きました。

先日のリコネクティブヒーリングセミナーで、長いことこのヒーリングにたずさわっているというスタッフの女性が自分の体験を語ってくれました。
彼女はとても健康そうでしたが、このヒーリングに出会うまでは歩くこともままならないほど体の具合が悪かったそうです。しかしヒーリングを受けて健康になった時、彼女は何故自分が病気になったのか分かったそうです。「自分は病気がここまで回復する姿を多くの人に見てもらい自分の体験を語ることで、人々の意識の目覚め(ヒーリング)をサポートするために、自ら一度病気になったんだ」と。それが分かったとき、彼女は病気で苦しかったことなどそれまでの(肉体だけでなく)全てが癒されたそうです。

苦労するほど後の喜びも大きいでしょ。それと同じで、苦しみを体験するほど目覚めや気づきを得やすくなります。だから私たちは魂の成長のためにあえて苦しみを作り出すのです。さらに自分のことだけでなく、他人の目覚めや気づきをサポートするためにあえて自分が苦しむ姿を見せるという役割を引き受ける人もいます。セミナーで語ってくれた彼女はそういう人だったのかもしれません。
だからより深いレベルでは、怪我をした人の手当てをしてあげることが必ずしも癒しとは限らない・・・と言う話は何度も書きました。

でももっともっと深いレベルの癒しがまだあるのです。それは「成長するためには苦しまなくてはいけないという思い込みを持った自分を癒す」です。

確かに苦しみは多くの貴重な気づきを与えてくれるでしょうが、もうそろそろそんなやり方は終わりにするときが来たのです。そんな風に自分をいじめなくても、喜びや楽しむことでも学べるし気づきはあるんだということを自分に許してもいいみたいです。わざわざ病気にならなくても、人を傷つけたり傷つけられたりしなくてもいいんです。だって私たちはもうさんざん苦しんできたと思うのですよ。今だって苦しんでるかもしれないし、過去にも。もう充分でしょ。

ラツィエルの上層のオリーブと下層のライラックには、そんなテーマがあると思います。「苦味を甘さに変える」とはそういうことではないかしら。

どうぞまずは自分自身が幸福になってください。目覚めて(気づいて)ください。何故なら、目覚めていない人の気づきをサポートするために誰かが自ら苦しむ役割を引き受けているのならば、みんなが目覚める程にもう誰もわざわざ苦しむ必要はなくなるのですから。つまり自分自身が目覚めることは、他の全ての人の苦しみからの解放を助けてあげられるのです。

「・・・これが、ラツィエル誕生後すぐにやってきた最初の考えです。この地球の旅の中で、この適切な時期に、この大天使の誕生に関連して、全世界と個人における両方で、その意義と重要性の感覚を皆さんが得られることを願っています」←ココはマイク・ブースの真似ね(笑)

これがあくまでも私個人の今の時点でのラツィエルに関する感じ方です(ホントはまだまだあるのだけどきりがないよ〜)。みなさんにとってはラツィエルってどんな感じですかね。早く実物にお会いしたいですねー。
自己存在の月11日・KIN148黄色い倍音の星[10月28日(日)] リコネクティブヒーリングセミナー・その3

リコネクティブヒーリング・レベルT・Uセミナーが無事終了しました(レベルVは来春受けます)。一言で言えば「エキサイティング!。受けて良かったー。

リコネクティブヒーリングは、かつて地球に存在したことのなかった、私たち人間にとって全く新しい周波数を持ったエネルギーだそうです。だからエリック・パールは何度もこう言っていました。「自分が知らないということを恐れないでください。」と。

ヒーリング中にクライアントが突如動き出したりしたとき何故それが起きるのか?クライアントから離れれば離れるほどエネルギーが鮮明になるのは何故なのか?分かりません。エリックにも分からないのかもしれません。分かっているのは、リコネクティブヒーリングによって癒された人がたくさんいるという事実だけです。でも目の前で起きている事実以上にリアルなものってありますか?
「え!?何故クライアントから離れる方がエネルギーが強まるの!?」・・・って、だから今までにないエネルギーなんだってば(笑)。だから今までの経験と比べても意味ないのよ。つまりこのヒーリングに対しては、頭を柔らかくして起きることをまず観察することが大事なんですって。分からないのに診断しようとしたりするのをちょっと脇に置いて、ただ観察すること(これはオーラソーマでいうところのイエローの明晰性だと私は理解しました)。

エリックはこうも言っていました。「子供のように無邪気に、この新たなエネルギーと遊んでください」(この辺もイエローっぽい)。
子供は自分が知らないことを恐れないでしょう。それに対し畏敬の念も持たないし謙遜もしないし偏見もない。知りたいとは思っても知らなければいけないとは思わないでしょう。ただ純粋にキラキラした目でそれと遊ぶでしょう。

その周波数は、プラクティショナーがもたらすのではありません。
海の中に住んでいる魚が海の全体像を見る事が決してできないように。空の下に生きている私達が空を腕の中に抱えることが決してできないように、その周波数は、私達を超えたところ(それをなんと呼ぶかはあなた次第です。「愛」「神」「宇宙」「源」・・・)からもたらされているのだとしたら?分からなくて当然ですよねー。だから委ねるのです。それしかできないのですよ、私たち人間にはね。でもそのときこそヒーリングが起きるのです。
今までなかっただけあって、ヒーリングの起こり方もとてもユニーク且つパワフルです。新しいもの好きの私・そしてホンモノ好きの私にはとても興味が沸きますねー。「こりゃあホンモノだ」と感じましたヨ。まあ、以前セッションを受けたときにホンモノだと感じたからこそ、こうして学んだのですが。

実習は本当に楽しかったです。「知らないことは恥ずかしいことじゃない。できたとかできないとかを気にする必要もない。だって初めてだしねー」くらいの勢いで、まさに「遊び」ました!そしてもっともっとこの周波数を知りたいと思いました(知りたがりだから、笑)。

全てを知ることはできないんだと分かっていても、でももっと知りたい。だからこれからもこの周波数と遊び続けたいし、リコネクティブヒーリングをなにかの形でシェアしていこうと、今決めました。
自己存在の月10日・KIN147青い自己存在の手[10月27日(土)] リコネクティブヒーリングセミナー・その2

あ〜なんか今日は「青い自己存在の手」っぽい1日でした。

リコネクテイブヒーリングセミナーは、昨日のイブニング(夜だけ)セミナーと今日明日の1DAYセミナーの計3日間です。昨日はデモンストレーションという感じでしたが、今日からはいよいよ本番(?)。参加者が350名もいるから、だだっ広い会場にマッサージベットを90台も並べて、内容も実習メインだったのでとても楽しかったです〜。
手というツールを使った癒しの学びの日であり、そのエネルギーに触れることでますます宇宙的な真実に目覚めてゆくという点で、今日はまさに青い自己存在の手(形・明らかにする・測る・遂行・知る・癒し)でした。

ひとりがベッドに横になりもうひとりがヒーリングをするという実習では、直接触れていないのに手をかざしている部分がピクピクしたりして、「なにかが繋がったんだ」と分かるのが面白かったです。

やはりついオーラソーマと比べてしまうのですが、リコネクティブヒーリングを体験してみての私の個人的な感想です。

オーラソーマは「植物・鉱物・色」の自然界の三味一体から成ります。だからオーラソーマに触れていると自然のエネルギーを感じるし、自分も自然の一部であること・ひいては自然を通じて地球という惑星に転生した存在としての自分を思い出すことと繋がれます。この感覚をオーラソーマではグランディングと言います。
リコネクティブヒーリングのエネルギーは、その辺オーラソーマとはかなり違うと感じました。リコネクティブ・・の方は宇宙と繋がる感じです。私たちがかつてそうであった「宇宙的存在としての自分」と再結合するための周波数なんですよね、きっと。アセンション(より宇宙的存在に近づいてゆく)に向けて、今の時代にやってきた新しい周波数のヒーリングというのもうなずけます。
オーラソーマもリコネクティブ・・・もとても高い波動を持ってると感じるのですが、その質は違うかな〜。オーラソーマは女性的(右脳的)で優しくて受容的なエネルギーだとすれば、リコネ・・・は左脳的というか超右脳的というか知的なエネルギーです。でも私はどちらも好き!

笑えるのは、リコネ・・・のリーダーであるエリック・パールが、本で読んで想像していたとおりの人だったことです(私は直接会わずに相手のエネルギーを感じるのが得意なんですよね〜)。
まずはいかにもアメリカンな合理的で迅速なコース運び。「質問は要点をまとめて手短に」とか、ワークのペアがなかなか決まらない人に「クイックリー!」とか(笑)。スピリチュアル系のセミナーにありがちなおっとり感よりも、雰囲気はビジネスセミナーっぽくもあり新鮮です(決して否定しているわけではありません。無駄がないところが好きです)。
なんというのでしょうね、「愛情」という名の愛よりも、「知性」という名の「愛」を感じるのです。愛がないわけじゃないのよ。愛はありますが、でもそういえば愛と言う言葉も飛びかいませんね。

そしてなんといっても、とってもお手軽だというところも好きですねー。
テクニックもなにもいらないシンプルさ。それまでのヒーリングのように、マントラを唱えたり順番があったり時間がかかったりといった手間がなんにもありません。尚且つパワフルなんです。
例えば、ひとりのヒーリングするのに1時間かかっていたものが、30分で同じかそれ以上のヒーリングができるようなものです(実際にかかる時間のことを言っているわけじゃありません。これは例えばの話ね)。そうなれば今までは1日5人しかヒーリングできなかったところを10人ヒーリングできるんですよ。もしくは5人をヒーリングして、余った時間は好きなことをして遊べるんですよー。だったらそっちの方が良いに決まってるジャン(笑)。

スローライフも好きだけどコンビニも好きな私には、やはりこのヒーリングは合ってるかもしれませんね。
あと1日、何をするのか楽しみです。
自己存在の月9日・KIN146白い電気の世界の橋渡し[10月26日(金)] ヒーリングとは・その2

おととい書いたヒーリングとエゴについて、書きながら「まだなにか違う。なにか言い足りない」と感じていたのだけど、何なのかが分かりましたので補足させていただきます(笑)。

「私は自分がヒーラーとは思っていない。何故ならヒーリングするのはクライアントさん自身であって私(=ヒーラー)じゃないから」だと書きました。でも「私はヒーラーじゃない」と言い切るのもなぁんか違うんです。もっと突っ込んで言えばこういうことだったんです。
「ヒーリングはヒーラーではなくクライアントさんが起こすものだ。しかしこれは分離に基づく考えであって、大いなる意志の視点から見れば、ヒーラーはクライアントでありクライアントはヒーラーである。そこに分離はない。ならばヒーリングは、ヒーラーが起こすものでもありクライアントが起こすものでもあるのだ。更に言えばその2者と宇宙がひとつになったとき、ヒーリングは「起こす」ではなく自動的に「起きる」のだ。」
今日のリコネクティブヒーリングのセミナーで、エリック・パールもこのようなことを言っていました。エリックは「宇宙」のところを「源(ソース)」と言っていましたが。

エゴを手放し源(ソース)に明け渡すほどにヒーリングが起きるのであれば、ヒーリングとはテクニックではないのですよね。エリックはそれも言ってました。「テクニックを越えてください。テクニックに執着したりヒーリングの結果を期待することは、かえってヒーリングが起きる妨げになるのです」。ね、オーラソーマと全く一緒ですね、この辺。

そう考えれば世界中の人がヒーラーと言えるし、ヒーラーになれるし、すでにヒーラーなんです。意識していなくても、みんないろんな形で日々ヒーリングをしているはずです。ある人は奉仕によって。ある人は歌や踊りで。ある人はサラリーマンとして。ある人は主婦として。

これなら「私もヒーラーです!」と躊躇なく言えますね(笑)。私もあなたも大好きなあの人も大嫌いなあの人もヒーラー。私だけがヒーラーなんじゃなくて、みんなヒーラー。

あ〜すっきりしたぁ。
自己存在の月8日・KIN145赤い月の蛇[10月25日(木)] リコネクティブヒーリングセミナー

明日からリコネクティブヒーリングのセミナーを受けてきます。以前からとても楽しみにしていたので、今からワクワクです。
しかもこの数日(正確には夏のギリシャから始まっていたのだ)シンクロが多発して、自分が何故このセミナーを受けに行くのかがよく分かりました。そのことについて書きたいのですが、今日はもう時間がないので明日書きますねー。だってアメトーーク!が始まっちゃうんだもん〜。

アメトーーク!を楽しみに1週間を過ごすといっても過言ではない私。どうぞお許しを!
自己存在の月7日・KIN144黄色い磁気の種[10月24日(水)] ヒーリングとエゴ

昨日お伝えした新ボトルの綺麗な画像がやってきました。こちらからご覧くださいね。ホント、綺麗〜


ヴィッキー・ウォールは「ヒーリングとは練習してできるものではない。それはただ起こるものだ」と言っています。更に「ヒーラーとは通路であり、エゴ(自我)が犠牲にならない限り、ヒーラーが十分な力を発揮することはありえない」とも言っています。
ということは、ヒーリングをするために自分にできることは、自分というパイプの中に何も入っていないように空洞にして(つまり自我を無くすこと)、パイプの通りを良くしておくことくらいなんですね。その先の実際にヒーリングが起きるかどうかは、神のみぞ知る・・・ということなのでしょう。だからヒーリングはバイオレットのテーマなのかもしれませんね。

ヒーリング自体を練習によって習得することはできませんが、パイプの通りをよくするための練習はできるかなと思います。瞑想なんかはまさにそのための一番手っ取り早く?良い方法じゃないかなぁ。

エゴ(自我)を無くすことによってのみヒーリングは起きる、そしてヒーリングはバイオレットのテーマである。面白いのはバイオレットの補色のイエローのテーマがまさにエゴ(自我)だということです。自我と無我は背中合わせなんですね。自我は無我のもうひとつの形であり、無我は自我のもうひとつの形です。

「自我を無くす」には、まず自我がなければいけません。もともとないものを無くすことはできないもんね。そのために私たちは自我という意識を作り出しました。オーラソーマで第1のプライマリーはブルー、つまり本来の私たちは自我の存在ではないのです。自我は後からできたものです(2番目のプライマリーがイエロー)。それは無我を知るためなのです。

幸い?なことに私はヒーラーになりたいと思ったことはありません(笑)。そして周りがどう見るかは知りませんが、自分がヒーラーとは今でも思っていません。何故ならヒーリングはヒーラーが起こすものではなく、クライアントさんが起こすものだと考えているからです。自分を癒すのは自分であり、私はそのための「場」を作るのが仕事だと考えているので、自分をヒーラー(=癒す人)と名乗るのはなんか違うんですよ、しっくりこないんですよね。


私はエゴ(自我)が強い人間です。そして不幸?なことに私は自分のエゴの強さをけっこう気に入っています(笑)。なのでエゴを無くすなんて言われると、悲しくなってしまうし反発したくなってしまいます〜。
でも最近ようやく、エゴを無くすという作業が楽しいと思えるようになってきました。何故ならエゴを無くす必要はないんだということが分かってきたからです。

エゴを無くすことを学ぶために生きているならば、永遠にエゴは無くならないし無くす必要もないのよ。本当に無くなっちゃったら学べないもん。

エゴ、万歳!←ヤケクソ?
自己存在の月6日・KIN143青い宇宙の夜[10月23日(火)] 新ボトル誕生

夕べとても大きな気づきがあって、今日の日記はそのことについて書こうと思っていたのですが、それ以上のビッグニュースが飛び込んできたので、そちらを先に書きますねー。

1年7ヶ月ぶりにオーラソーマに107本目の新しいボトルが誕生しましたー、パチパチ。

その名も「大天使ラジエル」。色は上層がミスティペールオリーブグリーン・下層がミスティライラックです。またしても新しい色みたいですね。詳細は上記のブログの方に挙げてみたので見てみてくださいませ。

私にとっては、今回の新ボトルにはあるエピソードがあります。

今年の春、マイク・ブースが日本で開催したあるコースに私は参加していました。
コースの休憩時間にマイクの通訳の方と談笑していたとき、マイクが横を通り際に通訳の方に何事が囁いていったのですが、こちらの方をチラチラ見ているんですね。「なにか私のことを話しているのかしら?」といぶかしげに思っていたら、通訳の方が「今日香緒里さんが着ている服を覚えておくと良いよ。いつになるか分からないけど、もしかして次のボトルはそんな組み合わせの色になるかもしれないって」と言ってくれたのです。
その日の私の服装はロイヤルブルーのセーターにオリーブ色のスカートでした。
実際に新ボトルの画像を見ると、私の服装とは上下が入れ替わってロイヤルブルーがもう少し明るくなった感じですから、確かにあのときマイクが言ったことはそのとおりになったわけですね。

・・・なもので、個人的にも待ち焦がれていた感もあるし、なんとなく縁を感じるボトルだし、この色の組み合わせは好きだし、実はアマーリエのロゴマークを今デザインしていてそれがこんな色の組み合わせに近いんですよね。

新しいボトルはすべての人(集合意識)にとって今とても大切なメッセージをたずさえていると言います。だからボトルのメッセージを読んでいろいろ感じてみましょう。前のボトル(大天使アズラエル)の次にできたということも、そこに深い意味があります。選ぶ選ばないとか好き嫌いに関わらず、自分のこととしてこのボトルのメッセージを感じてみましょう。私もこれからいろいろ感じてみたいと思います。

奇しくも今日は私の誕生日。思わぬ誕生日プレゼントをもらってしまいました。手元に届くのを心待ちにしましょう。大体1ヶ月はかかるからねー。
自己存在の月5日・KIN142白い水晶の風[10月22日(月)] ガチンコ!

昨日の日記の最後に「F1見たいけど眠い〜」なんて書きましたが、とんでもないっ!昨日のレースは凄すぎて、眠くなるどころか手に汗握るあっという間の2時間でした。応援していたハミルトンのチャンピオンは成りませんでしたが、いやーF1史上まれに見る好レースとして後世まで語り継がれるでしょう。

私はスポーツ観戦が好きです。ガチンコ勝負が好き。

私はグリーンな人なので真実が見たいのです。そして、世の中で一番真実が見られるのはスポーツの世界だと思います。ちなみに上野理論では(笑)、アートの世界では半分くらいが真実・通常の大人の社会では大体が嘘でたまに真実が混じるくらいかな〜(個人間ではもっと真実があると思うのだけど)。
まあスポーツの世界でも真実がある場所は限られていて、例えば野球ならグランドの上・サッカーならピッチの上・そしてF1ならコース上です。それらの場所は私からすると、もしかして教会や神社以上に神聖な聖域(サンクチュアリ)なのです。
何故ならそこは選ばれた人間しか入れない場所だからです。更にそこへ入ってしまえば、それまでの俗っぽい人間同士のぐちゃぐちゃドロドロはなんの力にもならなくなります。着飾ることが意味を成さない、純粋に人間同士の魂がむき出しになる場所です。だからスポーツの場ではたびたび奇跡が起こるし、「事実は小説より奇なり」が目の前で展開されるのです。夕べのレースはまさにそれ!

F1は、特にヨーロッパや南米では超メジャースポーツだし、とにかくお金のかかるスポーツでもあるから、コース外ではいろんな人のいろんな思惑が常にうごめいています。ドライバー同士のコース外での衝突やスポンサーの絡みによる確執は日常茶飯事で、今回のレースが面白くなったのもその辺の人間模様が複雑に絡み合っていたせいでもあります。そういうドロドロも人間の本質だと思うし、そういう普段隠れているものがむき出しにならすにはいられないところもF1の面白さのひとつですね。
でもそれと同時に、人間の持つ限界のない可能性や希望・強さや神聖さもがむき出しになる世界でもあります。事故で瀕死の重症を負ったドライバーが翌日に優勝したりね。究極に追い込むと、人間って神さまみたいな生き物になれるんだーと、ものすごく感動します。

私が思うに、様々なスポーツの中でもF1は特に奇跡が起きる率が高いと思うのですよね〜。多分F1は常に危険と背中合わせで、ドライバーはもちろんですがそれに関わるスタッフも含め「命かけてる」からかなぁ。

「命がけ」つまり「魂むき出し」。そんなものを目の前で見せられて、これに感動しない人はいないでしょー。

自己存在の月4日・KIN141赤いスペクトルの竜[10月21日(日)] 温泉でリフレッシュ

もうすぐ私の誕生日なのですが、昨日今日とお祝いを兼ねて1泊温泉でリフレッシュしてきました〜。

私は旅行に行くときは、目的によってホテルのランクを全然変えてしまう方です。
貧乏旅行をするときや目的がリラックスすることじゃないときは、ホテルは「寝られれば良い」くらいでトイレは共同・お風呂もないところでも泊まってしまいます(特に海外)。でも、「リラックスするぞーっ」ていうときは、腹をくくっていきなりグレードを上げます(笑)。で、本等を持ち込んでホントに部屋から出ずにゴロゴロします。

今回の旅の目的は後者だったので、お部屋に露天風呂の付いているタイプにして、風呂→エステ→ゴロゴロ→風呂→食事→ゴロゴロ→風呂・・・を繰り返して過ごしました。う〜、最高の贅沢させていただきました〜。
旅館の詳細は近いうちにブログに写真つきでUPしますので、よかったらご覧くださいませ。とても良いところでした。

行き先は鬼怒川と日光だったので久しぶりに自然も満喫したのですが、やはり私は自然の気を浴びるとくらくらしてしまってそして眠くなってしまうのですよ。今ももう眠くてたまりません。今日は早めに寝よう・・・・・・あ、だめだ!今夜はF1だ!最終戦でハミルトンのチャンピオンがかかっているんだわっ!これじゃ寝られません!(F1大大大好きなので)。うー、でも眠いぃ。
自己存在の月2日・KIN139青い太陽の嵐[10月19日(金)] クリエイティビティ

この日記に書いていることですが、先日(9月28日〜10月10日)までの白い鏡のウェイブスペルの間に、ある大きな依頼を受けそして断るという出来事がありました。白い鏡は私のKINでもあるので、その出来事は自分にとって大切なものは何かを確認できる良い機会になったと感じています。
その最後の日(10月10日)断りの電話を切った後で、「今回の出来事は私にとってどんな意味があったんだろうか。これからの私は今回の出来事をどのように生かしていけるのか、何かメッセージをください〜」と、エンジェルカードを引いてみました。
数種類持っているエンジェルカードを全部引いてみて、そのすべて(!)が「クリエイティビティ」のカードでした。

ふーむ、確かに私にとってクリエイティブであることは、生きていくうえで欠かせない一番大切なものです。それこそ子供の頃から唯一私が我を張るのは、自分がクリエイティブでいることを妨げられそうなときでしたもん。

この数年、絵を描いたり音楽を聴いたり文章を書いたりすることは全然していませんんでした。昔はよくやってたのにね。でも、今の仕事自体が私からすればとてもクリエイティブな仕事なので、そういうことをしていなくても別にストレスはなかったんです。
しかしこの数日、やけにいろんなアイディアが浮かんできて止まりません(笑)。いろんな物語やビジュアル・音が、頭の中を洪水のように流れていきます。私にとっては最高に楽しい時間です。
しかしいろんなアイディアが浮かんでくるのはいつものことなので、さほど気に留めてもいませんでした。

昨日の日記に書いたように、今日はワクワクしながらボトルを選んでみました。そしたらなんと!62→86→52→43でした〜。オーラソーマをやってる人には分かるはずですが、この上なくターコイズな私。ターコイズはクリエイティブというテーマがある色です。52のレディナダも音楽やクリエイティビティのテーマがあるしねぇ。
4本を並べてみると、あああ・・・なんて綺麗なんでしょう、うっとりですよ。もう大好きだよ、ターコイズ。ここのところマゼンタを1本目に選んでいたけど、やっぱりこっちの方がしっくりくるし、受け入れやすいです。
これだけターコイズづくしなのも珍しいけど、だからいろいろアイディアが浮かんできたのかーと分かりました。
先月のテーマ「奉仕とは?」でマゼンタを学び、今月のテーマ「どういう形を取るのか?」はターコイズだったんですね〜。
自己存在の月に使うボトルは86番に決定!よーし、今度、今までに選んだボトルと86番の4本でゴールデンスレッドを作って、更に探求するぞーーー!ワクワク。

多分、依頼を断る出来事は、その頃選んでいたマゼンタの「本当の奉仕・適切な愛とはなにか」について、練習させられていたのかもしれません。相手を傷つけるかもしれない・そして自分が否定されるかもしれないという恐怖や不安を越えて、勇気を出してもっと大きな愛を選びとることができるように(カッコつけ過ぎだぁ、笑)。

クリエイティブな感覚というのは、自分の前を誰も歩いていない感覚だと思います。それは孤独の極みでもありますが、でもそんなときこそ「生きてるなー」という実感が沸くのです。

私が大大大好きなチャップリンのこんな名言があります。「人生に必要なのは、勇気とクリエイティビティと、ほんの少しのお金だ」。
中学生くらいのときにこの言葉と出会って大感動して以来、私の座右の銘でもあるこの言葉。私もこの言葉を今一度胸に刻んで、より自分らしい自分を生きていjくのだっ。
自己存在の月1日・KIN138白い銀河の鏡[10月18日(木)] 今年のテーマの分かり方

今日から新しい1ヶ月が始まります。今月は「自己存在の月」。テーマは「私の奉仕はどういう形を取るのか?」です。今朝、今月のテーマについて考えていたとき、面白いことを思いついちゃいましたっ。

13の月の暦の1年にはそれ自体にひとつの流れがあります。そして1年(13ヶ月)のうち最初の4ヶ月は「磁気の月」「月の月」「電気の月」「自己存在の月」と呼ばれ、それぞれの月のテーマは「今年の目的は何か?」「挑戦は何か?「奉仕は何か?」「奉仕はどういう形を取るか?」です。ね、流れがあるでしょ。そしてこの4ヶ月は1年の流れの中で、「行為の基礎を確立する」4ヶ月でもあるんです。(詳しくはアマーリエのセミナーでね、笑)。

私はこの4ヶ月の流れが、どうしてもオーラソーマの4本のボトルの流れとリンクしてしまうんですよね。似てると思いませんか〜?

で、今朝、今年(G暦7月26日)に入ってから使ったボトルの順番と自分自身の変化を書いてあるコズミックダイアリーを見返していて、ほぼ1ヶ月に1本の割合で使っていること(今年に入ってから3ヶ月経ち約3本使っている)・使っているボトルとその頃自分が感じていることがその月のテーマにまったく重なることを発見しました!(だからダイアリーをつけることがおすすめなんです)。
さらにダイアリーに書いてあることを自分なりに探求してみると、それらのボトルがあたかもオーラソーマの4本のうち1→2→3の流れにまったくもって重なるのです!
そうなると、今月使うボトルがなんなのかが楽しみになりました。ちょうど電気の月に使い始めたボトルが今日くらいで使い終わるので、次に使うボトルを明日選ぼうと思ってたんです。そのボトルがある意味オーラソーマでいう4本目のボトルになるのかもしれません。

さらにさらに、4本が決まったらそれが今年の「行為の基礎を確立する」4本のボトルとして、それらのボトルでゴールデンスレッドを作ってみようかと思いついたんです。ちょうど3本のうち2本が同じスフィアにきてるなーと気づいたときに思いつきました。そしたらどうなるんだろー。
オーラソーマ的・そして13の月の暦的な今年の私のテーマが浮き彫りになりそうで想像しただけで楽しくてたまりません!

明日、私は何を選ぶのか!?もう今からゾクゾクしちゃう〜。
どうぞみなさまもこんな感じで、オーラソーマや13の月の暦を自分なりに楽しんじゃいましょうね〜。ホントに面白いよ!

※オーラソーマや13の月の暦が分からないと全然楽しくない話題ですみません〜
電気の月28日・KIN137赤い共振の地球[10月17日(水)] スキンシップ

私はスキンシップが苦手です〜〜。

スピリチュアル系のワークショップなどでは、しょっちゅうハグさせられます。しかしこれが昔から苦手でね〜。
あと、スピリチュアル系の人たちの中には遠慮なしにぎゅーっとハグしてくれる人もいます。とてもうれしいから全然かまわないのですが、ただハグされた瞬間固まる自分がいます(苦笑)。照れくさいのよ。やっぱりオイラは日本人、異人さんにはなれねぇな。
人間じゃなければいいんだけどねぇ。犬とか猫とか木になら、いくらでもハグできるのですが・・・。

今日はレベル1コースの最終日でした。
その最後のシェアリングをしていたときに、ひとりの生徒さんが泣いてしまいました。オーラソーマのコースって単なる色の勉強を越えた、色やボトルを通してのセルフヒーリングのための時間でもあるから、多分いろいろこみ上げてくるものがあるのですよね。
その生徒さんに共鳴して他の生徒さんももらい泣きしていたけど私もぐっときてしまい(笑)、思わず生徒さんをハグしてしまいました。ハグすることで心も体もひとつになりたかったのね。あ、妙なアヤシイ言い方かしらん。傷ついているその人に「大丈夫だぞー」と言いたかったのです。

しかし、私は日頃スキンシップが苦手な人だということをハグする瞬間思い出してしまいました!しかしもう遅い。手はその人の肩に回ってしまっています。今更止められません(止めようとも思いませんけどね)。
なもんで、ハグする力加減とか手の置き所とかのぎこちないことったらまぁ(苦笑)。ハグしている時間はどのくらいが良いんだ!?とか、ワケわからんことで焦りまくってしまいましたー。まるで好きな娘が泣いているときに思わず初めてのキスをしてしまった男の子みたいな展開です。

あー、恥ずかしい。
電気の月27日・KIN136黄色い律動の戦士[10月16日(火)] 無防備でいられない

今日、ある本を読んでいたら「無防備でいなさい」と書いてありました。それを読んで、自分についてのあることに気がついてしまって、それからずっと気分がヘコんでいます。なので今日の日記はヘコみ日記になりそうです。

最近私の内側深いところがやたらと静かでした。8月の終わりくらいからそうなのですが、先日リズムオイリングのセッションを受けたあたりから尚一層・まるで山深くに人知れずある小さな湖の晩秋の湖面みたいに静まり返っているのです。だから尚のこと、表面の僅かなざわめきに気づきやすくなっているのかもしれません。
そして今なにかに苛立ちを覚えている自分がいることに、気づかないふりをしていたことに気づいていしまいました。
それは「無償の奉仕」というものに対して、今だに抵抗している自分です。

奉仕に対して損得勘定するつもりはないし、取引するつもりもありません。
私は「自分の好きなことを楽しむことが奉仕なんだ」と考えていますが、別にその考えを改めようとも思っていません。本当にそうだと思います。

ただ私は、自分の考えに固執しているんだということに気づいたんです。
その本に書いてあった「自分の意識を無防備さの中で確立し、自分のものの見方を他人に納得させたり、説得しなければならないという欲求を放棄しなさい」の一文に、ショックをうけたことがそれを証明しています。自分は無防備を装っていただけなんだなーと思うと、なんだかショックです。許しているようで許していないんだな、私。まだまだですね。

「自分のものの見方を防衛することを完全に断念してください」か・・・。やっぱりマゼンタだな〜。

今67番のマゼンタ/マゼンタを使っています。もう何本目か分からないくらいたくさん使っているボトルです。以前は2本目の定番だったけど、最近は(日記にも書きましたが)1本目に選んでいます。でもやっぱり使う必要性を感じて使い続けてしまうのですよね。

そんなショックなことがあった今日ですが、それでも奥深いところの静けさは相変わらずです。表面で起きることに全く影響されない内なる平和の感覚。だからショックなんだけどショックじゃないのです。こりゃあイイネ!
電気の月26日・KIN135青い倍音の鷲[10月15日(月)] 使命を見つける方法

自分にはどんな才能があるのか?どんな魂の使命があるのか?・・・それを知るためのひとつの目安はこういうことかと思います。
「自分がして欲しいことを人にしてあげること。それが自分の才能です」

例えば私の場合。
もし自分が落ち込んでいるときに、私はあまり慰めて欲しいとは思いません。励まして欲しいとも思いません。一緒に泣いてくれなくてもかまいません。
ただ気づいていて欲しいです。ただ見守っていて欲しいです。そして笑わせてくれたら最高です。生きるって悪いもんじゃないよってさりげなく思わせてくれたら、私にとってはそれが最高の「愛」の形です。
そしてもし誰かが落ち込んでいるときに、私は慰めるのが苦手です。励ますのも得意じゃありません。一緒に泣くことは時々ありますが毎回じゃありません(笑)。
ただ気づいてあげられるかなとは思います。そしてその人が自分の力でまた元気になるまで見守っていてあげます。そして「笑い」は「救い」であることを知っています。生きるって悪いもんじゃないよってさりげなく思わせてあげられたら、私にとってはそれが最高の「愛」の形です。

実際今までの人生で、落ち込んでいる友人に対して私はどんな風にしてその人が立ち直るのをサポートしてきたかを振り返ってみれば、自分に何ができるのかは一目瞭然です。私は「自分だったらこうして欲しい」と思うことを、相手にしていました。それしかできないし、そうじゃないやり方を無理にやろうとしても、ロクなことにならなかったよ〜。
たまに「私を慰めて〜」という人に出会うと、オロオロしてしまいますもん。「え?慰めていいんですか?私がやっちゃっていいの?自分で立ち直らなくていいんですか?」と聞きたいのですが、その人は慰めを必要としているんです。ならば!私も善良な一市民ですから(笑)、その人のためならと思うし慰めてあげようと奮闘するのですが、どうしてもイマイチ上手じゃなくて、お互いが消化不良のまま立ち去ってゆくということを何度も経験しました。
そう考えれば、なにが自分の才能かはおのずと見えてくるかもしれませんね。

「自分の使命を生きる」「奉仕」とは世界中の人を助けられるということではないのかもしれませんね。

自分に個(個性)がある限り、自分には必ず得意なことと不得意なことはどうしたってあるのでしょう。でもそれでいいんでしょうね。自分にできなくても、必ずそれができる人がいますもん。だから何もかも自分でやろうとしなくても、役割分担して協力し合えれば世界中の人を助けられるのです。他人を信頼して・すべての存在はひとつであるのだから。そういう意味では、自分は世界中の人を助けられるのです。

自分の内なる可能性を自分で見つけたいと思っている方・アマーリエはそのためのスペースを提供いたします〜・・・が、私のお役目かなと今は思っています。
電気の月25日・KIN134白い自己存在の魔法使い[10月14日(日)] リズムオイリング

11日の新月の日にユニークな体験をしてきた・・・と書いたことについて書くのを、また忘れそうになってしまいました。今日、書きます!

ヴェレダという化粧品のブランドを知っているでしょうか?スイスの自然派化粧品なのですが、使用する植物を有機栽培しているだけでなく、シュタイナーの提唱したバイオダイナミック農法を取り入れているところが特長ともいえます。私は割と好きなブランドで、特にバスミルクとエリキシール(飲み物)が好きで時々使っています。

ヴェレダは青山にサロン&ショップがあり、こちらも雰囲気も良いし施術も上手でスタッフさんも感じがよいので、ときどきトリートメントを受けに行くのですが、先日「リズムオイリング」という新しく始まったコースを受けてきました。これがとても良かったのー(このコースの詳細はどうぞヴェレダのHPをご覧くださいませ。ヴェレダのHPはこちらから
バイオダイナミック農法という特殊な方法で栽培した植物から抽出したオイルを施すことにより、自分の肉体やエーテル体を宇宙のリズムに同調させるということです。13の月の暦で宇宙のリズムに同調することの良さを体感している私としては、このコースは見逃せないでしょー(笑)。

このコースは、ボディトリートメントというよりもエネルギーヒーリングだと思います。「トリートメント」と言わず「オイリング」と言うのも、セッションを受けてみて納得しました。
実際セラピストさんも「このオイルはエーテルボディ(オーラ)に働きかけるのです」と言っていました。螺旋を描きながら(この螺旋というのがポイントらしい)触るか触らないかくらいの軽いタッチで、なでるようにオイルを塗っていきます。それなのにどうしてこんなに気持ちよいのか!?

セッションの始めは背中からでした。
私はベッドのヘリに座っています。セラピストさんは私の後ろに立ち、肩から肩甲骨、そして首から背骨に沿ってお尻まで、螺旋を描きながらオイルを施していきます。その最初の手が肩に触れてするーっと動き始めた瞬間!ぞくーっとするくらい私のオーラ(エーテル体)がビリビリきたのがはっきり分かりました!
言葉で表現するのが難しい〜。冷たさを感じたわけじゃないけど、冷たくてとても清んだ水のゼリーを塗られているようなかんじ。すごく洗浄力のある自然の洗剤で洗い流されているようなかんじ。虹のような柔らかい七色の光のワイパーでふき取られているようなかんじ。
それまであった首の後ろの重さが一気になくなって軽くなりました。
背中のあとは仰向けに横になって、腕・お腹・足とオイリングしていただきました。最後の辺りはもうまったく記憶がございません〜。

セッションを受けて3日ほど発ちますが、内側がやけに静かになりました。そして最近うなされていた悪夢を見なくなりました。なにかが収まるところに収まったようです。

久しぶりにリピートしたいセッションでした。良かったよ〜。
電気の月24日・KIN133赤い電気の空歩く者[10月13日(土)] 学びの段階

オーラソーマの学びのシステムが来年の9月からいろいろと変更になります・・・とASIACTから正式な案内が来たと思ったら、さらに変更が変更になるとの案内が届きました。
世界中でオーラソーマが広がりを見せている現状の中ではそれも分かります。プラクティショナーの質を落とさずに、正しい形でオーラソーマの良さが広がり、たくさんの人の意識の成長のサポートにしていくためには、変化するオーラソーマを取り巻く状況にシステムも合わせていくほうがよいでしょう。学んでいる方たちにはやや混乱させてしまっている部分もあるのかもしれませんが、今いろいろと過渡期なのね。

よく聞かれる質問のひとつに「オーラソーマを学ぶとき、上のレベルに上がるときに何故3ヶ月以上期間を開けなくてはいけないのか?」というのがあります。

オーラソーマは「意識の成長」のためのツールです。ならばコースを受ける目的も、自らの意識を成長させるための機会であるべきです。
でも意識の成長って(不可能ではないかもしれないけど)1日でできるものでもありません。だから期間を開けてください・・・なんです。

その期間のことを「統合する期間」と呼んでいますが、それはコースで学んだことを自分の中で統合させて、意識を成長させてくださいという意味だと私は理解しています。ボトルの名前を覚えるとか、色の意味を覚えるとかいうことではなく、オーラソーマによって自分の意識が成長できたと実感できたとき、それがオーラソーマを学べた瞬間です。

ある方がこんなことを言っていました。その方はオーラソーマのレベル1を学んでいる人です。「今までは、もっとちゃんと勉強してからじゃないと製品は使えないと思っていたけど、使うこと自体が勉強なんですねー」。そうそう、そのとおり。
またある生徒さんからこんなメールをもらいました。「オーラソーマを学んでからいろいろな気づきがありました。新しい人間関係の中に入っても、以前の自分ならこんなに自然体で接することはできなかった。半年前の自分と今の自分では全然違うんです(←もちろん良い方へ変わったということです)。」

そうそう、それそれー。それが意識の成長です。それでこそオーラソーマを学んだことになるのですヨ!
電気の月23日・KIN132黄色い月の人[10月12日(金)] 続・ピン

あー、昨日の日記は長くなりすぎました。
でもなんか、書き足りないかんじがします(シツコイ、笑)。

確かに、今回の決断の一番の決め手は「ピン」とこなかったからなのは事実ですが、そう決断するまでにはいろいろ考えました。

ハートの真実(愛)は感じなかったけど、実利的な期待もあるし収入UPとか考えると、ここはひとつそれでもこの依頼を受けるのも手だと思ったのです。そして自分の利益ということだけではなく、自分がもっとたくさんの人たちに貢献できる土台作りになるかもしれないとも考えました。
もしも依頼を受けたときに考えられる限りの未来を想像して、利益やら人間関係やら仕事内容やらを検討しました(こういうトコけっこう左脳人間だなぁと自分でも思います)。
しかし、どうしてもやっぱり胸が苦しくなるのですね。あまり楽しくないのよ。

それならば!と今度は、依頼を受けなかったときの未来図も想像してみました。
自分が受けなかったら他の誰かがこの依頼を受けるだろう。その人が、依頼を受けたことをきっかけにどんどん成功していったとして、それでも自分はその人に嫉妬したり後悔したりしないか?と、自分に問いかけてみました。
答えは「しなーい」でした。

徹底的に考えられるだけの未来予想図を思い描いてみて、考えて考えて考えて〜、最終的には「ピン」で決めるのです(笑)。
こういう自分は左脳派なのか右脳派なのか。願わくば両方使える人でありたいのだけど。

後日談としてはですね〜、決めたことに後悔はないけどやはり断るって罪悪感もあって、ドキドキしながら先方に電話をかけたんですね。
「(ドキドキ)大変申し訳ありませんが、今回のお話はお断りさせてください」
「あ、そうですか。分かりました(ガチャ)

あー、そうきましたかー。(予想していたことでしたが)あんなに熱心に依頼してくれてたのにな〜と、あまりのあっさり具合に拍子抜けです。
先方の私に対してのこういうところをなんとなく感じていたから、気が乗らなかったんだなとはっきり分かりました。「別に私じゃなくても良かったのね」。胸の中にぽっかり穴が空いてひゅる〜っと風が抜けて、終わりました。

ハートでコミュニケーションできないと虚しいですね。少なくとも私はこういう虚しさは嫌いです。だからやっぱりハート(愛)は大事だな〜とあらためて胸に刻んだ出来事でした。
電気の月22日・KIN131青い磁気の猿[10月11日(木)] ピン

今日は新月で、とてもユニークな体験をしてきました。でも昨日の日記に、ある依頼をお断りした話の続きを書くと書いてしまったので、今日の体験談はまた後日にしましょう。とても面白かったので近いうちに書きますねー。


昨日は白い犬の日でした。「ハート・愛する・忠実」の日。KINは130で13番ボトルはクリア/グリーン。そしてまた昨日は10月10日。10番ボトルはグリーン/グリーンです。
グリーンのテーマはハートの真実(つまり愛)と決断です。私にとっては昨日はまさに決断の日でした。あとはその決断が「ハートの真実(愛)」に基づいているかどうか・・・です。

ま、お断りした一番の理由は「ピンとこなかったから」なんですけどね(笑)。
この「ピン」をもう少し詳しく言うと、そこに愛を感じられるかどうか、です。そこに純粋なワクワク感を感じるか?思いやりを感じるか?です。
この「ピン」はハートの真実(愛)からくるものですから、これに敏感でいることはとても大切だと思います。ただこの「ピン」を感じるのを妨げる要素がいろいろあるんですよね。

私が何かを決断するときにいつも気をつけているのは「それが愛に基づくものか・恐れに基づくものか」です。

まずこの依頼を受けたい自分の理由を考えました。それはこんなカンジでした。
・収入が増えるかも・名誉を得られる・ちやほやされる・自慢できる・仕事の幅が広がるかも
その依頼はとても名誉あるものだったから、こうなる可能性は充分あるのです。私は自尊心がとても強い人間なので、そこをくすぐられるとぐらつきます(笑)。
そして依頼を受けることをためらう自分の理由はこんなカンジでした。
・彼らから私に対して愛を感じられない。そして私も彼らに対して愛を感じられない、(名誉な話なのに何故か)ワクワクしない
・それを受けるためには私の価値観を曲げないといけない←詳しくは言えないのですが
なんとも曖昧な理由です。

自尊心の強い私が、その自尊心を満足させるために自分の価値観を曲げるって、すごくヘンですよね。自分の価値観を曲げるって、つまり自尊心を傷つけられるってことだもんね。
依頼を受けることによって得られるであろう他人から認められるという自尊心の満足と、自分の価値観を曲げずに自分を認めるという自尊心の満足と、どちらを選ぶか?こういうとき、「ピン」を感じるアンテナが狂いやすいですね。
「他人から認められて得る自尊心の満足は、実は愛ではなく、他人から認められないと怖いという恐れに起因するもの」なのです。
それはまるで、プロスポーツ選手が八百長するようなものです。八百長で勝って名誉や報酬を得ることができても、本当の意味で自尊心を満足させることはできません。むしろ自尊心を傷つけているでしょう。つまり愛ではなく恐れからの決断は、自分を傷つけるのです。
本当に自分を愛していたら、愛に基づいて決断するとしたら、どっちを選ぶでしょうか?

これが今回の依頼に「ピン」とこなかった理由です。私の理由はこうです。

そして、もうひとつ大事な「断った相手」のこと。

この決断がハートの真実(愛)に基づいているものなら、それは相手にとっても良きことです。何故ならグリーンは自己のイエローと全体のブルーの両方を含んだ上での決断だからです。だから私にとっても相手にとっても真実であるはずです。
今回私が断ったことで、彼らの自尊心を傷つけたかもしれません。「自分のせいで相手が傷つくかも」という思いも、「ピン」を感じるアンテナが狂いやすいですね。けれど、本当にハートの真実(愛)から出す決断であれば、つまるところお互いに傷つくことはないのです。傷ついたと思うのは表面の自分で、深いところでは傷ついていないのです。それを信じましょう。それを信じられればNOも言えるよね。愛に基づく「NO」です!

彼らが(何の理由かは分かりませんが)、恐れに基づいて今回私にその依頼をしてきたのが分かります。そこに「愛」を感じられないことで、それが分かるのです。
私が依頼を断りもし今彼らの自尊心が恐れに基づくもので傷ついているならば、このことをきっかけにして彼ら自身にそのことに気づいて欲しいと願います。

なんだか自慢話に聞こえてしまうでしょうか。でもそれが事実なのよ。自慢とかじゃなくて、単なる事実のつもりなんだけど〜。大丈夫かな〜(←恐れ)。
電気の月21日・KIN130白い宇宙の犬[10月10日(水)] 素晴らしき哉人生

今日で「白い鏡のウェイブスペル」が終わります。白い鏡は私のKINでもありますが今回のウェイブスペル、初日にある団体からコンタクトがありある大きな依頼を受け、いろいろ悩みつつ今日正式にお断りしたという、なかなか面白い13日間でした。そう、断っちゃった。

あまり詳しいことは言えないのですが、とても光栄な名誉あるお話だったのです。じゃあ何故断ったのかしら。

「すべては必然である」「出会う人はすべて縁ある人だ」と、私は思っています。だからひとつひとつの出会いを大切にしたいと思っています。
でもそう言うわりには、人付き合いが悪い私でもあります。この仕事をしていて名刺を持っていないなんてアリなのか!?と自分でも思いますが、持ってないのよ、わっはっは(←やや自虐的な笑い)。でも持ってなくてもなんとかやっていけるものなんですね。名刺を渡さなくても大切な人とはちゃんと繋がっているしな〜(・・・開き直り・・・)。

でもついさっき「出会う人はすべて縁ある人」と書いたばかりじゃないかと思うでしょうか。
私の思うところでは必ずしも、縁ある人=お付き合いがあるということではないと思います。自分にとってその人が必要か必要ではないか・その人にとって自分は必要か必要じゃないかを識別する練習をするために、目の前に登場する人もいると思うのです。
「これも必然だから」なんてい言ってなんでもかんでも受け入れてたら、自分にとってなにが一番大切なのか分からなくなっちゃいますよ。そういうときはNOを言う練習だと思っています。NOを言うのは勇気がいることかもしれないけど、そうやってみて初めて何が必要か(大切か)が分かることも多いです。

ここで言う「その人が必要か必要じゃないか」とは、利害関係とか打算的なことじゃありません。お互いの魂の学びのために必要か必要じゃないかと言うことです。自分には必要じゃないと識別(←判断じゃないよ)した人も、必要じゃない人を識別する練習のために必要だったわけなので、ある意味全ての人は必要な人なんです。ということは、やっぱり出会う人はみんな縁ある大切な人です。ややこしいなー、苦笑。

もう一生会わないかもしれないけど、この数日私の前に現れてくれてありがとうございましたと、今回の人には言いたい気持ちです。ホントよ。


・・・で、なんでそんな良い話を断ったのかについてですが、長くなりそうなのでまた明日にでも書きますね〜。
電気の月20日・KIN129赤い水晶の月[10月9日(火)] 矛盾

今日いらしたクライアントさんとセッションの終わりに雑談していたときのこと。
彼女は最近猫を飼い始めたそうで、もう可愛くて仕方ないみたいでした(笑)。バッグの中に持ち歩いているその猫の写真を見せてくれたのですが、それはアメリカンショートヘアの子猫で、私の実家で飼っていて4年前に若くして亡くなった猫と同じ種類でした。私はその写真を見た途端、死んでしまった猫のことを思い出して、不覚にも泣いてしまいました(泣いたといってもこっそりだから、クライアントさんにはばれていないはず)。

後で、何故泣いてしまうのか考えてみました。

・突然のことだったので、ちゃんと見取れなかったから・お別れが言えなかったから
・生きている間にもっと彼(=猫)と遊んだり面倒を見てあげればよかったという後悔
・まだ若かったからもっと生きられただろうに申し訳ない
・病気で苦しかったろうにちゃんと治療してあげられなくて申し訳ない
・会えなくて寂しい
・どうか今安らかにいてくれますようにと祈ることしかできない歯がゆさ
・短い間だったけどとても楽しかったよ。我が家に来てくれてありがとうという感謝
・どうして逝ってしまったんだと納得できない気持ち

こんなところでしょうか。

10月2日の日記に、「相手を愛しているならば、その人の自由意志による選択を尊重してあげることが大切だ。例えそれが死という選択でも」と書きました。
「人間の本質は魂であり、そこに死はない。移行があるだけだ」みたいなことも書いてます(今、読み返してみたの)。
何言ってやがるんだ、私・・・というかんじです、とほほ。4年前の猫の死を、いまだに思い出すだけで泣くなんて(今こうして書いていても泣いてしまう)。相手(=猫)の自由意志を尊重・・・全然してないじゃん(笑)!

でも別にそんな自分のことを責めるつもりはありません(笑)。10月2日の日記に書いたことは私の本心です。でも死なないで欲しかったと思い、その死に今だに泣いてしまう私も正直な私です。
こうした整理しようのない矛盾を抱えながらこれからも生きていくんだろうな〜と思い、浅いため息をつく私なのです。
電気の月18日・KIN127青い惑星の手[10月7日(日)] 結婚観

さっきテレビで中田英寿がインタビューを受けていました。
引退して「旅人」となって世界を回っている彼の旅の動機に興味があったので見ていたのですが、視聴者から募ったヒデへの質問の中で一番多かったのが「結婚しないんですか?」だったことにまずがっくり〜。「日本人はそんなことにしか興味がないのか!?」と、なんだか怒り心頭になってしまいました(笑)。
その質問に対してヒデは「結婚願望はないです。結婚したくないわけじゃなく、結婚の必要性を感じない」でした。あっぱれ!!安藤優子はその答えにやけに食いついていましたが、私はその気持ちがよーく分かります。私も結婚願望を持ったことがありません。

家同志の利害関係とか政治的な理由があるならば、結婚と言う契約を結ぶのは分かります。昔の人たちの多くにとって結婚とはそういうものだったのです。結婚の日に初めて相手と顔を合わせるのも、そういうことならば納得です。愛情じゃなくて契約なんだから、それでかまわないですよね。
しかし時代は変わり、個人の自由が尊重される民主主義の社会になると、家のためとか政治的な理由で結婚という契約を結ぶ必要がなくなったのに、何故か結婚という制度だけは残り、いつのまにか結婚とは「愛情」という人の気持ちに対しての契約になりました。「あなたを一生愛することを誓います」ってやつですね。
でもなんかヘンじゃない?そもそも「愛情」に対して契約を結ぶなんて無理だって思いませんかね?だって愛情はモノじゃないわけだし、人の気持ちは変わるかもしれないものじゃありませんか。誰かのことを好きだという気持ちが次第に変わったからといって、その人は不誠実だとかいうことじゃないよね。

ひとりで生きることは不安です。お互いに愛し合って信頼しあって助け合っていけるパートナーがいるのはとても素晴らしいことです。でもそこで結婚という契約をすることの必要性があるのかしら?だって、結婚という契約によって得られる保証は、私から見れば蜃気楼のような幻です。

私だったら、幻よりももっと確かなものの方が良いけどなぁ。まあ、その「確かさ」は決して目に見えないものですし形にできないものなので、あとは自分を信じるしかないことなのでしょうが。
でも「形」という幻に惑わされない中で得る「確かな」絆は、とてもとても幸せな感覚ですよね。ヒデもそういう意味でのパートナーはいたらいいなと言っていましたが、私もそういうパートナーはいいなと思います。

こういう考え方はヘンなんでしょうか?どう考えてもヘンだと思えないんだけどなー(笑)。やっぱりヘンなのかなあ。
電気の月17日・KIN126白い太陽の世界の橋渡し[10月6日(土)] 金木犀到来

ついに!ついに来ました!金木犀の季節がー!大好きなんです、あの香りが。金木犀の甘い香りは、私がやはり大好きな季節・秋の便りです。

今日のお昼に食事のために外に出て近所を歩いていたとき、ふわぁんとほのかに香ってきたんです。それが今年の初金木犀でした。一緒に歩いていた生徒さんと思わずやったーと喜び合ってしまいました。
更に驚いたのは、その1時間後、食事を終えて同じ道を戻るときに、さっきより香りが強まっていたのです。この1時間の間にも金木犀の花がどんどん開いているのかと思うと、たまらなくワクワクしました。

更に更にその7時間後、夜仕事が終わってまたしても同じ道を歩いていると、今度はふわぁんどころかびゅわーーっと香ってきたのです!もうお昼のときとは完全に香りの強烈さが違います!見れば、確かに花の咲き具合が昼間とは違います。こんなに急速に咲き始めるものなんだなー、すごいなー。

金木犀の季節は短いですよね。本当に香りが街中に漂うのはせいぜい10日くらいじゃないでしょうか。でもだからこそあの香りをた〜っぷりと味わいたいです。

花があっという間に咲き始めることを今日知りましたが、ということは散るのもあっという間。楽しみましょう〜。
電気の月16日・KIN125赤い銀河の蛇[10月5日(金)] 信念

先日、オーラソーマやこの業界とは全く無縁のある方と話をしていて、「自分が幸せに生きるために何が必要かを知るって大切じゃないでしょうか」と言ったら、ぽかーんとされてしまいました。明らかに、そういうことについて(少なくとも意識的には)考えたことがないのが、すぐに分かりました。
私自身はそれこそ子供の頃からそんなことばっかり考えてる人間だったし、今こういう仕事をしていると周りも同じような考えだったりもするので、そのリアクションはある意味とても新鮮でした。そうだそうだ、世の中にはいろいろな考えの人がいるんだと、分かってはいたけど今一度確認できました。

別にオーラソーマを学べと言っている訳じゃありません(笑)。スピリチュアルに興味を持てと言うつもりも全然ありません。そんなことはいーの。そういう細かい話はいいから、もっと大切なところを見て欲しいの。じゃあ、何が大切だと私は考えているのか?そう、私には私なりに「幸せに生きるために大切なのはこれだ!」という信念があります。

テレビのニュースや新聞を読むたびに、人生が上手くいかなくて苦しんでいる人がたくさんいることを思い知ります。ぽかーんとしていたその人も、今自分が幸せだとは思っていないそうです。不幸せよりは幸せな方が良いよね〜?ならば、苦しんでいる人はどうすれば幸せになれるの?

幸せな・毎日が楽しいと思える人生を過ごすために、自分自身と向き合うことがとても大切だというのは、私の信念です。だから苦しんでいる人に「私が」できることは、それを伝えることだと思っています。怪我を治してあげるのとは違って、自分と向き合うことはその人にしかできません。誰も代わりになってはあげられません。だから「伝える」のです。
何ができるかは人によって違うはずなので、あくまでもこれは「私の」場合ですよ。人によって信念も様々でしょうけどそれが「私の」信念だから、もし誰かに「どうすれば幸せになれるの?」と聞かれたら、私の信念に基づいてそれを伝えるのです。

自分に信念があるのはとても素晴らしいことです。オーラソーマではこれをブループリントとも言いますが、いずれもブルーのキーワードです。
信念があると、下手に振り回されません。1本芯が通ってるかんじです。だから迷うことも少なくなるし、傷ついてもまた立ち上がる強さも出てきます。そんな自分を好きになれます。あら、良いことづくめじゃない(笑)。

では今私の中にある信念はどうやって形作られたか?どうなんでしょうね。上記したようにもともと何十年もそんなことばかり考えていたので、いつのまにか・・・かなぁ。それに今だって信念をより強化?するために日々自分と向き合っているから、信念自体がもっと変化(というか「進化」)してゆくといいな〜と思っております。

あ、でも今までの人生を振り返って、「これだけは譲れない」と思ったことってなんだっただろうと、考えてみるのは良いかもしれません。私はその辺をじっくり突き詰めているうちに、徐々にこれが私の自信のある部分であり、つまり信念なんだと思えてきましたね〜。
電気の月15日・KIN124黄色い共振の種[10月4日(木)] 右左脳の統合をめざせ

今、私の身の回りに面白いことが起きています。ああ、話したい。でもまだ話せないー。近日中に話せるのかな?

「探しているものをハートに求めなさい、そして真実のあなたであることを妨げているものを癒しなさい。それがオーラソーマの試すことです」 by エレノア・アルバース

今起きていることを私はどうしたいのか・・・悩みます。

物事を決断するとき、右脳的に感じることもとても大切だと思いますが、私の性格だとどうしても左脳的な分析も使いたくなるんですよね〜。
私が自分でも特技なんじゃないかと思っているのは、右脳と左脳を使い分けることです。まあ実際どうなのかは分かりませんがね、自分としては「今は右脳に任せよう」とか「今は左脳的に判断した方が良さそうだ」と、頭の中にあるスイッチを切り替える感覚で両方を使い分けていて、やろうと思えば両方同時に働かせていたりもするな〜と思うのです。これはなかなか便利な機能です。あ、でもこんなこと誰でもやってることなのかな?

おとといの夜その悩んでいることについて瞑想して感じたことは「ハートの真実に従いなさい」でした。でも言葉として感じたのではなく、感覚として受け取ったかんじです。右脳のことって本当に言葉では説明しにくいですよね。そしたらシンクロで、夕べ上記のような一文の載ったメールをもらいました。
同時に、それをある一方の結論を出した場合ともう一方の結論を出した場合の、それぞれの自分や周囲のことを、考えつく限りでシミュレーションしてみてどうするのが良いか判断しようとしている自分もいます。
まだ結論は出ていませんが、たくさんの可能性をコンピューターのように解析しているかんじです。そこにあまり個人的な感情ははいってこないのですよね、私の場合。

この両方の感覚どちらも大切だと思っています。ただただ感覚的なだけでもない、ただただ分析的なだけでもない。両方を統合してひとつの結論をだしたいです。「だしたい」というよりも「そうやって結論をだすのが楽しい」のよ〜。
電気の月14日・KIN123青い律動の夜[10月3日(水)] クラウンレスキュー

なんだかここのところ人が亡くなる(もしくは病気の)話ばかり耳に入ってきます。昨日そんな最近思うことを書いたのですが、今日もまた死について書いてある、とあるメールをもらいました。死というか78番のクラウンレスキューについてです。そこにはなるほどと思うことが書いてありました。要約すると・・・

「賢い人は永久に目を覚ましていることや、けっして死なないことを求めません。彼はそれがものごとの自然の秩序に反することを知っているのです。眠りがなければ目覚めはありえません。死がなくては新しい生はありえないのです。私たちはより大いなるもの、「生」の手のなかにあります。これと和解して手放してください。新しい目覚めが何をもたらすかを知っている人はいません。」

「死がなくては新しい生はありえない」か・・・。これ、言葉を入れ替えても良いかもしれませんね。例えば「不幸なくては幸福はありえない」とか「苦しみがなくては喜びはありえない」とか。クラウンレスキューはバイオレットを癒すボトルです。生と死・幸福と不幸・喜びと苦しみを、区別なく愛せるようになったらすごいことだよね〜。

そして「より大いなるもの」。私たちはどうしたってそれの外に出ることはできないのです。それの手のひらの上で踊ることしかできません。だから、自分が平和でいるためには、「より大いなるもの」を信頼すること、そして手放すことが大事なのです。それが「死」であっても。

・・・などと書いていますが、私自身まだまだ死が怖くてたまらない人間です。
私の母はいつ死んでも悔いはないと日頃言い切っていますが、そう言えるってすごいなーと思います。私はもし今死んだら悔いだらけかも。いやこれまでの人生に悔いはないけど、まだまだ生きてやりたいことがあるから、悔いじゃなくて未練が残るかんじですかねー。
電気の月13日・KIN122白い倍音の風[10月2日(火)] 移行するとき

昔、知人が亡くなったときのことです。

彼女と私とあと数名は、スピリチュアルなセミナーで知り合った仲間同志でした。その彼女が重い病気で余命半年と宣告されたと聞き、私たちは彼女にエネルギーを送ろうと決めたのです。何故なら彼女は海外に住んでいて、直接会いには行けなかったから。
そのとき私たちはエネルギーをこんな風に送ったのです。「彼女が治りますように」ではなく、「彼女にとって一番良きことが起こりますように」と。
それを始めて1週間もたたないうちに彼女は亡くなってしまいました。余命半年だったはずなのに、それよりずっと早く逝ってしまったのです。

私はその経験で、とても大事なことを学びました。

「治りますように」という思いは、大切な人の死を前にして誰もが持つ自然な感情だと思うし、それを否定はできません。だけどその思いがエゴとして、ときに相手を縛ってしまうこともあるのかもしれません。肉体を伴うことによる痛みや苦しみから解放(それはつまり死のことです)されるのを妨げてしまうのかもしれないのです。自分はその人にまだ死んで欲しくない・そして相手もそう思っているはずだ、相手にとってもそれが一番良いことなんだ・・・と。

その人も死にたくないと思っているかもしれません。しかしもっと深いところでは、その人がどう思っているかは分からないのです。
だからもしもその人を愛しているなら、その人の自由意志を尊重してあげることが大切なんだと学びました。逝きたいときに逝かせてあげることも愛・もしかしてより深い愛なんだろうなと思いました。

実際、私の知人が亡くなったとき、もちろんとても悲しい気持ちはありましたが、同時に不思議と大きな安堵感があったのです。「ああ、彼女にとって一番良きことって逝くことだったのか。彼女が心からそれを望んでいたのならそれを助けてあげられて良かった」。

彼女は正直言ってそんなに親しい知人というわけではありませんでした。だから取り乱さずにいられたのかもしれません。もしもこれが家族や親友でも同じように思えるのか・・・それは全く分かりません。
でも私は、人間とは本質的に魂の存在であることを知っています。そこに死はなく、移行があるだけです。ならば、そう思えるような人間でありたいです。その人を愛しているほどに、その人のために。

※でもやっぱり肉体として会えなくなるのはたまらなく寂しいけど
電気の月12日・KIN121赤い自己存在の竜[10月1日(月)] ティーチャーの仕事

休暇以外でこの日記が2日空いてしまったのは初めてかも!?この2,3日、なんだか家に帰ると眠くて眠くて寝てしまっていました・・・。


レッドコース(レベル3)が終わり感じたことですが、「目覚め」と「グランディング」は、切っても切り離せない関係なのかなと思いました。
オーラソーマではこのふたつはどちらもレッドのテーマで、今回のコース中にも何度も話題に登った言葉でもあります。
目覚めているのにグランディングしていない人って想像できないし、グランディングしているのに目覚めていない人もありえなーい、と思ったのです(笑)。
ということは裏を返せば、目覚めればすなわちグランディングができるということで、グランディングできれば自然と目覚めに繋がるってことなのかな。アーススターを活性化させるということは、目覚めでありグランディングである、と。

「目覚め」「グランディング」とは、意識的に生きることかな。

でも、自分が今意識的に生きているかいないかって、どうやったら分かるのでしょうか?だって日々自分を意識しない人なんていないでしょうから、そういう意識とここでいう意識はなにが違うの?って思うかもしれませんね。

えらそうな言い方をしてしまえば、目覚めればおのずと分かるのだと思います。「目覚めるってこういうことなんだー」って。だって目が開くわけですからね。逆に目覚めていない人の方が、自分が目覚めていないと気がつきにくいのかもしれません。何故なら目が開いていないから。
目を閉じたままで空想する目覚めた自分を、真実の自分だと思っているのかもしれません。それは例えば夢の中の自分みたいなものです。夢の中では自分は総理大臣になっているかもしれません。そして夢を見ているときはそれがとてもリアルな体験です。でも夢から覚めたらいつもの自分のまま。まさに目覚めていないのです。
でも目を開ければそのとき真実の自分が見えます。それが「目覚め」。だから目覚めれば、今自分が目覚めているかどうかが分かるのです。

オーラソーマティーチャーの仕事は、生徒さんの目覚めをサポートすることも大事な仕事だと私は考えています。ティーチャーが、生徒さんにボトルの番号を全部覚えさせることとかボトルの意味を説明できるようにすることだったら、ティーチャーなんて簡単だよ(と言い切ります)。でもそうじゃないんです。

「目覚めをサポートする」。そんなティーチャーの仕事って難しいよなぁ・・・としみじみ。生徒さんの目の前で手をパンパンたたけば目覚めるってコトじゃないもんね。
でもだからやりがいがあるわけですし、自分の目の前で生徒さんが目を開いてゆく姿を見るのは、本当に美しくてキラキラ生き生きしていて感動します!