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電気の月9日・KIN118白い磁気の鏡[9月28日(金)] 完全な有資格プラクティショナーって?

オーラソーマでは、レベル2まで受講すれば誰でもプラクティショナー登録をして、資格を取りプロとして活動できます。来年の9月からこの辺の規則が変更になります。レベル2までの受講で誰でも登録できるのは今後も変わりませんが、2年ごとに更新されるこの資格を更新するためには、初回登録から3年以内にレベル3まで受講し終えていなければいけないという規則が追加されます(実際にはそれ以外にもいくつかありますが)。

もともとオーラソーマの学びは、レベル1からレベル3までにひとつの大きな流れがあるものです。オーラソーマというカラーケアシステムが一体どのようなものなのか?何をサポートするものなのか?その全体像とでも言うべきものは、レベル3まで学んで初めて見えてくるものだと私は考えます。だからプラクティショナーとして一般の方に向けて活動していこうという人なら、必ずレベル3までは受講していて欲しいと私も思います。
ただ、今までは強制ではなかったものが、来年から規則として必ず受けなければいけなくなるということです。

「レベル3まで受けなければいけないなら、何故レベル2の段階で資格が取れるの?」と疑問に思うでしょうか?

これはあくまでも私の考えですが、レベル2の段階での資格は車の「仮免許」みたいなものかなと、(誤解を受けることの恐れもありますが)そんな例えをしてみます。

車を路上で安全に運転できるようになるには、実際に路上に出て練習しなければできないですよね。でもまだ運転できないのにいきなりひとりで路上に出ては、事故を起こしてしまうかもしれません。だから「仮」免許という形で、横に教官が乗っている中で路上に出ることが許可されます。その状態で練習してから本免許が取れてひとりで路上に出られるのです。

オーラソーマの場合もレベル1の段階では、「有資格者」になるために友人知人を相手に無料でコンサルテーションの練習をするのは、むしろ奨励されています。やってみないことにはコンサルできるようにならないですからね。教習所内で運転しているかんじですかね。だから、どんどん練習してくれ(笑)!
そしてレベル2の段階では、実際に一般の方に向けてのコンサルテーション活動ができるようになる。これは実際に路上に出て運転ができるようになるのと同じことです。ただこの段階ではまだ仮免許であって「完全な有資格者」ではないということです。ま、オーラソーマの場合は車の免許みたいに、となりに教官がついててくれるわけじゃないですがね。
そしてレベル3で、オーラソーマがどういうものなのかの全体像まで学んで初めて、「完全な有資格者」になるのです。ひとりで路上に出ても大丈夫・あとは自由に好きなところにドライブにでもいってらっしゃ〜いと、お墨付きをもらうということです。

・・・てなカンジかな〜と。
レベル2の段階でも誇りを持って頑張っているプラクティショナーさんもたくさんいるし、むしろ誇りを持っていて欲しいと願います。だから「仮免許」という言葉では失礼かなと思うしあまり良い例えじゃないかもしれませんが、私は来年から規則が変わる理由はそういうことだと考えています。

今レベル3コース中で、今日ちょうどそんな話題になって。レベル1や2まで学んでいたときとは、オーラソーマに対する見方が全然違うみたいなことを生徒さんが話していたもので。ティーチャーとしては、そう感じてくれたならとてもうれしいです。
電気の月8日・KIN117赤い宇宙の地球[9月27日(木)] 願い

昨日の続きのような話ですが、ちょうど今日ある本を読んでいたら「反戦よりも非戦」と書いてありました。ああ、たしかにね。
非戦とは「戦争をしない」ということ。反戦とは「戦争に反対すること」です。この違いは大きい。

また別の本には「日本人が海外に比べてイマイチ反戦運動に消極的なのは、「反対」することでは根本的な解決には繋がらないということを民族的に知っているからではないか」と書いてありました。なるほど。

反対するというやり方ではなく問題を解決するには、相当な忍耐や信念が必要な気がします。それを実行していると私が考えるのがダライラマです。
そのダライラマでさえ去年来日講演時に、会場から「個人的に願うことは何ですか?」と聞かれて、「生きている間にもう一度チベットに帰れたらうれしいですね」と穏やかに微笑みながら話しているのを聞いて、私は思わず落涙してしまいました。

しかし私も実行することはできます。暴力(傷つける)ではなく、反対(否定する)でもなく、屈する(否定される)でもなく、問題を解決していけるように、日常の小さなことからそれを実行していきたいと思います。

・・・などと書いていたら、ミャンマーのデモで死亡者とのニュースが。・・・・・・・・・・・・。それでもそれでも!
電気の月7日・KIN116黄色い水晶の戦士[9月26日(水)] オリーブグリーン

振り返ってみれば、私は学生時代からクラスのいじめられっこみたいな人と仲が良かったな〜と思います。なんでかなと考えてみるとなんのことはない、私はその人のことが別に嫌いじゃなかったからです。ははは、単純。
いじめられっこと仲良くしていると、時に自分もハブられてしまうこともありますよね。しかし私はそれもなかった。普通にみんなとも仲良くしていました。なんでかなと考えてみるとなんのことはない、私はみんなのことが別に嫌いじゃなかったからです。ははは、単純。

私はいじめられっこが可哀想だからその人を助けるために仲良くしてたわけじゃなく、ただクラスメイトとして他の子と同じように接していただけなんです。そうしない理由がなかったし、それが私には自然の状態でした。
いじめられて可哀想だからその人と仲良くするということは、いじめている子達を暗に非難していることになってしまいます。人は否定されると否定し返すことが多いですから、そうすると自分もハブられてしまうのかもしれません。私がどちらとも仲良くしていられたのは、どちらのことも否定していなかったからかもしれないな〜と、今は思います。決して世渡り上手なわけではありません(笑)。そこまで計算してないし。
でもそういうのは「八方美人」とも言うかもしれませんね。私はそれでけっこう悩んでいた時期もありました。みんなと仲良しということは、結局のところ誰にも深入りしていないことなのかな。それって冷たいよなって。

昔、あるセラピーを学んでいたときに、考え方の違いからメンバーが2つに分裂してしまったことがあります(とほほ)。そのときも私はどちらの派閥にも属することなく、どちらとも付き合っていました。でも誰からも文句は言われなかったよ〜(笑)。
そのセラピーが好きでやっているという点で私たちは同じ目的を持っている仲間なわけだし、本質的な部分で間違ったことをしているならともかく、そうでないのに彼らに従わなければいけない筋合いもないし、私は私なりのやり方でそのセラピーを続けていました。ただそれだけのことで何も難しいことではないと思うのだけれど、どうして否定し合って派閥なんて作るのかな〜と思ったものです。もっと高い目的というか、高い次元で自分や自分たちを見てみれば、おのずとそこに違いが無いことに気づくと思うんだけどな〜とね(こういうところが深入りしない冷たさ?)。

元々私はどこにいても「無所属」になってしまう人間です。どこにも属さないということは要するに一匹狼なのですが、それが寂しいと思うときもあるけど、やっぱり私には(良い悪いではなく)それが一番居心地が良いポジションなのです。でもそれは人によって違うはずだから、派閥に入りたい人はみんな自分の好きな派閥に入ればいいだけのことです。そして他の派閥の人を否定しないこと。それってそんなに難しいことですかね?

「競争ではなく共同創造」。これはオリーブグリーンのテーマです。最近92番のペールコーラル・オリーブグリーンを選ぶ人が非常に多く、今日も4人中3人が選んでいました!どうしたんだ、この人気過熱ぶりは!?

92番を見ていて、そして今日それを選んだクライアントさんたちの話を聞いていて、そんな自分の昔のことを思い出しました。
「ハートの真実に従う」。それが本当にハートの真実であれば、そこに(自己でも他者でも)否定はないのです〜。
電気の月6日・KIN115青いスペクトルの鷲[9月25日(火)] 小さな幸せ・大きな幸せ

10月に神奈川県の藤沢で「湘南すぴこん」があるみたいです。生徒さんが出展するので知ったのですが、今すぴこんも本当にあちこちで開催されるようになりましたねー。
すぴこんとは「スピリチュアル・コンベンション」の略です。スピリチュアル展示会みたいなものでしょうか?いろんなブースが出ていてお試しなんかも多数できるから、興味のある人はぜひ行ってみてくださいませ。会場にはかな〜りヘビーな人もいるからビギナーの方はびっくりすることもあるかもしれませんが(笑)面白いですよ〜。 湘南すぴこんのHPはこちらから


今日は青山で仕事があり夕方空き時間があったので、久しぶりに渋谷で買い物しました。
私はあまり物欲はない方だと思っていますが、季節の変わり目はやっぱりお洋服がほしーの。・・・ということで本日の収穫は靴・カットソー・ジーンズでした(あと服じゃないけどCDと歯磨き粉も)。

ジーンズを試着したときの担当の女の子がとてもカンジの良い子で、てきぱきしてるし商品に詳しいし(私はプロフェッショナルな人が好き)、お勧め上手だけどちゃんと誠実で、しかも笑顔を絶やさないのです。ついついのせられてその子が勧めてくれたものを購入してしまいましたよ。でも別にそれで良いんですよ、もちろん。だって本当に私が選んだものよりも、その子が勧めてくれたものの方が素敵だったし(それがのせられてるってことか?)、とにかくとても気分良く買い物ができました。その前に靴を試着したときの担当の子があまりカンジが良くなかったので、尚更うれしかったのです。

こんな小さな出来事ですっかり気分が良くなってしまうなんてね。というか、こんな日常の小さな出来事がいかに大きいかってことですよね。一つ一つは小さいことだから気がつきにくいかもしれないけど、それが自分の心の状態に実は大きく作用しているんです。

小さな出来事が大切だって、前にも似たようなことを書いたような気がします。でも日々を過ごすうちにそのことを忘れそうになり、こうしてまた再確認して、それの繰り返しで少しずつ身に着けていくんですね。
あー、私も出会う人にできるだけ優しさや幸福感をあげられる人で在りたいー。
ま、でもね、それができない人はいないと思うんですよ。優しさが0%の人なんてこの世にいないと思っています。ただ1日のうちどのくらい優しい人でいられるかが人によって違うんだと思うのです。良いことがあった日は1日じゅう優しくいられるかもしれないし、嫌なことがあった日は1日じゅう不機嫌で人に優しくなんていられないかもしれないし。だから私が身に着けたいのは「優しさ」というよりも「優しさを持続できる術」なんです。

昨日選んだ2本目のボトルはイエローでした。「こういう精神状態のときってやっぱりイエローなのか。日常の小さな出来事に幸せを見出すイエローだよね。まさに今日の出来事はそれを思い出させてくれたわ」と感じました。

そしてもうひとつ。昨日から無性に笑いたくてたまらない自分がいます。私にとって、落ち込んでいるときの最高の薬は「笑い」・これまたイエローですね。
だから今日は帰宅したら「人志松本のすべらない話」のDVDを見ようと考えながら帰宅したら、なぁんと!今日は「すべらない話」の最新版を放送するというじゃありませんか!?シンクロシンクロ、わーいわーい。←うれしさの雄たけび
そういうわけなので今日の日記はこの辺で終わりにします。早くお風呂をすませないとテレビが始まっちゃう〜。
電気の月5日・KIN114白い惑星の魔法使い[9月24日(祝)] 落ち込み

コース中の朝、ポマンダーワークをするためにクラウンチャクラのあたりに手を置いた瞬間、自分の左右のオーラのエネルギーが全然違うことに気づきました。
昨日の落ち込みは小さなものだと自分では思っていたのですが、そのエネルギーの感じからして「まだそれを引きずっているのかな?」と感じたもののそのままコースは進みます。しかし徐々に自分の体調も心の状態も落ちてゆくのが分かり、軌道修正できないままに夜になってしまいました。
そして帰宅後は、力尽きたように(笑)ばったりと動けなくなってしまい、そのままソファで寝てしまいました。あー、思ってたよりもダメージが大きかったんだな。こんな状態でごめんなさい、生徒さんやクライアントさんたち・・・。

しかし落ち込んでいる今の私は、生徒さんに申し訳ないと思う一方で私はそれを言い訳にしているのかなとか考えてしまいます。あとは「良い人でいなければいけない」と思っているのかなとか。あとは「調子の悪い自分を見せるのは申し訳ないというのは言い訳で、ホントは単にそういう自分を知られるのは自分自身がカッコ悪い」と思っているだけのかなとか。つまり自分のことしか考えていないのかなと思うと、自己嫌悪です。

落ち込んでいるときの思考ってこうなんですね。こうして書いていてもやっぱりネガティブですね〜。
さて、私はここからどうやって立ち直るのでしょうか。立ち直るのにあと何日かかるでしょうか。観察好きな私は、落ち込んでから立ち直るまでの自分を観察するのです。落ち込みつつもそんなことを考えています。

ひとりが元気だと回りの10人も元気になれると信じている私ですので、早く立ち直れるようにがんばります〜。
電気の月4日・KIN113赤い太陽の空歩く者[9月23日(日)] 許すということ

電気の月になったせいか、あれほど溢れ出していた光はすっかり落ち着いたようです。なんかちょっと物足りないようなカンジ(笑)。そんな今の自分は、な〜んかまたボトルが変わっているような気がして選んでみたら、1本目が9番に戻っていました。67番も気になるところではありましたが、やっぱり9番でした。


いやしかし、今日は落ち込んだな〜。そして同時にとても感動的なこともありました。目まぐるしかった1日です。

どんなに傷つくような出来事があっても、それを笑い飛ばせるようになったらそれは傷が癒えた証拠だと思います。しかし今日は、私の中で笑えない自分を見せ付けられてしまいました。いたたた。心が痛いよ。

笑えない自分のひとつは、「思い通りにならないと嫌」な自分です。
物事が思い描いたとおりにいかないとふてくされるところとか。人に対してもそう。テレビのニュースを見ていても身近なところでも、「ありえない!?」とか「なんでそうなの!?」とか、しょっちゅう心の中で叫んでいます。
何故心の中でしか叫ばないかというと、そういう自分を恥ずかしいと思っているから・自分がそんなことを考えているだなんて人に知られたくないからです。つまりそういう自分を笑い飛ばせないからです。

そうかといえばやけに寛大なところもあるのですよね。
自分の中にスイッチのようなものがあって、スイッチが入ると「思い通りにならなくてもすぐに切り替えられる・そしてそれを許せる寛大な私」になります。じゃあいつでもスイッチ入れておけばいいじゃんと思うのですが、それができるときとできないときがあるのです。自分が一番思い通りにならないよ(苦笑)。
でも思い通りにならない自分を許してあげられたとき、人も許せるようになるのよね。

「ひとつである」という感覚は、私が13の月の暦から得ることができた最高のギフトのひとつです。この感覚を思い出せるとかなり「許せ」ます(笑)。それを取り戻すために瞑想は欠かせないのです〜。

許しかー。私にとっては長い長いチャレンジだな〜。
電気の月3日・KIN112黄色い銀河の人[9月22日(土)] 絵に描いた餅

今日からレベル3。レベル3はグランディングのレッドコース。

私はオーラソーマを学ぶ生徒さんたちに何を一番願っているかというと、グランディングして欲しいと思っているんだなーとつくづく思いました。
というのも今日いただいたある生徒さんからのメールにいたく感動してしまったからです。

それはオーラソーマじゃなくて先日開いた13の月の暦セミナーの参加者の方からのメールだったのですが、彼女がセミナーで気づいたことは、私がセミナー中に言ったことよりもずっとずっとずぅっと深く感動的な内容で、セミナーをきっかけにしてまさに彼女の中で13の月の暦がグランディングしたんだろうと分かる内容でした。

グランディングとは「根付く」ということです。
どんなになにを学ぼうとも、それは自分の中に根付いて初めて生きてくるのです。最初のきっかけは人から教わることかもしれません。しかしそれはいつか必ず自分のものにしていくことが大事だと思います。「誰かの考え」から「自分の考え」になったとき・「それを信じている」から「それを生きている」になったときが、グランディング(着地)完了のときです(笑)。そして人は着地して初めて歩き出すことができます(宙に浮いてても歩けないでしょ)。それが「本当の自分を生き始めること」、とも言えるでしょうか。

絵に描いた餅で満足しないで欲しいと思うのですよね。もしそれで満足だという人がいるならば、それは満足しているフリをしているだけではないかしらん。絵の餅でお腹一杯になる人はいないはずでしょ。餅は食べてこそナンボ!

こんな風に考えてしまう私はやっぱり「実践的な理想主義」のグリーンの人だね(今はマゼンタだけど)。
電気の月2日・KIN111青い共振の猿[9月21日(金)] マゼンタ再び

明日から始まるコースに備えて、ボトルたちを全部浄化していたときのこと。

0番のボトルから始めて、番号順に1本ずつ浄化していました。そして最近1本目に選ぶ67番のマゼンタのボトルまできたとき、「うっ」と手が止まってしまいました。「な、な、なんて美しいんだ・・・」(笑)。

急に胸がドキドキしてきてなんだか冷静でいられなくなってしまいました。でもとりあえず何事もなかったかのように、一度はボトルを手に取り浄化をしてまた棚に戻したのです。が、次のボトルにいこうとしてもどうしても67番のマゼンタに目がいってしまうのですぅ。で、ついにひったくるようにしてボトルを手に取り、さらうようにしてバッグに入れて持ち帰ってきたのでした。

この色を見ていると、ただただこの色の中に入っていきたい感じがします。私の中にあるというよりも私がマゼンタに包まれている感じかな。私にとっての憧れや羨望や追い求めて止まないなにかなのです。それは愛と憎しみ・喜びと悲しみです。そしてそれらを包括したものです。それを「愛」というのすらなんかまだるっこしいかんじ。愛以上のなにか・・・みたいな。あ、「散華」という言葉が近いかもしれません。

マゼンタに対しての学びは3年位前にもありましたが、今回はそれのもっと拡大バージョンです。以前のが自分から宇宙への拡大だとすれば、今回のは宇宙から自分への拡大です(縮小ではないゾ)。そんな感動的な感覚を味わうと同時に、私の中の未消化の部分も浮き彫りになってきました。
ひったくるように持って帰ってきたボトルを、使いたいのか使わずにいたいのか・・・私はこの肉体を慈しんでいる?この地球に生を受けたことをどう思ってる?これからじっくりボトルと向き合ってみます。

あああ、せつなーい。←すみません、ひとりよがりで
電気の月1日・KIN110白い律動の犬[9月20日(木)] 甘ちゃん

今日は「13の月の暦1DAYセミナー」の平日開催編がありました。来てくださった方、本当にありがとうございました。

終わってみて今ぼんやりと浮かんだのは、今年中にあと1回くらい開催したいな〜ということでした。それも今度は平日の夜の2回に分けてやってみてはどうかと思いました。そしたらまる1日使うよりも参加しやすい人もいるかもしれないし、実際こちらとしてももう今年は週末は空いている日がほとんどないしな〜と。うん、そうしよう。今決めました。9月中にはこちらのHPで告知させていただきます!

10月にはリコネクティブヒーリングも学ぶし、そしたらもしかしてアマーリエに新たなメニューが加わるかもしれません。こちらはまだはっきりしたビジョンは浮かんでいませんが、今年の終わりにかけてなにかの展開がありそうです。12月にはメキシコ行きも決定しました。
これも、来るべき来年に向けての準備なのかなー。なんとな〜くですが、来年(13の月の暦的には共振の月あたりから)にはなにかが新しくなっていそうな気がしています。具体的なものはなにも分からないにもかかわらず、そのエネルギーだけはすでに感じていて、今からワクワクしている私です(笑)。


さっき見たニュースに麻生さんと福田さんが出演していました。キャスターが「安倍さんは「美しい国」などとわけのわからないことを言っていましたが、おふたりが総理になったあかつきには日本をどんな国にしたいとお考えですか?」みたいな質問をしていました。

私としては「美しい国・ニッポン」を「わけのわからない」と言われてしまったことが複雑な気分でした。

例えば、部屋に美しい(けど高価な)絵を飾るお金があるなら冷蔵庫や洗濯機でも買った方が良い、とか、家に食料がなければ生きていけないけど、お花を飾っていなくても全然生きていける、とか。「美しさ」って生きていくためにどれくらい重要なのでしょうか?政治家は「美しさ」よりも「実利的」な見方を重要視する人の方が良いのでしょうか。安倍さんの言う「美しい国」は、心優しいけど甘ちゃんなお坊ちゃまが言いそうなわけのわからない戯言なのでしょうかね。
どちらかと言えば私自身、安倍さんと同じようなことを言うタイプだと思うので、「わけのわからない」とか言われて少々傷ついてしまったのでした。やっぱり私も甘ちゃんで夢見る夢子なのかなって。

テレビで見る限り麻生さんと福田さんはたしかにキャラが全然違っていて面白かったです。ちまたでは麻生さんの方がキャラ立ちしてると言われてるみたいですが、いやーそんなことないでしょ。麻生さんと並ぶと余計に福田さんのキャラも充分立って見えますよ〜。
どちらが総理になったとしても、このふたりでタッグを組んだら面白いのになーと思うのですが・・・そういうことを期待しちゃうところが、やっぱり甘ちゃんなのでしょうかね〜。
月の月28日・KIN109赤い倍音の月[9月19日(水)] 営業のコツ

今日で「月の月」も終わりです。月の月のテーマ「今年の私の挑戦は何か?」について、心の中を整理してみるのも良いかもしれませんね。そして明日からの「電気の月・今年の私の奉仕は何か?」にテーマは移ってゆきます。


昔、絵を販売する営業職をやっていたことがあります。美術の世界に憧れてやっと入れた会社がそこでした。
しかしその会社で扱っている絵や画家が、全く持って私が好きになれるものではなかったのです。その会社の「売れればよい」的な方針も嫌でした。
仕事だから、クライアントさんに買ってもらえるようにその絵を褒めまくるのですが、売れるたびに胸がチクチク痛みました。クライアントさんが本当にその絵を気に入って買ってくれるときは良いのですが、なによりも自分に嘘をついているのが辛くてストレスが溜まってしまったのです。結局大した営業成績も上げられずに半年ほどで辞めてしまいました。そのとき「自分は営業の才能がないな」と思いました。
ところが、その後今度は化粧品の営業の仕事をすることになったとき、そこでは営業成績が良かったのです。その会社は、肌の弱い私にも合っていてもともと使っているお気に入りの化粧品だったので、お客様に勧めるのも本心から言えるから苦ではなかったし、そうしていたら成績が良かったんですよね。

どんなものでもちゃんと売ることができるのが私が考える「営業のプロ」です。だとすれば私はやはり営業の才能はないと思います。でも私は営業のプロになりたいとは最初から思ってないし(笑)、ただ自分にもお客様(クライアントさんや生徒さん)にも誠実でありたいと思います。
何故なら自分自身が心から思っていることは、ちゃんと相手に伝わるから。それを2度の営業経験で嫌というほど学びました。言葉よりもその奥にある思いの方がより強く伝わるのです。
そして、伝わる「思い」はポジティブな方が相手にとっても良いですよね。だからポジティブな思いを伝えられるように、まずは自分自身に嘘をつかずに無理をせずに誠実でありたいと思うのです。そうすることで自分がポジティブでいられるし、そうすることで相手にもポジティブなものを与えられるから。

今、私がオーラソーマを通してちゃんとお客様が来てくれて生活の糧を得られているのも、まずは私自身がただ純粋にオーラソーマが好きだからだと思います。営業の才能が無い私には、戦略的に人を集めるとかビジネスとしてオーラソーマを扱うとかは、できないしやってて楽しくもないし上手くいかないし(苦笑)。
そりゃ、仕事としてやっている以上綺麗ごとばかり言ってはいられませんから、「どうしたら人を集められるだろうか」とかいろいろ考えますが、それらも「自己」の利益というよりも「(自己も含めた)宇宙」の利益みたいなレベルで、営業戦略を練ってるようなカンジ(笑)?自己のレベルでの利益に走りそうになるとちょっと立ち止まるようにしています。そして「オーラソーマが好き」という原点を思い出し、そこに心が帰るように努めています。

「宇宙の利益」のレベルで考えて一生懸命仕事してると(生きていると)、宇宙はちゃんとお膳立てをしてくれると思います。このときのポイントは「楽しむ」ことです。「楽しんでるフリ」じゃだめなの。そんなの宇宙はお見通しだから。宇宙に対して誠実に、心の底から楽しんで生きている人に、宇宙は平等に利益をもたらしてくれるんだよね〜。ここでいう利益はお金のことだけではなく「幸福」という名の利益もアリですね。
月の月26日・KIN107青い電気の手[9月17日(祝)] 時間差

相変わらず1本目にマゼンタを選びます。そしてついに2本目にターコイズを選び始めました。今までの自分は1本目がターコイズで2本目にマゼンタという順番が定番だったので、まったく逆転してしまったことになります。

今日の仕事終わりに、選んだボトルを並べてみました。頭で考えていると今だにこの順番に慣れなくて?意外だという感想しか出てこないのですが、実際に並べてみるとなんの違和感もありません。不思議だなぁ。・・・いや、「不思議」と言っているのはマインドのレベルでの自分であって、深いところでは「別に不思議でも何でもないじゃん。」とすんなり受け止めています。

大体においてマインドというのは、一番遅いんですよねー。テレビの衛星中継で画像より音声の方が遅く伝わるからズレが出るように、自分の中のより深いレベルの方がずっと早い。そこで受け取る情報がマインドレベルまで来るのに時間差があるような気がします。だから、マインドで理解・納得してから行動に移すと、後手後手に回ってしまうことがよくあります。そこで大切なのが直感です。マインドが各駅停車だとすれば、直感は特急みたいなものです。いちいち段階を踏まずに、いきなり核心をつくことができるのよね。あとは身体感覚も早いかな〜。そういった感覚に耳を澄ましていることが大切だと痛感します。

今回のマゼンタ事件(と私は呼んでいる、笑)にしてもそうです。マインドの自分はいまだに何故なのか分からずにやや混乱中ですが、深いところでは「だからそういうことなんだってばー」と言いたげです。

でも今日マゼンタのボトルをぼ〜っと眺めていると、なんだか今まで私なりに理解していたマゼンタとは違うように見えてきました。
私からするとマゼンタという色は、とても愛情深くて奉仕的なイメージだったのですが、もうちょっと突き放したイメージというか・・・うーん違うな、悲しみを伴っているような感じかな?包括的な愛みたいな?そういえばかつてあるティーチャーから「マゼンタは宇宙的な愛」と言われました。そんなかんじかな〜。

最近の「光を放つ」自分というのが、どうも愛情深くないような気がしていたのです。自分が光っちゃってヘラヘラしてるだけで(笑)、誰に対しても何もしてないんじゃないかって。なんとなくですがカッコつけた言い方をすれば超越しちゃってるカンジで。でも今の自分が超越してるとは思わないし、むしろいたって普通だと思っています。あ、そうか。この「普通」がマゼンタなのか!「上にあるがごとく下にある」在り方。

「並外れた在り方で普通であること」そうか!これがマゼンタだ!そーかそーか(←ひとり納得)。ね、このようにマインドの理解は遅いのだ〜。
月の月25日・KIN106白い月の世界の橋渡し[9月16日(日)] エルモリア

昨日あっという間に解決したはずの出来事がまだ終わっていませんでした(苦笑)。

今日また同じようなある出来事が起きてがっかり&イライラしてしまったのと、同時に昨日の出来事を思い出し再びがっかり&イライラしてしまったのです。終わったと思っていただけで、終わっていなかったんですね。カッコ悪いな〜。

そんな昨日今日の私が無性に使いたいのはエルモリアのクイントエッセンスです。9月になったくらいから使っていたのですが、なんだか無性に使いたくて、昨日今日と何回も使っています。
エルモリアを使うと「守ってくれてる」感があります。これがとても心地よい!
ただし決して押し付けがましくないかんじなのです。ただそこにいてくれる・・・。私はそうした守られ方が大好きです。とても大きくて深い愛と優しさを感じます。
そしてエルモリアは、「大いなる存在と繋がっている私」を思い出させてくれます。これもとても良い!

昔は「大いなる存在と繋がっている私」がどんな私なのか分からなかったから、エルモリアを使って初めて繋がってる感覚を実感できたときは感動しました。しかしそれはほんの一瞬の感覚でしかなく、あっという間にもとの自分に戻ってしまうんですね。
振り子の両端に「大いなる存在と繋がってる私」と「大いなる存在と離れている私」があるとして、最初は離れてるほうにばかり振り子が傾いていたんだと思います。だから初めて振り子が振れて繋がってる感覚になったとき感動したのです。でもすぐに振り子はまた反対の方(離れてる方)へ戻っちゃうのね。
しかし少しづつ、ほんと〜〜に少しづつですが、繋がってる方に振り子が振れる時間が長くなってきたのです。
半年に1回くらいしか繋がってる感を味わえなかったのが、1ヶ月に1回になり1週間に1回になり1日1回になり・・・いつのまにか繋がってるのが普通の感覚になりました。

・・・いや〜、まだそこまでは言えないかな(苦笑)。でもね、離れちゃったなと分かるようになれたこと・そして離れちゃったときにすぐに繋がりを取り戻せるようになれたこと。この2点の変化は大きいですよね。帰る場所があるって安心だよね。これが私にとってのエルモリアです。


※先日の「エアギター世界選手権」で見事2連覇を果たしたおおちの映像をユーチューブでやっと見つけました!やっぱ面白いなー、おおち。他の参加者のも見てみたけど、ダントツでおおちが面白いヨ!選曲も良いよねー。去年がJET・今年はOFFSPRINGで、お客さんもノリノリさ。個人的には去年の方が好きだけど、サングラスをかけてまぁるいお腹丸出しで観客を笑わせてるおおちさんを見てると、なんとなくブルースブラザーズを思い出しました。おデブな人って、エルモリアのような守られてる安心感を感じさせてくれるなぁ。あ、ただし明るいおデブな人限定です。
月の月24日・KIN105赤い磁気の蛇[9月15日(土)] もし私がカミサマだったら・・・!

誰かが自分の期待通りにならなかったとき、まあ人生そんなことばかりかもしれませんが、そんなときがっかりしちゃうでしょうか?それともイライラしたりするでしょうか?
別に誰かになにかを期待しているつもりじゃなくても、誰かの発言や行為にがっかりしたりイライラしたりする感情が出るということは、やっぱりそれだけその人になにかを期待しているということです。「こう言って欲しかった」とか「こういう人であって欲しい」
という思いがあるからこそ、その通りにならなかったときの「がっかり」であり「イライラ」です。
今日、それを思い知らされる出来事がありました。まだまだ「無条件」ではいられないのね〜自分。

その出来事があって、私の中からがっかり&イライラの感情が出てきてからの、私の心の中を実況中継してみますと・・・。

まず私の中で「おう、自分の中からこんな(がっかり&イライラ)感情が出てきたゾ。ということはまだ私の中にその人に対してのエゴがあるということだね。でもまあしょうがないね。よしよし(←自分を慰めていた、笑)」
その後は仕事があったので、そのことは一旦忘れて仕事に集中していました。なので、ここから先のことは仕事が終わった夜以降に再び考えたことです。

さて、どうするのが良いのかしら・・・。
1.今の自分の気持ちを相手に正直に伝える
2.何も言わずに自分の中に収める
そのふたつの選択肢しかすぐには思い浮かびませんでした。でもどちらの選択をとったとしても、なにかがしっくりこない感覚しかないのです。
そのときふと「もし私が神様だったらどうするかしら」という考えが浮かびました(笑)。どこかに神様がいて、高いところから今の私や相手の人を眺めていたら、どう見えるだろうか?そしてそこに大きな愛と光があったなら、私たちはどんな風に見えるだろうか?

それからイメージの中で自分があたかも神様になっているところを想像(創造)してみたのです。そして私自身や相手の人を眺めてみました。すると、あ〜ら不思議。あっという間に心の中からがっかり&イライラが消えてしまいました。
変わって浮かんできたのは、その出来事そのものが私の中のまだ無条件に愛せていない側面を教えてくれたものと思えてきたのです。つまりそれは自分に必要なこととして起きたことだったと思えたのです。そしてそのことは、私の人生になんのネガティブな影響もないこと・私自身に対してもなにもネガティブなことではないこともはっきりと分かりました。そのことがあったからといって、私の奥深いところにある光はなにも揺らいでいないのです。
そう確信できたら、むしろ相手の人にも感謝の気持ちが浮かんできたのです。これホントの話よ(あ、別に疑ってないか)。

こうしてまた一件の出来事が解決するのでした。


あとね〜、なんでそんなにがっかり&イライラが出てきちゃったのかについて、もひとつ分かったことがありまして。

昨日ある本に「クリスタルのブレスレットをつけるときは、仕事のときは右手に・プライベートや寝るときは左手につけると良い」と書いてあって、普段いつでも左手につけている私は、めずらしく今日のコース中(仕事中)は右手につけてみたんです。そしたら自分の中から攻撃的な側面が出てきちゃって、やけにイライラしてしまったんですよね。こりゃ良くないと思ってすぐに左手につけかえちゃいました。
それで思ったのは、一般的に仕事のときは積極的になれる・判断力がつくという点で、左脳的・男性性を象徴する右手につけるのが良いのかもしれません。でも私の仕事はむしろ受容的であることが大切だと思うので、その場合は仕事とはいえ右脳的・女性性を象徴する左手につけたほうが良いのかな、と。
クリスタルは、つける手によっても作用の出方が全然違うということをあらためて経験しました。以後気をつけようっと。
月の月23日・KIN104黄色い宇宙の種[9月14日(金)] 性格は直らない

昔からだけど、最近またよく見るようになった夢があります。それは「仲間はずれにされそうな不安と焦りと悔しさ」の夢です。
以前はいつもそんな思いを持ちながら生きていたけれど、もうほとんどそういう自分は無くなっていると思っていました・・・が、まだあったんですね〜。

学生時代から、でも社会人になってますます私は、(カッコつけた言い方をすれば)一匹狼的になっています。
争いごとは好きじゃないから人に合わせることはできるのだけど、本意じゃないことに合わせるのも嫌なので、結果的に一匹狼を選ぶのです。一匹狼なら、人と争うことなく自分のやりたいようにできるから。本質的には協調性がないのね。

でもそれって見方を変えれば、「一匹狼でいれば仲間はずれになることすらないから」とも言えるのです。

大勢でいると私はどうしても他の人が気になってしまいます。「自分だけが違う」という状態が嫌なんですね。別に私だけが違うからといって誰も私を仲間はずれにしているわけじゃないことは分かっているのに、どうしても不安になってしまうのですよね。その一方では「人と同じなんて嫌」みたいな感情も強烈に持っているのにね〜。複雑ですね。

小学生のとき一度転校したことがあります。
転校後最初の体育の時間。まだ新しい学校の体操服を買っていなかったので、当日の朝に母が前の学校の体操服を持たせてくれました。休み時間に教室でみんなが着替えているときに、私だけ体操服が違うのが耐えられなくて、その場で泣いてしまったのよね。そのとき、先生やクラスメイトのみんなが私を囲んで別に大丈夫だよって慰めてくれたな〜。うう、みんなありがとう(涙)。
今もし同じような状況になってもさすがに泣きはしませんよ(笑)。しませんが、内心冷や汗たらしてるとは思います。基本的な性格はなにも変わっていないから。

それでもこの1年くらいでなにか吹っ切れたのか、随分人を気にするところはなくなりました。一匹狼でいるほうがラクだから・・・ではなく、ただ自然な状態として一匹狼でいると、何故か一匹狼でなくなるという逆説的な現象は今年の春のマイクのコースを受けたときに体験したのです。
それでもまだ残ってるんですね、きっと。
でもいいの。そういう自分の性格を直そうとは今はあまり思っていません(昔は直さなきゃと思ってましたが)。そんな自分も自分だから愛おしいと思えるんです。あ、それよりも性格は直らないということを思い知ったかんじ?そういう思いから始まって徐々に「性格を直したい」→「直せない」→「直さなくても良い」→「直さない」→「この性格が好き」→・・・と、変わってきたのです。長い道のりでしたが〜。

最後の「この自分が好き」に関してはしょっちゅう挫けますが、それでも少しずつの進歩ですね。

ついでに最近よく見るその他の夢は、前にこの日記にも書いた「白い女の人の手のひらから水があふれ出る夢」と「(架空の)自宅の庭に大きなクリスタルをいくつか置いて磁場の調整をしている夢」です。
クリスタルの夢は個人的にアトランティスがらみだと思っています。今アトランティスの叡智に関する本を読んでるから、その影響で。影響されやすいのね。
月の月22日・KIN103青い水晶の夜[9月13日(木)] 自我(エゴ)はなんのためにある?

昨日のKIN(白いスペクトルの風)のキーワード「解放・溶かす・解き放つ・スピリット・伝える・呼吸」を、昨日の安倍さんの辞任会見と重ねて見てしまいます。(いろいろな見方があるでしょうが私は)安倍さんがこれ以上なにかを抱え切れなくてえいっと投げ出した様子を、今の自分のことと重ねてみますし、今の日本と重ねてみますし、今の地球と重ねてみますし、今という時代と重ねてみます。
ふと前回の白いスペクトルの風の日はどんな日だったかと思って、自分のダイアリーをチェックしてみるとそれは去年の12月26日で、そこには「余分なものがなくなると見えてくるものがある。それはいつでもそこにあるのに」と書いてありました。ちなみに昨日のダイアリーには「風が吹いたら落ち葉が舞うように、個を手放していきたい」などと書いてありました。多分私は、昨日どこかで落ち葉が舞うのを見たんでしょう(笑)。
でも、これらの書いていたことはこのKINのテーマと重なるし、私としてはなるほどね〜とナットクです。


スピリチュアルな本などには必ず「自我(エゴ)を手放しなさい」と書いてあります。
それも分からないではないのだけど、本音を言えば自我の強い私は「でも自我(エゴ)こそが自分を自分たらしめているんじゃないか。それがなくなったら一体私は何のために生きているのか分からなくなってしまう。自我があるからこそ喜びや満足感を味わえるのだから、自我のない人生なんてちっともおもしろくないじゃないか!そもそも自我が手放さなきゃいけないものならば、なんで自我があるんだ!」と、納得できない気持ちがありました。

私たちは源においてすべてひとつである。ワンネスであります。そのことが分かっていれば、そこに「対立」はなくあるのは「平和」です。しかしその素晴らしさを知るためにはそうでない自分を体験しなくてはなりません。ワンネスじゃない状況を体験して初めてワンネスであるとはどういうことなのかを知ることができるのです。だから私たちは「自我(エゴ)」という自分を作り出しました。オーラソーマでもまずブルーありきで、次にイエローがくるのはそのことを言っています。

例えば、走り高跳びの選手の気持ちになってみましょう(笑)。←おととい「花盛りの君たちへ〜イケメンパラダイス」を見ちゃったもので・・(苦笑)
選手の目標は目の前のバーを飛び越えることです。なのに、できるだけバーの高さを上げていきます。飛び越えたいと思えば思うほど、越えられないような高さまでバーを上げる・・・。そんなに飛び越えたいなら、簡単に越えられるような低い位置にバーを設定すればいいじゃん・・・って、それじゃ意味ないわけですよね、選手にとっては。それって矛盾してますか?してないでしょ。選手の気持ちになれば。

自我はバーみたいなものかもしれません。自我(エゴ)は手放す(越える)ためにあるのです。でも手放す前の状態を知らないと手放すことでどうなるかが分からないから、それはあるのです。そして、自我(エゴ)が強ければ強いほど(バーが高ければ高いほど)、手放せた(越えた)ときの喜びも大きいというわけですね。
月の月21日・KIN102白いスペクトルの風[9月12日(水)] リコネクション後・2

昨日の続きになりますが、私の話よりももっと「リコネクションって何?」ってことが聞きたかったのではないかと思いますので、そのことについて書きます。
でもま、私にもリコネクションが何かについてそんなに語れるわけでもないし、話すと長くなってしまいそうなこともあるので、詳しいことはここを見てくだされ(リコネクション日本語公式サイト

リコネクションはエネルギーヒーリングです。クライアントさんはベッドに横になるだけ、プラクティショナーはクライアントの体に触れることはありません。手をかざしながらそのエネルギーを流すだけです。それは全く新しいエネルギー・より高い波動を持ったエネルギーを流すことによって「再結合(リコネクション)」するものです(これ以上の説明は私にはできません〜)。
これは個人的な感想ですが(でもヒーラーさんも同じことを言ってたけど)、例えばレイキのエネルギーが東洋的だとすればリコネクションのは西洋的というか、レイキが優しい感じだとすればリコネクションはクールな感じというか。とにかく新しいエネルギーだということは強く感じました。

リコネクションには「リコネクティブヒーリング」と「リコネクション」と2種類あって、最初はリコネクティブヒーリングを3回くらい受けてこのエネルギーに慣れてからリコネクションを受ける方が良いそうです。
リコネクティブヒーリングはヒーリングだから、いつでも何回でも受けたいときに受けて良いみたいです。それに対してリコネクションはヒーリングというよりも「再結合」するための回路を開くようなアチューメントというかイニシエーションというかそういうものらしいので、一度受ければ良いそうです。一度回路を開けばあとはもうずっと開きっぱなしらしい(笑)。そういうところはレイキのアチューメントに似てると思いました。

施術中にはただ寝ているだけです。触れられることもないし着替えも必要ありません。時間もせいぜい30分くらいです。とてもシンプル。もしかして物足りないと感じる人もいるかもしれませんし、マッサージ的なものを期待する人には違いますよと言っておきます。
しかし、施術中は人によって様々な体験があるようです。寝てるだけなのに体が動いちゃったり声が出ちゃったり。私の場合は施術中の体験よりもその後の変化が大きいみたいですね。

私がリコネクションを受けるきっかけはまず本を読んだのですが、そのシステムや本から受けるエネルギーが自分にはすごく好きなタイプのものだと直感して、去年から今年にかけてまずリコネクティブヒーリングを3回くらい受けました。この日記にも書いていたように受けるたびに目が腫れたりして大変でしたが、それだけ作用があったということだし、とにかく今まで自分が体験したことのないエネルギーだったのでますます興味を持ちました。そして先日リコネクションを受けて光が溢れちゃったというわけです。
これまた個人的な感想ですが、このエネルギーは(すでに降りてきてるけど)これからますます地球に降りてくる波動に繋げるもののような気がします。
じゃあその波動に繋がることの何が大切なの?と言われると、これを話し出すと長くなるぞー。なのでそのことについてはまた今度書きます。←忘れないようにします!

そして興味が高じて、来月私もこのヒーリングを学ぶことにしました。学んでどうするかはまだ何も考えていませんが、もしかしてアマーリエのメニューに加わる日が来る・・のかな?その辺は流れに任せます。

私は今まで3人のヒーラーさんからこのヒーリングを体験させていただきましたが、一番おすすめの方のサイトをご紹介させていただきますね。ご興味ある方はアクセスしてみてくださいね〜。(ハーモニースペース

月の月20日・KIN101赤い惑星の竜[9月11日(火)] リコネクション後

今日、ある生徒さんから「この前の日記に「リコネクションを受けた変化についてはまた書きます」って書いてあったけど、いつになったら書いてくれるんですか〜?」と、言われてしまいました。
え?私そんなこと書いた・・・・・・・・・・書いたなーごめんなさいーと、思わず謝ってしまいました〜。すっかり忘れていました。

リコネクションを受けて変わったことといえば、なんといっても光が溢れ出したことでしょうかね〜。リコネクションは「光を降ろす」ものだから、そうなるのも自然なことなのかもしれませんが、とても強烈ではっきりと変わったのが面白かったです。
なによりも「光を降ろす」とか「光になる」というのがどういうことなのかが分かってきたことが、リコネクションを受けた(今のところ)最大の収穫です。

ただ、今光が溢れてることに関しては、単純にリコネクションを受けたからとは言えません。ホップステップジャンプの最後のジャンプの部分がリコネクションだったということではあるけれど、そこへ行くまでにたくさんの準備があってこその「光」なんだと私は思っています。

だってそもそも今回リコネクションを受けようと思ったのには、ギリシャで箱を開けてきたことが大きいです。そしてそもそもギリシャへ行こうと思ったのには、そのまえにマゼンタのワークをしていたことが大きいし、そのまえにスターを意識し始めたこと・そのまえにイギリスへ行ったこと・そのまえにカルマのワークをしたこと・・・・などなど、辿っていけばすべてが今のこの光の状態に繋がっていたのです。

今思えばいろんな過去の出来事が、1本1本が細かったたくさんの川の流れが少しずつ太くなりやがて1本の主流になって、ついに大河になってゆく様子を見ているようです。どれもがなくてはならない出来事だったし、今の自分があるのはひとつひとつの小さなエピソードの積み重ねの結果です。そしてその流れはまだ続くのです。だから、これから起きるどんな出来事も川が流れるためになくてはならないことだし、どんな流れになるのか今はまだ分からないけど、どんな流れであってもそれは良き流れなんだと信じていられます。

「光」というのは、なにかをする「行為」のことではなくどう在るかの「状態」のことなんだと思います。存在そのものとかありのままのことです。
「ありのままでいい」とはスピリチュアルな世界ではよく言うことですが、なにもしていなくても「光」でいることはできるし、なにかをすれば「光」になるというものでもないのかもしれません。
「光」とはエネルギーでありパワーです。それは「幸福」とか「愛」とか「喜び」とか、なにかそういったもののすべて・・・ですかねー(自分で言っててなんか恥ずかしいですが)。
光はとても明るくて強力だから、光を放っているとそれだけで周囲に影響を与えるのかもしれません。周りも光りだす?というか・・・でもそんなかんじなのかな〜。

こんなこと言ってしまうと、「それじゃあ今自分は周りにそんな素晴らしい光を放っているんだろうか?」と、不安がよぎりそうになります。しかし結局のところよぎってません(笑)。私が光ってるか光ってないかなんてどーでもよくて、とにかく光を放つって素晴らしいことなんだーーーと叫びたい気分なだけです(笑)。それくらい今の私は光ってる感がすごいのよー。←だからそういうこと言うと「おまえはそんなに素晴らしいのか!?」って誰かに突っ込まれそうなのにぃ。

リコネクションの効果はそんなかんじかな〜。まあまだ続いているからこれからもっと実感することもあるでしょうが、それはまた追々・・・(これでまた忘れちゃわないようにしないと、苦笑)。
月の月19日・KIN100黄色い太陽の太陽[9月10日(月)] 天然コケッコー

今日は夕方以降ご予約がなく、こんなときこそやり残していた仕事を済ませようと思っていたのに・・・結局漫画を読み始めたら止まらなくてそのまま夜になってしまいました。その漫画は、現在映画も公開中の「天然コケッコー」。私が大好きな漫画家の一人・くらもちふさこの中でもベスト3に入る傑作です!先日映画も見ましたがとても良かったわ〜。

私は少年マンガよりも少女マンガが好きです。少女マンガの方がストーリーも絵も繊細で叙情的なものが多いから。あとやっぱり私も腐?女子なのでロマンチックなものは大好きですしね〜。

とはいっても「花男」とか全然面白いと思いません(だからドラマも見てない)。あと最近流行ったもので「NANA」とか「ライフ」とかも全然面白くなーい。
ティーンが主人公ならではのナイーブさの描写は好きなはずなのにこれらのマンガに共感できないのは、私が年をとったせいなのかしらと考えたのですがやっぱりそうではないぞ。
だって私自身がティーン時代に売れまくった「ホットロード」にはまったく共感できず、なにが面白いのかさっぱり分からなかったもんね。ということは、年の問題ではなく私自身の好みの問題なんだろうな〜。

「NANA」も「ホットロード」も主人公の繊細さや傷つきやすさがウリですが、私から見ると彼らの傷つきやすさは自己憐憫に見えるのです。なので「甘ったれるなっ!」と一括したくなるのよ(笑)。

くらもちふさこのマンガの登場人物もとても繊細で傷つきやすい人たちです。でも決してそれをウリにはしていません。そして彼らはちゃんと地に足をつけています。泣いたりはするけど嘆いたりはしません。
そして私からすると、そちらの方が余程人間として奥が深くて複雑で魅力的なんです。ステレオタイプじゃなくてリアルに感じます。
つまり、くらもちふさこ自身がそういう人なんではないかと思うのです。そうでなければ、あんな人物を描けないよなー。

「のだめ」みたいのはあれはあれで大好きなんですが、シリアスな人間モノを描くならもっと人間を掘り下げて欲しいのです。どーも最近のマンガは浅くてつまらん。←こういうところがやっぱり年をとったのだろうか(涙)
月の月18日・KIN99青い銀河の嵐[9月9日(日)] 光が溢れてすごいことに・・・!

光ってなんでしょうか?
スピリチュアル系の本によく書いてあります。例えば「愛と光」とか「光であること」とか・・・。愛は分かる、何のことを言っているのか。でも光ってどういうこと?光のなにが大切なの?光になるってどういうこと?って、正直言って今まで実感としてはよく分かりませんでした。

ギリシャで開けてきたパンドラの箱の中身は「恐怖」だと思っていました。現に、デルフィ以降帰国した後もずっと私の中に恐怖がつきまとっていました。その恐怖に突き動かされるかのように、帰国後いくつかのことを動かし始めてそれはとても良い方向へ進んでいるのです。つまり結果的には恐怖が出てきて良かったのかもしれません。ま、最初から恐怖が出てきたことが良くないことだとは思っていませんがね〜(笑)。

帰国直後2本目に選んで使っていたイエローのボトル(←まさに「恐怖」ですねー)が使い終わり、次に2本目に選んだエルモリアのペールブルーをあっという間に使い終わった後に、2本目に選び始めたペールバイオレットのサンジェルマンを昨日から使い始めました。
エルモリアを使い始めた辺りから恐怖の感覚はすっかり消えて、かわりにやってきたのが「光」だったのです。それはちょうどリコネクションを受けた頃でもあり、13の月の暦的には月の月になったあたりでもあります。そして1本目がマゼンタに変わってしまったのです。

今、私の中から「光」(←これまたイエローですねー)が溢れているんです。言葉ではそうとしか言いようがないのですが、とにかく溢れているんです。出そうとしてるわけじゃないんだけど溢れちゃってるんですよ(笑)。
なんだか77番のクリア/マゼンタを思い出します。このボトルの名前は「カップ」です。「自分というカップを愛で満たせばそれは自然に溢れますよ」のボトルです。おこがましいかもしれないけど、今の自分はそんな感じのような気もします。でも77番は選ばないけど。実際に選ぶのは67番のマゼンタ/マゼンタだというところが面白いですね。

イエローの恐怖はイエローの光に変わり、その補色のバイオレットによって統合が成されている。そこにはエルモリア(ブルー)の「汝の意志」が必要だったわけで、統合が成されたことにより1本目がマゼンタになった。つまり私自身のより真実の姿(のひとつの側面)というのはマゼンタだったということかもしれません。

自分自身が光でいればそれでいいんだということがよく分かりました。今までだってそうだと思っていたけれど、今自分がその状態を実感していることで、頭で理解しているのではなく、心からそfれがどういうことなのかが分かるんです。これは私としてはすごい体験です。
自分が光でいると周りも光る。ことさらなにをするわけではなくても、なんか勝手にどんどん明るくなってゆくみたい。まるで魔法のようです。

あああー、なんだか自分がえらそうなことを言ってるみたいで恥ずかしさがあります。でも「光」であるってすごいんだもん。こんなにオモロイ話を自分の中だけにしまっておくなんて、もったいなくてできないのよ〜。
月の月16日・KIN97赤い律動の地球[9月7日(金)] 旅は続くよどこまでも

東京は台風一過。いつも台風の過ぎた後は空気が清んで気持ち良いのですが、なんとなく今回はイマイチ空気が清んでいないような気がします。なんでかな?


今日またボトルを選びました。やはり1本目は67番のマゼンタでした。選ぼうと思ってボトルの前に立つと67番が燦然と輝いてしまうのです。「え〜?まだ1本目だよ?2本目じゃないのよ!?」って、疑り深い私はつい考えてしまうのですが、それでも私の深いところはどうしてもこのボトルに惹かれているのです。・・・最近このことばかり考えています。

真のオーラの色は一生の間変わることはありません。それは生まれる前に自分の魂が決めてきた今生の学びの色です。そしてオーラソーマでは、真のオーラの色は1本目に現れるといいます。

私は今まで1本目の色は、ボトルこそ変われど色味はいつもターコイズかグリーンが入っていました。それらの色のテーマはまさに一番自分らしいと思うし、一番好きな色でもありますし、そうであったらいいなと思う色でもありました。
逆にマゼンタは大体2本目のギフトチャレンジとして選ぶことが多く、それもまたまさに私のチャレンジすべき点だと思っていました。マゼンタを1本目に選ぶことはありませんでした。だから今、1本目のマゼンタには妙なとまどいを感じてしまうのです。

ギリシャから帰ってから起きた様々な変化。とにかく光が強くなっている感じです。それは多分ずっと前から時間をかけて少しずつ起きていたんだけど、ギリシャをきっかけに(パンドラの箱を開けたから)表面に出てきたんだと思います。ただ、表面といってもまだまだとても奥のほうで起きているのです。そんな感覚があります。

まあそんなことを体験しているうちに、私の真のオーラが変わってきたように思うのです。いや、変わったんじゃなくて・・・う〜ん、卵の殻がむけるようなかんじかな〜。あー違う、真のオーラの色に磨きがかかったような?う〜ん違う・・・、あ!分かった!私の意識が真のオーラに近づいたかんじだ!近づいたから前よりよく見えるようになって、そうしたら選ぶボトルがマゼンタになったのです。
じゃあ私の真のオーラの色がマゼンタかというと、そんな単純なものではなさそうでう。真のオーラの色って、とても微妙で繊細で「何色」と一言で言えるようなものじゃないみたいです。

マゼンタを選ぶ今の私とそれまでの私の違いってなんだろうと考えます。1本目が変わるという変化。そこで自分に一体何が起きたのか!?一番興味のあるところです。
この点はまだまだ探求の余地が大いにあるところですが、今の時点で感じているのはこういうことです。

例えば、家から外へ出たことがないと、その家がどんな形をしているのか決して分かりませんよね。私は今までマゼンタの中にいたから、それがなんなのかよく分かっていなかったのかもしれません。逆にないと思っていたのかもしれません。それが家の外に出たので、よく見えるようになったような感じです。自分の住んでいる家を外から見てどんな家に住んでいるのかを知る作業をしているのかもしれません。そんな感じです。
ちょうどブルーのワンネスの中にいたら自分が分からないからイエローの個の意識を作るような感じですね。

このようにして自分への旅はまだまだ続くのでした(笑)。
月の月15日・KIN96黄色い倍音の戦士[9月6日(木)] 未来に向けて

所要で新宿へ行ったついでにふと思いついて、紀伊国屋でしこたま本を買い込んでしまいました。今日はなんでこんなに知識欲が旺盛なんだろうと思ったら、今日は戦士の日だったんですね〜。戦士のキーワードは「知性・問う・大胆さ」だもんね。
こういうときにも直感が役にたちます。あらかじめ何を買うか決めていたわけではないので、店内をウロウロしながら気になる本を4冊購入しました。
帰宅して、どれから読もうか見ていて、けっこうジャンルがばらばらなことに気づきました。ニューエイジ・エッセイ・物理学・漫画。一見ばらばらなジャンルの本たち。でもなにか共通性があるはずです。そこに、今の私への大事なメッセージが込められているはずです。それはなにかなーとしばらく考えてみて気づきました!
4冊の本に共通するキーワードは「近未来」です。んー、もう少し具体的には「近未来における世界の在り方」かな。

ニューエイジ本は、古代アトランティスの叡智について書かれている本で、それが今の私たちにいかに役に立つものかを説いています。
エッセイも、これからの個人と社会の在り方について書かれたものですし、物理学の本は今私が大注目しているふたりの人物のうちのひとりであるリサ・ランドール博士の5次元論について書かれたです。これが証明されれば世界の常識がひっくり返ってしまうかもよーという、SFが現実になるかもしれないという本です。うー、想像するだけでワクワクするー。そして漫画もSFモノでございます。

たしかに月の月になったあたりからの私の内側には光が更に溢れていて、未来への予感のようなものが渦巻いています。でもこれについて書こうと思うとそれこそ本が書けちゃうくらいの量になってしまいそうなので、ここには書いていません。そのくらいいっぺんにたくさんのことが起きています。完全に時空を越えています。
そして1本目がマゼンタに変わりました。

真のオーラの色は1本目に出てくるといいます。それは事実です。しかし、色彩というのはとてもミステリアスで(だから人間もミステリアス)、「はい、私はレッドの人で〜す」みたいな簡単なものじゃないんですよね〜。とても複雑ですよね〜。
でもね、複雑なのと難しいのとは違います。私が思うに、色彩(人間)はとても複雑であると同時にとてもシンプルなものでもあります。

私はターコイズでありマゼンタである・・・かぁ。なんか感慨深いなぁ。長い道のりを経てようやくここまできたんだなー自分、なんて思ってしまう。
私にとって一番のウィークポイントだった部分が一番の長所になりつつあります。そんな人になれたら最高なんだけど本当に?本当にそんな素敵な人になれるのかしら、私?

でもつくづく思うんですよ。誰だって一番素敵な自分になれるんですよ。そう思えたら、「じゃあ私もなれるかも」と少しは信じられますね〜。

今日は久々にギリシャの画像をUPしてます。もう終わりじゃなく、まだあったんですよ(笑)
月の月14日・KIN95青い自己存在の鷲[9月5日(水)] 直感と計画のバランス

人は右脳と左脳を持っています。右脳は感性や直感を、左脳は理性や理論の側面を司ります。右脳を女性的側面・左脳を男性的側面ということもできます。すべての人は内面に男性性と女性性を併せ持っていますが、おおむね男性の方が男性性が強い場合が多く、女性の方が女性性が強い場合が多いそうです(個人差はあるにせよ、やはり肉体と精神は連動しているということですね)。
ということは、数千年間の長きに渡って男性が権力を握っていた今の社会が、男性的な(左脳的な)ものであってもおかしくはないということです。実際に今の社会の仕組みはとても男性的(左脳的・理論的・分析的などなど)だと、多くの本にも書いてあるし私個人的にも感じています。

左脳的・男性的なものを否定するつもりは全くありません。むしろないといろいろと困るよね。でも、せっかく自分の中に男性性と女性性(左脳と右脳)があるのに、どっちかしか使わないのは、なにかひずみやゆがみが出ても仕方ないのかもしれません。というか、もったいないと私は思っちゃいますねー。

以前、ある人から「私も将来自分のエステサロンを経営したいと考えているのですが、上野さんはどのようなビジネスプランを立てて今のような起動に乗せたのですか?」と聞かれて、答えることができませんでした。「ビジネスプラン」という言葉が、私にとっては極左脳的に聞こえてしまったのです(笑)。

そりゃ、全然計画を立てないわけではありません。
例えば、1ヶ月に何人くらいのクライアントさんや生徒さんが来てくれたらサロンを維持していけるかをまず計算するでしょ。そして、それだけの人に来てもらうためにどうするかを考えます。宣伝するとかイベントを開くとか、まあいろいろありますよね。どの媒体にどのような広告を出すか・・・でもそこから先は私の場合は計画とかリサーチとかマーケティングとかはなく、あえていえば「カン」で決めています(笑)。なんとなく「ここに載せればこうなるような気がする」的な感覚で決めています。
あと例えば新しいメニューを入れるときも、それで人が集まるだろうという発想は後回しで、まずは私がそれをやりたいかどうかがあって、そこをクリアして初めてそれで人が集まるかどうかを考えるのですが、それはやはり「カン」で決めてます。
新たなプランを始めようか迷うとき、なんかウキウキするような感覚があるときは大体GOサインを出しますが、そうじゃないときは止めるかしばらく寝かせておきますね〜。
いつもそれで上手くいくとは言いませんが、おおむね上手くいっています、今のところは。きちんと計画を立てる部分と直感的に決める部分を上手く融合させて決断できるのが私の理想だな〜。

私が今の仕事を始めたとき、父は「そういう(癒しの)仕事は今流行っているんだろう?上手いところに目をつけたな」と、お褒めに預かりました(笑)。
だからぁ、そういうつもりで始めたんじゃないんだってばー。男ってホントそういう発想しか出ないのね、プンプン(怒)。
月の月13日・KIN94白い電気の魔法使い[9月4日(火)]  人生いろいろ

ひとつコースが終わるたびに毎回、コースが終わった生徒さんからいただくメールとか読んでいると感動してしまいます。オーラソーマを通してみんなが気づきを得るその深さに尊敬の気持ちがあります。「みんなとても真撃な気持ちで自分と向き合っていて、みんなとても気持ちが優しくて純粋で感性が豊かなんだな〜」とね。
・・・なぁんて書くと手前ミソか!?「私のコースが素晴らしいからよ!」なんて思っているわけでは決してないのよー(汗)。

当たり前だけど、誰にとっても人生いろいろあるわけです。生徒さんたちも、ひとりひとりの人にそれぞれの物語があるのでしょう。私は生徒さんたちが、2007年夏の終わりの東京でオーラソーマを学んだということしか知らないんですよね。
ここで出会うまでに、その人がどんなところに住んでいてどんな仕事をしていてどんな人とどんな関係性を作っていたかは全然知らないのです。これは生徒さんだけじゃなくクライアントさんも同じです。その人の過去生まで含めて、私はみんなの「今」しか知りません。

永遠に続く時間の中で「今」しか知らない人間になにができるのでしょうか?

時間の流れは一瞬の積み重ねだと言います。私がこうしてキーボードを打っている、この「打って」と打っている瞬間にもうそれは過去の自分なんですよ。あ、だから今「あ、」と打ったのももう過去の自分で・・・(シツコイ、笑)。
だとすれば、人は「今」しか生きられないということです。「今」以外の時間を生きることは本当は不可能なんですよ。俗に言う「今が全て」とはまさに事実なんです。
そう思うと、こうして一緒にいるこの時間ってものすごく大切で、今その瞬間に共にいることでその人になにかを与えたり受け取ったりすることにとてつもなく大きな意味があるのです。

みんないろいろあるけど、それでも生きてゆきます。そして出会い、慰めあったり励ましあったり愛し合ったり傷つけ合ったりして、またさよならをします。
時間が続いてゆくものだと考えると、そのことにどうしようもない虚しさを感じてしまう自分がいますし、一瞬の積み重ねと考えると、たまらなく愛しさを感じる自分がいます。でもどっちにしろ私は生きられるところまで生きていこうと思います。
私の大好きな友人の座右の銘「心配するな!どうせ死ぬんだ!」(笑)。好きだなー、こういうユーモア。

なんか何を書いてるか分からなくなってきました。徒然なるままに。
月の月12日・KIN93赤い月の空歩く者[9月3日(月)] どうするかな?

自分に好きな人がいたとして(向こうも自分のことが好きだとして)、自分の余命が残り僅かと宣告されたとします。そしたらその人に告白するか?しないか?
ある人は、「しない。何故なら(別れによって)その人を辛い目にあわせたくないから」だそうです。またある人は「する。何故なら残り少ない人生悔いを残したくないから」だそうです。

私だったらどうするかな〜と考えてみた結果は「する」です。「何故なら、私が死んだ後その人が辛いかどうかはその人の責任だから」。
あらら、こういうこと言うと冷たい人間だと思われそうですね。いやいや、もちろんそんなに突き放しているわけじゃないですけどね。むしろ相手の人の幸せを願うからこそ、短い時間でも2人で楽しく生きましょうと提案したいかんじです。
「その人を辛い目に合わせたくないから告白しない」は、私はしないだろうな〜。好きな人と死別したら辛いのはそりゃあるだろうけど、辛さよりも幸福感の方が上回るようにはできるもん。だったら絶対そっちのほうがいいもんね。

いろいろな意見があった中で私が一番感動たのはこれです。「する。何故なら、たとえすぐに別れが来るとしても絶対にその人を幸せにするから!」。

すごいなー。私はまだまだここまで自信を持っては言えませんが、でもこうでありたいです。
月の月11日・KIN92黄色い磁気の人[9月2日(日)] 異変が!

今日は反省点がありました。昨日の日記に書いた、手のひらから溢れ出す水のパワーが止まらなくなってしまって、収拾不能になってしまったのではないかと自分では感じているのです。一方的に出すだけって、なんか私の中ではあまり良いことのように思えなくて・・・。


今日からまた新しい13日間のウェイブスペルが始まります。今回は「黄色い人」。キーワードは「自由意志・感化する・知恵」です。

ここ何回か、必ずウェイブスペルの初日にボトルを選んでいます。意識してるわけじゃ全然ないんだけど、「なんとなく今日はボトルを選びたいな〜」と思って選んで、ふと気づくといつも磁気の日(つまりウェイブスペルの初日)なんですよね、不思議だ。

そして今日選んだボトルに異変が!!

なんと、何年ぶりかで1本目がターコイズ・グリーン系のボトルじゃなかったのです!しかも、それは私にとって2本目の定番・67番のマゼンタなのですー。私にとってマゼンタは、1本目としては一番縁がないと思っていた色だったから、ボトルを選び始めた瞬間に67番がぼーんと目に飛び込んできたときは、「マゼンタが1本目!?」と目をこすりたくなるくらいびっくりしましたよ。まさかこんな日が来るとは思わなんだよ〜(ホントに)。
何事も思い込みはやめようと日頃から思ってはいるものの、やっぱりウソーと思ってしまった(笑)。

何故そういう選び方になったのかは、自分でもまだよく分かりません。んー、というか、ホントは分かってるんだけどまだ意識まで上がってきてないような感じかな〜。ただ、この数日の光の感覚や静けさの感覚を強く反映していると思っています。

えー!?でもやっぱり1本目がマゼンタ???なんかヘンなかんじーーー(笑)。
月の月10日・KIN91青い宇宙の猿[9月1日(土)] 静けさ

静かです・・・・本当に静かです。今、私の中が。
価格変更前に殺到していたご注文メールがぱったりなくなったから(笑)?急に涼しくなったから?リコネクションを受けたから?月の月になったから?
それは私の外側のことじゃないんです。内側のことなんです。

おととい見た夢が静けさを決定づけたような気がします。

夢の中で、虹色の木漏れ日が射す水気を帯びた深い森の中に、白いドレスを纏った綺麗な女性が立っていました。ドレスだけでなく髪の色も肌の色もすべて銀に近い白です。女性はうっとりと目を閉じて森の空気を深く吸い込みながら、体全体でそのエネルギーを感じているようでした。やがてゆっくりと両手を広げて手のひらを上に向けると、その手のひらから美しい清んだ水が溢れ出し、大地に流れ落ちてゆくのです。木漏れ日の光と混ざり合って水も虹色に輝いて、それはもう言葉にならないほど美しいのでした。
その夢全体が静寂に包まれていたのが印象的だったのです。「静謐」という言葉がぴったりかもしれません。

今私の中にある静けさは、光り輝いていて、そしてしん・・・としている感じです。

今日で「青い嵐」のウェイブスペルが終わりました。その初日に50番のペールブルーのボトルを選び、今それを使っています。静けさはそのせいもあるかもしれません。
青い嵐のキーワード「自己発生・触発する・エネルギー」。夢の中で手のひらから溢れ出した水がこのキーワードを象徴しています。私の中からたしかに溢れ出し始めているエネルギーを感じます。これはリコネクションとボトルが合わさった結果だと感じています。それがこんなに美しい形で発生してくれるなんて想像もしていませんでした。「青い嵐」ってこういうことだったのかと初めて分かりました。

月の月のテーマである「挑戦は何か?」も少しずつ輪郭が見えてきました。ギリシャから今日までの1ヶ月、まるで1年分の経験をしたかのようです。ギリシャで経験した「恐怖」が無くなったわけではなく、今、恐怖に光が当たっています。こんなに綺麗な恐怖もあるんですね。


さて、ひとつ面白い発見をしちゃったので、シェアさせてください。
今日はグレゴリオ暦の9月1日・KINは91です。ということは明日は9月2日でKINは92。ね、面白くないですかー?9月9日までG暦とKINが全く重なるという珍しい現象が続きます(まるで天文現象みたい)。そんなわけで今朝のコースではオリーブグリーンを使ってみました(91番はオリーブグリーン)。

※ちなみに夢に出てきた白いドレスの女性は、「ロード・オブ・ザ・リング」のケイト・ブランシェット(ガラドリエル)にそっくりでした。まさにあんな感じ!美しい〜!あの映画はさっぱり面白いと思いませんでしたが、ケイトのシーンだけ何度でも見ていたいのです(じゅる)。