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3月31日(金) オーラソーマは高いのか?

ある人に「オーラソーマはお金のかかるセラピーだ」と言われました。確かにもっと安価に資格が取れたりティーチャーになれるセラピーはあります。オーラソーマは、それらに比べると安価なほうじゃないと私も思います。

私は今まで自分がオーラソーマを学ぶために使ってきた(そしてこれからも使っていくであろう)お金が高いとは思っていません。それだけの価値あるものだと思っていますから。金額以上のかけがえのないものをたくさん受け取れました。でも、人によってはその金額を聞いて「高い」と思う人もいるでしょう。結局やはりその人の考え方によるのですよね。
だから私に「オーラソーマはお金のかかるセラピーだ」と言った人にとっては、オーラソーマにそこまで費やす価値を見出していないのかもしれませんね。
それに、オーラソーマの業界の本当に上の方の人たちの仕事ぶりを見ていると、私たちがオーラソーマに費やしたお金が決してエゴのために使われているわけじゃないんですよね。まあ、もしかしたら中にはそういう人もいるかもしれませんが、それはオーラソーマ全体のポリシーとはまた別の話でしょう。

借金抱えたとか破産したとか明日のゴハンがないとかにならなければ、別にいいんじゃないのかな。それが高いか安いかを決めるのは自分。自分が納得して使うお金ならばそれで良いと思います。自己投資って賭けみたいなところ、ありますよね〜。

なんにせよ、私はオーラソーマが本当に良いものだと思っているので、オーラソーマがたくさんの人に広がってゆくのはとてもうれしいです。
3月30日(木) やる気まんまん!?

飯田橋にホットヨガのスタジオがあるそうです。今、流行ってますねー。友人も「ホットヨガはイイ!」と力説していました。はぁ〜、ただ私はどうもスポーツクラブが苦手でね〜。体を動かすのは決して嫌いではないんですけどね。
なんか、ああいうところでヨガとかエアロビやってる人の「ヘルシー!」とか「ポジティブ!」な空気にイマイチなじめない(苦笑)。かといってマシンでもくもくと何10分も同じ運動をしてるのも耐えられない。自分が実験用のネズミになった気分で・・・ハムスターじゃないんだから。みんなよく飽きないな〜と思います。
さらに、私は目標がないとがんばれない人なので、ただやるのが苦手だしそれじゃつまんないのです。「痩せる」とか「健康のため」というのは私の場合目的にはならないのです。「試合」とか「発表会」とかの目的があると燃えるんだけどな〜。この辺自分はとても男性的な性格だと思いますヨ、はい。

・・・というわけで(関係ない?)、このたび英会話を習う事になりました。ずっと前からやりたいと思ってたんだけど、なかなか条件の合うスクールや先生が見つからなくてのびのびになってました。まあ、焦ってやるほどの理由もなかったし。

せっぱつまった理由がないと本気で燃えない私ですが、英会話、どのくらい燃えられるか、そして上達するか・・・。がんばりますよー。
3月29日(水) グランディングについて

さっき「オーラの泉」を見ていたら、江原さんが「里の行」と言っていました。山にこもってストイックに修行するのではなく、敢えて俗世に身を置きながら学んでゆくというような意味でした。
私はそれを聞いていて、昨年末に友人のチャネラーから言われたことを思い出しました。

友人は私に言いました。「あなたの場合は仕事がグランディングすることだから、仕事はずっとしている方が良い。仕事を通じて人と繋がってゆくし、仕事を通して今生の学びを得る」。当たってるわー。

昔、働いていた会社を辞めてしばらくプー太郎していた時期がありました。平日にブラブラできたり1日じゅう家で読書していたり、そんな毎日が最初は良かったけどだんだん不安になってきて、家にいてもちっともリラックスできなくてかえってストレスになってしまい、結局また就職しました。
結婚直後にやはり会社を辞めて主婦をしていたときも、1ヶ月でノイローゼになりかけてすぐに就職しました。不安でたまらないのです。私にとって社会とのつながりを実感できるのが仕事であり、その繋がりがないと不安になってしまうのですよね。今思えば、私にとってはそれがグランディングだったからなんだと思います。

神経症や鬱の人はグランディングできていないとも言います(医学的な見解ではありませんよ)。実際私が昔そのテの病になったとき、不安定なのは心だけじゃなくまさに地に足が着いてない感覚でした。
そういうときは足元の地面(や地球)を意識すると良いそうです。そのときの自分の経験では、体を動かすのもとても良いと思います。体を意識するのもグランディングするのにとても良いから。

私たちは、何かの目的を持って自らの意志で「今ここ」に生きることを選択しているのですが、その目的を果たすためにはグランディングしていることが不可欠です。だから、どんな方法でも良いからグランディングすることは、この地球上で生きることを選択した私たちにとってまず大事な事なのです。私にとってはどうやらそれは仕事を通じて社会貢献する事のようです。

ホントは日がな一日犬と遊び絵でも描きながら生きられたらサイコーなんだけどな。でもそれだけじゃストレスなのも分かってるしな。なので私の目標は大橋巨泉(セミリタイア生活)なんです(←本気)。
3月28日(火) ナショナリズム

オリンピックでも甲子園でも先日のWBCでも・・・自分の国(地域)を応援するのは自然な感情です。その選手(チーム)に自分を重ねられるから。つまりどこかの選手(チーム)を好きで応援しているときというのは、自分を好きで応援しているのと同じなんですよね。だからスポーツの応援は掛け値なしに楽しいんです。誰にはばかることなく「自分が好きだー」と宣言してるようなものだもん(笑)。そりゃ気分爽快ですよね。

私は日本人だからWBCでも日本を応援していました。日本が優勝したときは自分ことのように誇らしかったです。そして私と同じように思った日本人はたくさんいたはず。
「自分のことのように」思えるってのがミソです。実際の自分の事じゃなく彼らを通してでもいいんです。それが共振だから。なんにせよ、自分を誇らしく思えるって素晴らしいことですよね。そういう共振の機会を与えてくれた日本チームに感謝!

なんかねー、難しく考えすぎているんじゃないかと思うのですよ。
先日の日記にも書いたけど、「戦い」は健全なものだと思います。戦う事を悪い事だとしてしまったら、戦いに勝って優勝した選手に喜ぶなと言えってこと?違うよね。「平和」ってそういうものじゃないと思うのですよね〜。
戦いに勝って自分のことをもっと好きになれれば、その人はもっと平和になると思うのですが。

あー、じれったい。言わせてください。よその国より自分の国を応援して何が悪いか!?W杯、ニッポン応援するゼ!
3月27日(月) 矛盾と秩序

先日とあるML上に「自然は残酷なものだと思う」なる投稿をした私。
それに対してある人から返事が来て「自然は残酷でもないし、慈愛に満ちたものでもない。自然は中庸なものだ」と述べていました。なるほど。

私はやはり自然は残酷なものだと思います。でもその方の意見も分かります。私の感覚では「自然は残酷でもあり、慈愛に満ちたものでもある。だからやはり自然は中庸なものだ」ということになります。
私もその方も「自然は中庸なもの」というところでは多分同じなんですよね。でもなにかが180度違います。面白いですね。

「自然は残酷でもないし、慈愛に満ちたものでもない。自然は中庸なものだ」
「自然は残酷でもあり、慈愛に満ちたものでもある。自然は中庸なものだ」

ね、全然違いますよね。

無と無限はなにが違うの?同じじゃないの?そう、同じとも言えるし全く違うとも言える。なんか禅問答のようになってしまいましたが、でも世界は矛盾だらけですものね。科学の限界はそこにあるし、理論だけでは世界の全ては説明しきれない。でもそれを無理やり説明しようとするから、できなくて混乱してるのが今の世の中じゃないかしら。

そして、矛盾の中に秩序を見出すのが「白いスペクトルの鏡」である私の使命なんです〜。なんて楽しいお仕事でしょう(笑)!
3月26日(日) お世話になってるボトルたち

先日の空き巣ショックの後、26番・エーテルレスキューのボトルを使っています。自分ではもう気にしてないし思い出す事もないのですが、家に帰ってきたときにふとドアを開けるのが怖いと瞬間的に思ってしまうのですよね。それにサトルボディがずれてるようなかんじも少しあったので使っているのです。
プラス、先日から使い始めた60番・老子&観音のボトルも合わせて使っています。

ここのところ朝が早くてゆっくり味わいながら使っていなかったのですが、今朝お風呂に入りその後、ふたつのボトルを順番にゆっくりと時間をかけて使ってみたら・・・やっぱり良いんですよね〜。

エーテルレスキューは上下オレンジのボトルですが、レスキューでもありチャクラボトルでもありで、使い心地的にもかなりダイレクトだという印象があります(こういうのは個人差があるからあくまでも私見ですが)。今朝、お腹と体の左側にぬった瞬間「そわ〜」と気持ちよいエネルギーが体の周りを包み込んでゆくのが分かりました。それは痛気持ちよい指圧でも受けているかのような(笑)、強さと愛情に溢れたなにかでした。
それに対して老子&観音はブルーとクリアのボトル。目の覚めるような明晰性と超意識の感覚を与えてくれます(これまた私見ですが)。こちらはとても静かで厳かで威厳タップリの、でも優しさと慈愛に満ちたなにかでした。このボトルを使い始めてからとにかく夢を見ます。しかもちょっとハートが痛くなる夢ばかり。でもあえて見せてくれてるんですよね。「くそー、ありがとよー」と、反論の余地のない正論を見せられて分かっているのに反抗したい子供のような気分になります(笑)。

そのたびごとのいろんな場面で、ボトルを使う事で本当に助けられます。ただ意識的になることがやはりとても大事なのよね。忙しいとついバタバタしてハイ終わり的な使い方になっちゃうんだけど、やっぱり意識的に使いたいものです。

そういえば、60番のブルーと26番のオレンジは補色どおしですね。は〜そういうことなのね〜(←と、ひとり納得。でもこうしてひとつひとつ自分の経験の中で理解してゆく事がなによりも大切です)。
3月25日(土) 平和って

今日友人から来たメールに書いてあったのは、平和的な人がどんなにそれを伝えても伝わるのはやはり平和的な人たちで、本当に伝えたい人には伝わらない、という内容でした。
う〜ん困った。これじゃあ、平和的じゃない人は永遠に平和的にはなれないってこと!?

でもね、じゃあ今平和的な人はいったいいつどのようにして平和的になったのかしら?今平和的な人たちだってかつてはそうじゃなかった人もたくさんいるでしょうし、それでもなにかのタイミングで誰か(何か)によって変われたんでしょう。つまり決して伝わらないわけじゃないのよ。ちゃんと伝わってます。
それに伝えるというより発信することのほうが大事だと私は思います。だってまず発信しなきゃ伝わる事もないから。発信したものを受け取る人は受け取るでしょうし、受け取らない人もいるでしょう。受け取らせようとしないほうがいいのです。「受け取らせよう」なんておこがましいです。自分の手を離れたものをコントロールすることはできないのだから、だから発信したらあとは手放す・・・。決して無責任という事じゃなくて。

しかし、そもそも平和的な人ってどんな人だという疑問も大いにでてきた私です(笑)。怒らない人?冷静な人?平和団体に毒している人?平和団体に属して平和を訴えてる人って、自分は平和なのかな。私はとある平和団体のようなものを知っていますが、中ではいろいろなドロドロが渦巻いてるゾ。

私の奥底に平和があるのは感じてるけど、自分が平和的かどうかはよく分かりません〜というか平和的な人というのがどんな人なのか。
オーラソーマのブルーのテーマに「すべての理解を超えた平和」という言葉があります。平和ってまさにそれだと思うのです。平和って、概念ではなく状態の事を言うのではないかしら。手に入れるものではなく、ただそうで「在る」こと。うん、それが私にとっての平和的な人かな。

平和についてアレコレ考えてるうちは、真に平和的じゃないってことなのね。
3月24日(金) カッコ悪い話

高校時代吹奏楽部に所属していて、部活に燃える青春をしていました。吹奏楽の世界は毎年夏休みに全国規模の大きなコンクールが開かれ、ウチの高校はその当時県大会で上位に入賞するもののあと一歩で関東大会進出できない・・・くらいの成績が続いていたのです。私が3年生のコンクールでも部員みんなが「今年こそ関東大会!」と燃えていました。
しかし私は美大の受験を控えて夏休みは(絵の)予備校へ行きたかったので、コンクール前の6月で退部したのです。ウチの高校は進学校だったから、3年生全員が受験だったんですけどね。あともうひとりだけ私と同じ時期に同じ理由で退部した人がいましたが、他の3年生は全員関東大会を目指して夏休み返上で毎日練習に明け暮れ、そしてついに我が校初の関東大会進出を果たしたのでした!結局その後また成績が低迷してしまい今のところ関東大会まで行ったのは私たちの代だけなので、ウチの代って唯一の関東大会を経験した者としてけっこう語り継がれてるんですよね〜。

すんごいカッコ悪いのは、その後の受験で私の代で浪人したのがコンクール前に退部した私ともうひとりの人だけで、関東大会まで残っていた人は全員現役で合格したという・・・(涙)。なんのために私は早くに退部したのか(涙)。こんなことなら途中で辞めなきゃよかったと、このことは私の人生で最大の後悔する経験となっています。
このことから私が得た教訓は「中途半端な人はなにをやっても中途半端。逆に全力投球して成し遂げる人はどんな状況でもちゃんと成し遂げる」でした。

今回のWBCで活躍した選手達はきっとシーズンでも活躍できると思います。願わくば参加辞退した松井や城島も活躍すると良いですね。活躍できるかどうか、個人的に見ものですね〜。
3月23日(木) カッコいいなぁ

自分の意見を述べるってちょっと怖いです。
世の中の人すべてが自分と同じ考えを持っているはずはないので、違う意見の人だってその人の意見を述べるでしょう。それは別に自分の人間性を否定されているわけじゃないと分かっていても、それでもなんか怖いです。ビクビクしてしまうし傷ついてしまいます。そして、自分の信念が揺らいでしまったりもします。「私が間違っているのかしら。こんなこと言うんじゃなかった」とか思っちゃうし。

だからイチローのWBC中の一連の発言や、坂本龍一がPSE問題について抗議の会見を開いているのを見るにつけ、なんて勇気のある人たちなんだろうと感動します。
それだけの信念がなければああはできない。ってことは、彼らはそれだけの強い信念をもっているということ。ってことは、彼らはそれだけ真剣に自分や自分の周囲に向き合い、誰よりもそのことについて考え抜いているということ。
そして彼らは単に自分のためにやっているんじゃないことも明らかです。でも自分だけのためでなく誰かの・何かのためにする・・・それが人をより強くするのではないかと思うのですよね。
WBCで、選手の人たちが「日の丸のため」なんて言ってましたが、自分のためだけに生きる人生はなんか虚しいです。自分のためでももちろんあるけど、誰かのために生きる人生っていいな〜と感じました。

私も自分から逃げない人になりたいな〜。そういう人が一番カッコいいと思います。
3月21日(祝) 感動!

WBC、日本優勝しましたねー。いやー、感動!
やっぱりイチローはすごいな。ひとりの人間の思いが世界を変えるのを目の当たりにさせてもらいました。複雑系理論でいうところの「香港で羽ばたいた蝶がフロリダにハリケーンをもたらす」みたい。
準決勝に勝った後のイチローのコメントも印象的。「次の試合(決勝)では自分のすべてを表現したい」。
そういうとき、選手が「自分の力を出し切る」と言うのはよく聞きますが、彼はあえて「表現」という言葉を使っていました。同じことといえばそうなんですけど、彼の野球に対しての意識はあくまでも「表現」なんですね。好きだな〜。

それにしてもガチンコ勝負って本当に感動的です。裏表のないオープンな・真実と真実をぶつけあったのであれば、結果がどんなものであろうと、喜びはもちろんのこと悔しさですらポジティブな感情になるんです。
怒ってもいい、悲しんでもいい、感情自体にポジティブもネガティブもないんだもん。自分の感情を否定したときそれはネガティブなものになるんです。逆を言えば時には喜びですらネガティブになりえるんです。だから自分の感情にはいつも正直でいたいものです。

試合の敗者の悔し涙は美しいです。そこに嘘がないから。
負けたキューバの監督のコメントが印象に残りました。「自分のためじゃなく自分の国のために戦うことがこんなにも偉大なことだと初めて知った。だから我々は次は必ず勝つ」。カッコええ〜。
3月20日(月) ミカエルの助け

私が生まれて2度目の110番をしたつい数日前、仲の良いオーラソーマ友達も生まれて2度目の110番をしていたそうです。こういうのもシンクロだよねっ。一見あまりありがたいシンクロではありませんが、でもスピリチュアルなセキュリティについてのメッセージだったんだと思います。

さらにシンクロだったのは、私も彼女もミカエルに助けを求めたという事。

彼女はもともとミカエルと懇意に(?)している人なのですが、私は事件の翌日、サロンに置いてあったミカエルのエッセンスを思わず手に取り、家に持ち帰って家中撒きまくってしまいました。そうせずにはいられなかったのですよね〜。
今の私は観音様とじっこんな関係ですが、そのときは咄嗟にミカエルに助けてもらおうと思ったんでしょうね。無意識だったけど。で、助けてくれたんですよ、いろいろと。

事件の直後はそうでもなかったのに、徐々に恐怖感も芽生えてきています。PTSDかしら。家に帰るのがちょっと怖い。エーテルレスキューも必要かもね。
それでもやはり私の奥底の方に静かで平和な流れがあるのも感じています。そしてそっちの私が本当の私に近いということも知っています。この感覚をいつも持ち続けていられれば人生平和になるな〜。
3月19日(日) 金色の光

この一ヶ月ほどずっと続いているのですが(前にも日記に書いたかな?)、私の左前方にとても明るい光が見えるんです。
それは24時間いつでもそこにあるの。ここ1週間くらいでそれはますます輝きを増していて、「金色(こんじき)」という表現がぴったりなかんじです。

最初のうちそれはただ明るい光でしたが、徐々に具体的な情景になってきました。

なにか地平線のような風景の中に私はひとりで立っています。海原・・・というよりは平原かな?少し冷たい風が頬をなでてとても気持ちが良いです。
そして私の目の前に、登るのか沈むのか分からないし太陽なのかもはっきりしないけど、とにかく地平線のかなたにオレンジのような茜色のような金色(こんじき)に輝く光が360度に光を放っているのです。空一面その色で染まっています。私の前方はそんなかんじでとても明るく、私の後ろの空はまだ暗いのです。私はその光になにかとても神々しさを感じています。

まず気になるのは、私はひとりぼっちだということ。こんなに見渡す限り広いのに私しかいない。孤独なんです。
あと分かっているのは、私は光のほうへ向かって歩き出すということです。そこに不安はまったくありません。あるのは不安ではなく希望。ただひとりぼっちだということが寂しいけど、でも不安はありません。何かに確信をもっているみたいなのよね〜その私。
今使っている60番「老子&観音」のボトルの作用でしょうか。空き巣事件が起きたりして今自分はまだ動揺していますが、奥底の方にある自分はとても安定しているのが感じられます。そしてますますその光の輝きは増しているのです。

昔読んだニューエイジの本に、「ニューエイジへの橋を渡るときは、自分だけで決断しなくてはなりません。そのときだけはひとりで・自分の力で渡らなくてはなりません」と書いてあったのを思い出します。あの時は、何故ひとりでなければいけないのかよく分からなったけど、この数年でそれを実感しています。

あ〜なんかもうすごいよー、全てが!(←意味不明ですみません)
3月18日(土) 事件・その後

昨日の日記に書いた事件とは、空き巣に入られたのでした。

夕べ帰宅すると、玄関の鍵は開いてるは、2階のベランダの窓も開けっ放しだわ、1階の寝室の窓ガラスは割れているわ、私の部屋の引き出しの中身は床に散乱しているわ・・・。「こりゃどうみても空き巣だーーーー!どっひゃーーーー!!」。で、まず110番通報して、次にだんなさんにTELしてすぐに帰宅してくれるようにお願いしました。

それにしても警察ってなかなか来てくれないものなのね。通報してから来るまで20分はあったぞ。ウチなんか警察署から徒歩5分の所なのに(怒)。警察から「犯人の指紋がついてるかもしれないから、散乱しているものに触らないでください」と言われたので、お財布やカード入れが床に散らばっているのに触れる事もできず「今この間にも犯人はカードから現金を引き出しているかもしれないのにー」とイライラしながら警察を待っていました。
ものが散乱している部屋でひとり待つのは心細かったなー。無残に散らばっている自分のものを見てるとあまりの愛のなさに怖かったし、「さっきまでこの部屋にわけわからん親父(と思い込んでいる)がいたのかと思うと(ゾッ)」親父がモノをあさっている光景が目に浮かんで気持ち悪くて、思わず気をそらすためにテレビをつけちゃいましたヨ。

被害が本当にたいした事なかったので、こうして普通に話せますが、なぁんか時間が経つほどに心の傷が広がりそうな気もして嫌ですね。

犯人にたいして不思議と怒りの気持ちは湧いてこないんです。それよりも憐れみのほうが大きい。だから今は犯人にピンクのエネルギーを送っています。犯人がどうしてこういうことをしたのかは知らないけど、こんなことしようと思わないような人生を送って欲しいな〜と思って。
3月17日(金) 大事件!

あわわ、大変だー!

110番するのも生まれて2回目(1回目は南青山の道端で人が倒れているのを発見したとき)だし、引越しして初めての来客が警察官になるとも思いもしませんでしたし、指紋を取られるのも初めての体験でした。

私の中ではこの事件はまだはっきり解決してないので、また明日この件については日記に書いちゃいそう。でも命に別状はありませんし、大丈夫です。

あああ、びっくりしたーーー。
3月16日(木) 戦い

夜、とある13の月の暦のミーティング(瞑想の会)に参加しました。そこには格闘家のSさんも来ていました。彼は13の月の暦を生きている人で、こういった会で以前にも顔をあわせたことがあります。昨日試合だったので顔の数箇所に傷があり、私はテレビを見ていなかったけどその顔を見ているだけですごい試合だったんだなーと分かりました。

Sさんは格闘家ですが、激しいイメージとは違ってむしろとても物静かで知的な好青年です。話していても真面目だし、自分の人生を真剣に生きているんだと分かります。そして純粋に世界がひとつになることを願っていて、そのために自分にできることを精一杯やっているのも分かります。

私たちと同じく13の月の暦を生きている人から、「13の月の暦は対立ではなく平和と調和を謳っているものなのに、なぜ人を殴ったり戦ったりするのか!?」との声がありました。そう思いますか?

「戦う」っていちがいに悪いこととは言えないと私は思います。闘争本能は人間の根源的な本能のひとつだし、Sさんのしていることはそれをむしろ健全な形で表現している健全な行為だと思います。憎しみから戦うのではなく、お互いを尊敬しあい信頼しあっているからこそ戦えるのではないかしら。自分を表現する手段としての戦いもあるのではないかしら。見る人もそれを感じていなかったら、見終わって感動なんかしないですよね。
3月15日(水) 還元

現在、はじめてのレベル3コース開催中。ティーチャーになったときに上からいただいた私のモットー「教えて学ぶ」のまさに実践です!

自分がコースを受ける側だとしたら、レベル3が断然面白いとは思っていましたが、提供する側になってみて、やっぱりレベル3は面白い!と実感しています。

初めてレベル3を受講したときは、正直何が言いたいコースなのかよく分かりませんでした。だから、つまらないとは全然思わなかったけど、格別面白いとも思いませんでした。今あのときのテキストを読み返して見ると、今の自分じゃありえないような部分に注釈をいれてあったりして、けっこう笑えます。例えば「ブループリント」なんて今の私には普通にスルーできるワードに「ブループリント(人生の青写真)」なんて注釈が書いてある。自分、つい数年前まではそんなかんじだったんだな〜なんて感慨深かったです。

そしていろいろな学びを経て、今、レベル3が面白いと思える自分がいることがすごいなーなんてね。あの頃よりは成長してるのねなんて思いました。

昨日の日記に、うれしいお言葉をたくさんいただいたと書きました。本当に励みになるし本当に感謝でいっぱいです、ありがとうございますっ!
不思議な事に、誰かに感謝してもらえると、自然にこちらからも感謝の気持ちがわいてくるものですよね。きっと自分が誰かに感謝の気持ちをもつ事も、その人が誰かに感謝する気持ちを自然に芽生えさせてあげられてるんだと思います。

だからこうしていただいたものを、また還元していきたいですよね〜。こういう気持ちの良いものは、自分だけで持ってるなんてもったいなさ過ぎるもん。私にとってはその手段が「教えて学んで、学んで教えて」なんだと思います。
3月14日(火) 眠いー

今日は、クライアントさんや生徒さんからうれしいお言葉やメールをたくさんいただいて、とてもうれしかったのでその感謝の気持ちを日記に書きたかったのですが、とにかく眠い!
初めてのレベル3コースに、私らしくもなく緊張しているのか!?家に帰るとどっと眠くなってしまいます。

なので今日はとりあえず寝ます〜。明日はもう少し早く帰れるから、そしたら今のこの感謝の気持ちを綴りたい!

1日も早く全ての人に安息の日々が訪れますように。
3月13日(月) ぼんやり

この2日間ボトルも使ってないし、KINも意識していません。呼吸法もしてないし、なにもしていない・・・。なんかぼーっとしてる間に2日過ぎてしまいました。

いや、むしろ仕事的には今日からレベル3コースが始まったし、準備やなにやらでやることや考える事はいっぱいあって忙しかったんです。ぼーっとしてるヒマはありませんでした。ぼーっとしてるのは、自分の肉体やマインドではなくスピリット・・・の話です。

そしたら夕べ夢を見ちゃいました。足が地に付かなくて体が浮き上がってしまう、気分的には気持ち悪い感じの夢。なんとかして地面に足をつきたいのにそれができなくてどんどん体が浮いてしまうんです。不安定で気分が良くないの。

分かりやすいのかなんなのか。そんな夢を見る自分のことを分かる気もしますが、それをなんとかしようとじっくり自分と向き合う気にならないんですよね。だからぼーっとしちゃう。あらら。
3月12日(日) 後輩

後輩の結婚パーティーに出席するため、昨日から千葉へ帰っていました。

その後輩(男)はその頃まだ大学生のアルバイトで、仕事には責任感がないしその割りにいっぱしなことを言うしそのくせ傷つきやすさは人一倍と、なんとも手のかかる後輩でした。
基本的に私は人の面倒を見るのはあんまり好きじゃないので(そんな私が今みたいな仕事をしてるなんて、実は自分が一番びっくりしてるのです)、早く私の手を離れて欲しくてかなり厳しくしたし、それでも相変わらずな仕事振りに何度も見捨てようとしたのですが、さすがに見捨てる事はできず(苦笑)、それどころかいつのまにか結束が固くなって、お互いバイトを辞めた後もよく飲みにいったりしてたんですね。もう10年も前の話です。

その後輩が社会人になったとき、これで少しは大人になるかと期待してたのですが全く変わらず。今度こそ見捨てようと思いましたが、やはり自分を慕ってくれる人間を見捨てる事はできなくてね〜。その代わりもう遠慮なしにビシバシ厳しいことを言ってたものです。でも結局彼は変わりませんでした。私も自分の無力さを嘆いたものです。

そんな後輩が、今日久しぶりに会ったら変わってたんです!大人になってました。

パーティーの最後の挨拶で新郎から新婦への手紙を本人が読み上げたのですが、「いつも自分の事しか考えていなかった僕が、初めて君を幸せにしたいと思いました」だって。泣けるじゃないの〜。そうそう、君はいつも自分のことしか考えてなかったよね。仕事でも、与えられた仕事すらやらずに文句ばっかり言ってたよね。協調性もなく自分勝手に考え過ぎて自分勝手に落ち込んでたよね。そんな君がそんな素敵なことを言えるなんて・・・・(うれし泣き)。

やっぱり愛は何よりも強し。

※成長した後輩を見てたら、また彼をからかっておちょくって遊びたくなっちゃいました(笑)
3月10日(金) 新ボトル誕生!

今日はお仕事でひとつミスをしてしまいましたー!
コンサルを受けてくださったクライアントさんのコンサル内容はいつも記録を必ずとっておくのに、そのときに限って忘れてしまっていたんです。今日その方からそのときのコンサルについての問い合わせがあって発覚しました。記録し忘れている時に限って問い合わせが来るなんて、なんだか偶然とは思えません。とにかくそのクライアントさんに申し訳ないっ。へこむなぁ。

ついでにもうひとつお仕事のミス。
おととい発注した商品が今日届きました。検品してみると、60番の「ラオツー&クァンイン(老子と観音)」ボトルを多く発注してしまっていたのです。「どうしよう・・・・あーーー、そうだ!夕べ観音様とか言ってたばかりじゃないのっ!そうだそうだ、ちょうど昨日でイエローのボトル使い終わったし、今日からはこのボトルを使ってみるしかないんじゃないのー!?」こうなるとミスとは言えませんね。災い転じて福となる、ですか(笑)。これまた偶然とは思えません。

それにしても、月が変わってから、去年さんざん学んだ(つもりの)「個を越える」を試される機会が多いんですよー。
一見私にとって好ましくない状況が、いろいろな形で手を変え品を変えやってくるのですね。
そして、そのときの私の最初の反応はやはり「むっとする・イライラする・落ち込む」なのです。しかし、そこで私はハタと気がつくのです。「ここで今までと同じ反応をしていても何も変わらないじゃないか。こういうときこそ次のステップを踏み出す(もう踏み出してるけど)チャンスなんだわ。だから落ち着いて、まずはイライラしている自分を否定しないようにして、それから個の感覚を越えた視点でもう一度自分や今の状況を見てみよう。」てなかんじのことを、ここのところ何度も何度も繰り返しているのです。なんか試されてるカンジ。練習させられてるというか。

そんなときやはりとっても役に立つのはペールブルーの瞑想。ええわ〜。

そういえば日本時間3月9日の00:22に、ついに新しいボトルが誕生したそうですよ。105番「大天使アズラエル」。色はコーラル・コーラルです。今のペールのコーラルではなく待望のヒューのコーラルみたいよ。私もまだボトルの画像は見てないけど、近いうちに生徒さんにはML回しましょうね。楽しみね〜。
3月9日(木) 観音さま

ここのところイエローのボトルやカラーエッセンスを使っているからなのか、太陽の月に突入したからなのか(多分両方)、ここ数日私の前方にとても明るくて且つ穏やかな光が射しています。あ、もちろんイメージの世界ですが、でもたしかにそれがあるのを感じるのです。そしてその光は意志を持っていて、言葉にならないほどの優しさをもって私を手招いているのです。

この感じは昔一度体験したことがあります。そのときは本当に絶望のさなかでお先真っ暗の暗闇の中にいた頃で、1年くらいそんな状態だったのですが、真っ暗な中にほんの一筋の光が見えてきたときは、ほんっとうに命を救われる思いがしたものです。

うーん、なんと言って良いのか。なんかすごく悲しいのは何故でしょう。光はとてつもなく優しいのにとても悲しい。これはいつも感じていることでもあるのだけど、100%楽しいとか100%幸せとかに浸れないんですよね。楽しさの中の同時にある悲しさとか幸せの中に同時にある不幸せとかに、いつも意識が向いてしまいます。

ある漫画で、主人公が絶望に打ちひしがれていると目の前に観音様が現れるシーンがあります。観音様は泣いている主人公になにもせずただ微笑んでいるのです。なんかそんなかんじを思い出しました。

「慈悲」って「悲しみを慈しむ」と書きますね。このうえなく暖かくて穏やかな光の中に絶望を感じる。今私を手招いている光はもしかして観音様なのかな〜と思うのですが・・・。天使も良いけど、日本文化好きな私には観音様ってすごく身近な感じがします。
あ、そうだ、ラオツー&クァンインのクイントエッセンス使ってみようっと。
3月8日(水) 自主練しよう

昨日からまた新しい月になったんですよ。今月は「太陽の月」。テーマは「意志・脈動させる・実感する」。アファメーションは「私はどうやって目的を達成するのか?。」それでもってそしたら昨日ふいにまたある事がひらめいちゃったんですよー。ひらめいてみてから、今日から月が変わった事に気づく。いつもながらですが、こうして地球に(宇宙に)流れている偉大な力に気づくたびに驚かされます。

昨日ひらめいたのは・・・「1日30分の自主練」です(笑)!「なぁんだ、そんなことか」という声がどこからともなく聞こえてきそう。いや、でもこれ、ひらめいたときはかなり自分的には盛り上がったんですよね。「そうだ、そうしようっ。ひとり勉強会だ!」なんて。

私はオーラソーマに関して、いわゆる「勉強」をしたことがありません。あ、でも論文書いてるときだけは勉強ってカンジだったかな〜。でもそれ以外ではホントにないです。よく「ボトルの名前を全部覚えてるなんてすごーい」とか言われるけど、そりゃボトルと長くお付き合いしてれば誰でも自然に覚えますって。好きなことをするのに努力しているという感覚はないです。
しかし今回はあえて努力(勉強)してみようと思い立ちました。

最近パワーアップした私。それによって確かに世界はより広がったのですが、いままでよりもっと先が見えたことによって、そちらまで行ってみたくなりました。
足元すら見えていなかったときは前に進むのが怖かった。当たり前ですね、見えないんだもん。でも見えれば見えるほど怖さはなくなります。これも当たり前ですね、だって見えてるんだもん。で、もっと遠い先のほうまで見えるとやっぱりそっちへ行きたくなります。そこには何があるんだろうって思う。
そこで大事なのは、「行こう」という自らの意志です。自分の意志で行く事を決めるから怖くないんです。つまり自分は行きたいのか・行きたくないのか「自らに意識的であること」が大事。

で、いままで好きで自然にやっていた(だから勉強とは言えない)オーラソーマの学びを、もっと意識的にやってみようと思ったのです。

まあ、ボトルを並べたり使ったり瞑想したりのボトル遊びはいつもやってることだから、それとどう違うんだってとこもあるけど。とにかく意識的にやりたいのー(笑)。
3月6日(月) 本屋にて

用事があって新宿に行ったついでに紀伊国屋書店に寄りました。特に欲しい本があったわけではありませんが、なにか新しい本を読みたくて。

まずは精神世界本コーナーへ(笑)。そこそこ読みたい本はあるのに、買うにはいたらず・・・で、結局そのコーナーでは何も買わず。このテの本をむさぼるように読んでいたのは、もう15年ほど前の事でしょうか。もちろんいまでも読みますが、それは何かを知りたいからというよりも、すでに知っていることを確認するためというかんじ。人間変わるものね〜。同じフロアの心理本コーナーでは「ユリイカ」のマドンナ特集号をじっくり立ち読み。マドンナ大好き!彼女は絶対に「知ってる人」だと思う。
つづいては画集・写真集のコーナーへ。仏像の解説本に目が留まり手に取るものの、立ち読みどまりでやはり買わず。あとは私の好きなグラビアアイドル・石坂ちなみちゃんの写真集が見たかったのに、ビニールカバーに阻まれ見られず挫折しました、ちぇっ。
さらにつづいては文庫本コーナーへ。高校時代にハマッたトーマス・マンの本でも久しぶりに読もうかと思ったのですが、あの頃から読もうと思いつつまだ読んでいなかった「魔の山」のあまりの分厚さにやはり手がのびず(涙)。三谷幸喜のエッセイも文庫になってたら買ってたのに、まだなってなかったから買わず。
最後に雑誌コーナーの芸能人本のコーナーでふと目に留まった堂本剛のエッセイを読み始めたら、意外にも(!)内容が濃くて読み込んでしまいました。割と好きだけど、やっぱりいろいろ考えてるんだなーとシミジミ。読んでいて教わる事も多かった。でも買うには至らず。

・・もうこうなるととにかく何か本が欲しくて、グルグル歩き回ったあげく結局1冊だけ買いました。それは「FRIDAY」でした。・・・だったらコンビニで充分ダ。
3月5日(日) うって変わって

昨日の日記でイライラしてると書いたばかりでこんなこと書くのもなんですが、今日はすっかり落ち着きを取り戻してしまいました。
思うにその原因はふたつあります。

ひとつは2月28日の日記にも書いたペールブルーの瞑想。
夕べまたペールブルーの瞑想をして、自分とサロンと今やっているコースの生徒さんにペールブルーの光を送り込んで見たのです。これはかなり効果てきめんですねー!この瞑想をしてみると、自分も含めた全体という視点から自分を見渡す事ができて、問題の本質にたどりつきやすくなるようです。その視点に立つことで更に物事を信頼して手放すことにも繋がるみたい。なにかに守られているという安心感もあります。

もうひとつは今日からまた新たな銀河の音がはじまったということ。

ふと気づいてみると、「なにか空気の流れが変わった・・・」と感じるのは、いつも銀河の音が一巡してまた新しい音が始まる日なんです。ダイアリーを読み返していると本当にそれを実感します。これもまた不思議ですね〜。本当に新しい風が吹いてくるんですよね、心の奥の方で。

そんなこんなで今日1日イライラすることもなく、繋がりを感じながら過ごす事ができたと思います。
ただきちんと自分に意識を向けていればいいだけのことなんですよ。ホントはとてもシンプルで簡単な事なんです。「繋がる」って。

「少しの間、静かにして目を閉じて耳を澄ましてみよう。さっきまで聞こえなかった、小さな虫の声や風の音・内なる自分の声までもが聞こえてくるよ」
3月4日(土) 渡ったはいいけれど

まあ確かにねー、昨年の11月に富士山で13の月の暦の提唱者・ホゼの研修を受けて以来、めちゃくちゃ体調を壊してしまった時期もありました。高い波動に体がついていけなくなっちゃったんだと今は分かります。しかしそのしんどい過渡期を越えちょうどお正月くらいから、今度はそこに待っていたのは、もうすんばらしい明るい世界でした。トンネルを抜けると雪・・・ではないけど輝かしい世界があったのです。
自然のリズムや宇宙の秩序といったものを実感し、自分も含めたすべてが繋がっていると実感し、そうすると世界はそれまで私が考えていたよりもずーっと広く美しく。自分の外側ではなく内側の世界が広がることで、こんなにも外側の世界の見え方が変わるものなのかと感じましたし、外側の世界は内側の世界の反映に過ぎないということも実感しました。だからやはり変えるべきは自分の内側なのですね。

・・・そんなテンションの高い(笑)時期が過ぎ高い波動に慣れてくると、最近はなんとなくイライラ感を感じ始めているんですね。まったくひとつ所に落ち着かない人間ですね〜。
このイライラはなんなのか?ずっと考えていたのですが、今日その理由が分かっちゃったんです。

私はこの新しい世界に感激し、このすばらしい世界をみんなと分かち合いたい!と強く願っているのです。が、周囲の人たちがイマイチそれをまだ分かっていなくて私がひとりで舞い上がってるだけで、みんなはむしろそんな私を見てシラけちゃってるのかな?と思ってしまったのです。そのギャップにイライラしてしまっているというわけです。
高くて怖いつり橋でも渡っちゃえばたいしたことないから、先に渡った私が「平気だからおいでー」と叫んでるのに、みんながなかなか渡り始めない。そんな状態なのかも。

なんか自分がさも他の人よりエラい人みたいな言い方ですよね。私もそう思います(苦)。自分が思い上がっているだけなのかもとも思います。それに渡るか渡らないかですら本人が決める事なんだし、渡れないから意気地なしということでもないのでしょう。なのにー私ったらー、渡らない人を優しく見守れないー。こうなると、なーにが「すべては繋がっている」だよ!と自分に突っ込みたくなる・・・(涙)。
私の中のイエローの質がネガティブな形で出るとこういう感情が出てきてしまうのですよね。自分の中で一番嫌いな自分、なんとかならんものか、ふう。
3月3日(金) 今日は思いっきり悪口書きます

最近見ていてムカついてしまうテレビCMがあります。それは資生堂マキアージュの宣伝。

豪華なキャスティングは別にいいんですよ。旬の人を揃えていてみんな綺麗だし、化粧品のCMにふさわしいと思うんです。それより嫌なのは、わざとらしすぎる演出と不自然すぎるセリフです。
あんな歯の浮くようなセリフ日常の中で絶対に言わないよねー。それに、ふたりの顔のアップを見せるためなのかカット割が激しいから、ひとつひとつのセリフの間も不自然で繋がらず全然会話しているように見えない。篠原涼子なんかとてもお芝居が上手な人なのに、ああ、もったいない。

そしてなによりも嫌なのは、女優さん達のメイクです。
あのメイクはどうなのかなー?メイクのCMだからこそあのメイクなのは分かります。が、あのメイクで、見てる人は憧れるのかしら。今ちょうど流れている篠原涼子と栗山千明のバージョンは、栗山千明の目がステキすぎて見つめられすぎるという設定で、栗山千明の目がアップになるシーンがあります。わたしゃそれを見て「キモい〜」ってびっくりしたんだけど。やりすぎーって思ったんだけど、私の感覚が違っているのでしょうか。

私も人にメイクを施すことを生業としている人間ですから、自分の感覚がまちがっているのかどうかとても気になるところであります。もしかして私が時代遅れなの!?

でも、マキアージュだけじゃなくてテスティモの山田優ちゃんのメイクも嫌なのよね〜。それでなくても濃い優ちゃんの顔が暑苦しくうざく見えます・・・。
私の好きなメイクのCMは上戸彩ちゃんの出ていた花王ソフィーナのリップのCM。あの彩ちゃんは綺麗で大人っぽくて色っぽくて良かったな〜。ああいうメイクはぜひお手本にしたいな〜。
3月2日(木) あれ?

「絶好調〜」の波に乗り、ふと気づいてみたら崖っぷちに立っていたような気分です、今の私。タロットでいうところの「FOOL」のカードみたい。

いや、別になにか嫌な事があったわけじゃないし、心身が好調じゃないわけでもない。相変わらず好調であります。なのになにか心の奥底の方でモヤモヤしているものがあることに、今日気づきました。

振り返ってみると少し前からそのモヤモヤはあったみたい。ちょうど共振の月が終わり銀河の月にはいったころからです。これは焦り?不安?それとも不満?うーん、なんだろう。

そんなときはセルフコンサルです。・・・ということで選んだボトルは全てマスターボトルでした!しかも上下同じ色で全てペールカラーのボトルばかり。
我ながら見ていて惚れ惚れするほどスカッと晴れやかなかんじ。しかし、少々浮世離れしているようにも見えました。これだと、光が強すぎて目くらまし状態になっていそうだし、(自分で言うのもなんですが)純粋すぎてちょっとしんどそうにも感じるなぁ。

その中で2本目に選んだペールイエローのクツミのボトルがどうしても使いたくて今使っています。そしたら余計にイライラ・モヤモヤしてきました。これを使う事でどう変化するのかまだ見えてきませんが、今度のギフト・チャレンジはなんだろうな〜。
私は探究心旺盛だしチャレンジャーなので、チャレンジに立ち向かっていくのが毎回楽しいんです。だってそれを越えてゆくとまた一歩成長できるんですもの。まあ、もちろん嫌なときもあるけどね。

あ、そういえば最近時々急に心臓がドキドキするの。大丈夫か!?
3月1日(水) 無条件の愛

早いものでもう春ですね〜。サロンのお向かいの家の庭では梅の花が満開ですし、すずめがチュンチュン鳴いているし、春だな〜。

春といえばピンク(かな?)。オーラソーマでピンクのテーマには「無条件の愛」というのがあります。
かつて誰かを無条件に愛した事があるかと聞かれたら、私の場合は「ありますっ!」と答えます。その人の名は(12年前に死んじゃったけど)F1ドライバーのアイルトン・セナです(恥ずかしい・・・)。

「なぁんだ、身近な人じゃないじゃん」と言われたらそのとおり。でもアレは確かに無条件の愛でした。だから誰かを無条件に愛する事の喜びはわかっているつもり。

無条件の愛だと良い意味で相手に何も期待をしていないから、相手の態度や感情に一喜一憂する事もありません。ただただ愛するという感情の喜びと充実感に浸れるのです。だから楽しい事ばかり。私はどちらかというと、愛するより愛される事を先に望んでしまうのですが、あのときばかりは違いました。
ドリカムの歌の歌詞に「あなたといるときの自分が一番好き〜」というフレーズがありますが、まさにそんなかんじ。セナが好きだというだけでなく、セナを好きな自分が大好きでした。だから楽しかったんです。
あの頃人生のどん底にいた私。自分の全てが大嫌いだった私に、自分が好きだ・自分にも誰かを愛することができるんだと思わせてくれたアイルトンには、感謝のしようもないほど感謝してます。実際に会ったこともない人からでも、こんなに大きな何かを受け取れるんですよね。これもコミュニケーションのひとつの形です。

こういう気持ちを身近な人に持つほうが難しいのかも知れません。だからときには愛しているからこそ・愛するためにこそ離れた方が良い関係もあるでしょう。

でも愛するってステキなことね〜。