〜日記、がんばって続けてます〜 ブログはこちら  日記のバックナンバーはこちら 
a ・ m ・ a ・ r ・ l ・ i ・ e
a t e l i e r
getting to know you
 内なる声にそっと耳を傾けてみよう・・・ アマーリエへ
ようこそ

welcome to amarlie
 オーラソーマ英国認定スクール 
 個人セッション 
  
 ご予約・お問合 
プロフィール 
日記 
リンク 
home 
9月30日(金) 未練

今日は仕事が終わるのが遅かったのですが夜風が気持ち良かったので、いつもの神楽坂ではなく飯田橋駅まで散歩がてらつらつらと歩いて帰りました。
その途中少し遠回りだったのですが、先日審査に落ちた物件の方へついふらふら足が向いてしまい、「私用地につき部外者の出入りは固くお断りします」の看板を無視して、物件の門の前まで行ってしまいました。

10日ほど前に私が下見に来たときには壊れていた門の鍵がきちんと直されていて、新しい住人を迎える準備も整ったようです。おとなりの家には灯りがともっていて、中から楽しげな笑い声が聞こえてきます。
私は、自分が住むかもしれなかった家の門の前に立ち尽くし、マッチ売りの少女のように、おとなりの家の灯りをただただ見つめていました。それは私が決して入ってはいけない世界。叶うことのなかった夢・・・。

・・・なんか書いてるうちにどんどんナルシスティックな世界にひたってしまった(笑)。こんなおセンチな書き方してるけど、今日の日記はシリアスにとらえずに笑い話として読んで欲しいわ〜。昨日「すっきり」なんて書いてたくせにこれかよ!って。

だんなさんにその話をしたら爆笑の大ウケで「それってすんげーみじめで、夫として情けない」と、嘆かれました。はい、そのとおり。
誰も今の私を慰めないで!慰めなんていらないの。笑い飛ばして欲しいのヨ(涙)。
9月29日(木) ポジティブシンキング

昨日、入居審査に落ちたと聞いたときの落ち込みは何処へやら。むしろすっきり気分も晴れ晴れしてしまった私です。

昔の私なら、こんなとき最低でも1ヶ月は落ち込んでたような気がするんだけど、この変わりようは自分でも不思議です。私ってこんなに前向きでポジティブな人間だったっけ?

多分、「すべては必要なタイミングで必要な事が起きている」ことを、心から信じられるようになってきたんだと思います。だから、今回だめだった物件は、素敵な物件だったし住みたかったけど、住む必要がなかったんだと思います。本当に自分にそれが必要なら、必ずしかるべきときにそれは見つかる。見つからなかったならそれはそもそも必要のないものだったんだということ。
それを信じられます。

今コースを受けてくれている生徒さんが「ボトルの1本ずつの意味や名前を覚えることよりも、選ばれたボトルの色の本質的な意味やつながりを理解することが大事で、それを理解する方がコンサルはずーっとやりやすくなるんですね。私、開眼しましたっ!」と言ってくれました。・・・でしょーでしょーーー。分かってくれてうれしーーー。

私はコースや勉強会でコンサル練習をするとき、生徒さんに必ず「テキストや資料は見ないでやってください」と言います。それはオーラソーマの、ボトルの、色の本質を見失わないことがとても大切だと信じているからです。マインドに頼るコンサルでは、コンサルの良さや本質をクライアントさんに提供してゆくのは難しいと感じているからです。マイク・ブースもいつも「正しいオーラソーマを伝えてください」と言います。
他の人はどうか知らないけど、私はそのことに確信を持っているんですもの。
9月28日(水) 決まった

最近考えなきゃいけないことがあるとか、忙しいと言っていた事に結論が出ました。

実はふと立ち寄った不動産屋さんでいきなりとても素敵な物件を見つけてしまい、「こんなところでサロンをやったらいいよね〜」と、すぐに申し込みをしたんです。家賃は高いし、住居とサロンが一緒になるのでだんなさんのことも考えると一抹の不安はあったし、審査がとても厳しいと聞いていたので落ちる可能性も充分あったのですが、なんか根拠のない自信で「大丈夫」と思ってました。
で、今日、不動産屋さんから連絡をもらい、審査に落ちてしまったとのこと。

それを聞いたときはやっぱりヘコみましたよー。「大丈夫と思ってたのに残念。もうすでにいろいろと想像をめぐらせていたのにな〜」って。

夜、だんなさんと話していてもやたらと元気のない私。「今日は結婚記念日じゃん」と言われて初めて気づく始末(まあもともとあんまりそういうの覚えてない方ですが)。
しかしよくよく話していたら、やっぱり住居と仕事場が一緒になるのは難しいということに今更ながら気付きました。
エステなどで服を脱ぐお客様がいるのに、見知らぬ男性の(直接でないとはいえ)気配がするのも気になるだろうし、だんなさんとしても、土日も人がいるからテレビの音やたばこやお風呂の時間などにも、家でまで気を使わせるのは可哀そうよね。

結局ふたりして「俺達、舞い上がって調子に乗ってたなー、わっはっは」という結論に至りました。私も「そうだ!考えてみたらやっぱり家は家、サロンはサロンにしたほうが良いわ」と気づいたら、住居仕事場一体の今回の物件に対しての未練が気持ちよいくらい消えて気分もすっかり晴れてしまいました。この変わり身の早さには、私自身もびっくりです。ついさっきまですんごい落ち込んでいたのに(笑)。

というわけで、物件探しは引き続きやっていきます。急ぐ事はないし今より少し広いお部屋を探して、良い物件があったら今度はちゃんと引っ越すでしょう。
素敵なお部屋が見つかるといいな〜。
9月27日(火) 悔しい〜

今日の自分の仕事はだめだーーー!点数をつけるなら・・・何点か分からないけど赤点であることは間違いありません!

最近の私は忙しさにかまけて自分のことばっかり考えてた事に気付きました。しかもその忙しさも自分で作ったものなのに、考え事がいっぱいあって仕事に気持ちが入っていなかったのではないかと思ってしまい・・・・・あー、大反省。「あの生徒さんにはああ言えば良かった。あの人にはこうすれば良かった」などなど。

先日ティーチャー友に会ったとき、その彼女が体調が悪くて自分のコースを1日変更せざるを得なくなってしまったそうで、すごく悔しがっていました。分かるわーーー。

完璧なんて無理だとさっきテレビで細木和子先生も言ってたし(笑)、気をつけていたって体調の悪い時もあるさ。今日は私も体調はあまり良くありませんでした。頭がずっと痛かったんです。そうと分かっていても、やっぱり責任感じちゃうよね〜。

明日からはまたコースが始まります。気持ちを切り替えて、集中して、でもリラックスして、やるぞー!
9月25日(日) 気が抜けた・・・

今日でコース9連ちゃんが終わりました・・・ふーーー。
今回は私個人的にバイオレットの使いすぎなせいか(笑)、気分が沈みがちでどうなることかと思いましたが、何とか無事終える事ができました。
またすぐにコースが始まるので、気は抜けないのですが、でも今日だけはちょっと気を抜いちゃおう。

とにかく悲しんです。もう最近の日記にシツコク書いてるけど、とにかく!悲しいんです!(シツコイ、苦)。
秋の気配がただよっているせいでしょうか。どんよりした天気のせいでしょうか。だからセンチメンタルになっちゃってるのでしょうか。なんだか誰かに慰めて欲しい気分です。
一人でいたい、けど一人じゃ寂しい・・・みたいな。生きることは悲しい、でも最後まで希望は捨てられない・・・みたいな。うれしい、でも同時に虚しいみたいな。ネガティブとポジティブの境目がなくなっているかんじです。

でも考えてみたら、昔からこういう性格だったかも。
なにかに狂喜乱舞した次の瞬間虚しさが襲ってくるんですよね。なんか心底満ち足りることができないのかな?こんなときはバイオレットの補色のゴールドが良さそうです。

だから最近ゴールド選んでるのかな。
9月24日(土) 秋分の日が過ぎ

昨日は気がつきませんでした。が、今朝の事です。「あ、またなにか地球のエネルギーが変わった」と感じたのは。秋分の日を境になにかが変わったと感じます(私の個人的な感覚ですが)。

この数ヶ月はなんだか地球全体が激しく渦巻いていて、まるで鳴門の渦の中で溺れてるみたいでした。ボトルも割れまくっていましたしね。しかし今朝の空気は、なんというか・・・もっとすご〜く静かなかんじです。「このかんじはどこかで味わったことがある」

私は学校が大嫌いだったので、小学生のころはしょっちゅう仮病で学校を休んでいました。平日の昼間の我が家は本当に静かで時計の音だけがカチカチいう中、私はベッドの中で日がな一日天井を見ながら物思いに耽っていました。すごーく孤独なんだけどすごーく平和でどこまでも落ちてゆく感覚がよかったんですね〜。
今日のかんじはあのときのかんじに似ているみたい。非現実的で静寂があって孤独で・・・暖かさや優しさはあまり感じないんだけど、でもなにかに包まれているようでとても落ち着くような。

悲しみという感情も、そこに浸りきっているととても癒されますよね。あーーー、やっぱりバイオレット!
9月23日(祝) バイオレットの学び

日記が一日おきになってしまった・・・。

なんか今日は立て続けに同じことを考えさせられるような出来事が起きました。それは「失うこと」です。「失う事にたいしての悲しみを癒す」のもバイオレットのテーマのひとつです。

何かや誰かを失ったときは、とても悲しいしやりきれない気持ちになります。そんなときどうやってその悲しみを癒したら良いのか、私にはまだ分かりません。だから、失った後はいつもただただ悲しみにくれているばかりです。途方にくれたり毎日泣き暮らしたりしながら、自然に悲しみが薄れてゆくのを待つ・・・くらいしかできません。
しかし、失った直後は24時間ずっと悲しみが消えなかったのが、時がたつにつれて悲しみにくれている時間は1時間また1時間と確かに少なくなってくるとは思います。でも完全になくなることってあるのかなー?
昔死んじゃった猫のことだって、今は時々思い出す程度だけど、思い出すとやっぱり涙がでてきちゃうもんなー。「あの子は今頃どうしてるのかな。幸せなのかな。会いたいな」って思っちゃいますよ。答えの出ない問いを繰り返してしまう。それっていつかは消えてなくなるものなの!?

そんなことをつらつらと考えていた今日の私ですが、ついさっきふとある言葉が浮かびました。それは「すべては神の御心のままに」というものです。
・・・あーーー、これもバイオレットだー。そして何故か78番(バイオレット/ディープマゼンタ)のボトルが浮かびます。最近あのボトルが非常に美しく見えます。神々しいばかりに美しく見えるんです。

私、昔から祇園精舎の有名な冒頭の一文が大好きで、特に「諸行無常」とか「盛者必衰」の部分が大好きなんです。失うのはいやなんだけど、でも世の中そういうものなんだよとも思っています。だから執着するなかれ。そうして、瞬きの一瞬の中に永遠を観るのですね。
・・・あーーー、バイオレット。悲しすぎる。

いつかすべての悲しみを乗り越えて飄々とした人間になりたいナ。
9月21日(水) きゃー

この日記をつけ始めて以来、旅行などで不在にしていたとき以外で2日続けて日記を休んだ事はありません。なんだけど、今日休みそうになった・・・(汗)。昨日日記つけなかったから、今日休むと2日連続でつけないことになってしまう・・・。

別にこの日記は「書かなければいけないもの」として書いているわけではないので、無理に書かなくてもいいんだけど、なんか書かないと落ち着かない感じになってきちゃったみたいです。

でも今日はこれでおしまいにします。もう眠いよーーー。
9月19日(月) ゴールド、キターーーーー!

この2日ほどゴールドがきてます!(自分が選ぶボトルがバイオレットからゴールドに変わりつつあるという事です)。
ゴールドかぁ、なるほどね〜。
大変化の真っ最中は相変わらずなんですが、気分はかなり落ち着いてきました。周囲の状況を眺める余裕が出てきましたもん。そして、ゴールドです。センタリングして、内なる輝きを存分に発揮して、ユーモアを持って、いきまっしょい!

今日でマヤの「月の月」が終わります。今月のテーマは「今年の私の挑戦は何か?」でした。
この日記にも少し前までは「私の挑戦ってなんだ?」なんて書いてたのに、いまやすでに挑戦すべきことがはっきりしただけでなく、挑戦が始まったというかんじです。
戦う前にはトレーニング期間が必要かと思うのですが、トレーニングもそこそこにいつのまにかリングに上がっちゃったような・・・。しかし上がっちゃったらもうやるしかないもんなー。

だから今、ゴールドなんでしょうね。
9月18日(日) ぐるぐるしてる

ちょっと待って、ちょっと待って。考えなきゃいけないこと・決めなきゃいけないこと・やらなきゃいけないことがあり過ぎて大変だ。
すべては自分がまいた種なのでいやな事ではまったくないのですが。

なので今日の日記はおしまいにしまーす。

あ、ひとつだけ書きたい事が!
今日は中秋の名月でしたね。今日のお月様が特別に輝いて見えたのは私だけでしょうか。「シャッッッキーーーーーン!」ってカンジで、やわらかいのではなくキラキラシャキシャキしてたのよ。
神楽坂の赤城神社も秋祭りで賑わっていたし、日本情緒にひたって風も秋の気配でさわやかで、気持ちの良い夜でした。
9月17日(土) 僕の後ろに道はできる

昔「僕の前に道はない・僕の後ろに道はできる」というコピーのコマーシャルがありました。なんのコマーシャルだったか忘れたけど。
今そんな心境です。

う〜ん、この心境をどう言えばいいのか分かりません。なんか大海原に航海し始める感じかな〜。地平線の果てまでなんにも見えない海。目印になるような島もなにもなくて、頼りになるのは今までの航海の経験と知恵と直感だけ。それはとても不安ですし、とても怖くもあります。同時にものすごい期待もあります。

でも先日までの混乱や苦しい感じは徐々になくなってきました。覚悟を決めたのかもしれません。「かも」なんてね。自分のことなのに「かも」なんて仮定形を使ってしまうのは、今自分の中で起きていることが、意識のレベルではまだ整理がついていないからです。

誰もいない海でキラキラ光る波を見ながら「怖いけど行こう。」と決める事は、なんだか涙が出てくるものですね。悲しいのではなく、うれしいのでもないのですが。さよならをいわなくちゃいけないことが寂しい・・・のかな?

あらら、今書いていることもばっちりバイオレットじゃありませんかっ!バイオレットボトル、使いすぎたかなー。あまりにも激しすぎるよ。まあでもこれがいつものワタシのパターンでもありますかね〜。早く次のステップへ行きたいんですよね、何事も。なんでバシバシ使っちゃうのよね。
9月16日(金) タロット

久しぶりにタロットをしてもらいました。そこで私が引いたのは・・・

過去「8・正義の逆位置」現在「16・塔の正位置」未来「15・悪魔の正位置」・・・・・・・なんか強烈だナー(苦笑)。

でね、面白いのはこのカードをボトルに置き換えてみると、過去「イエロー/ブルー」現在「クリア/バイオレット」未来「バイオレット/バイオレット」になるところです。おいおい、現在と未来のバイオレットボトルは、(この日記にも何度も書いてるけど)私の中でいまだ続くバイオレットブームのおかげで、最近何度も選んでるしお世話になってる(=使ってる)ボトルじゃありませんか!タロットカードでもモロに出てくるんですねー。やっぱりこの世に偶然はないのね〜。
更にこれらのボトルのリターンジャーニー(この辺の話はレベル3やってないと分からなくてすみません)は、全部ターコイズがらみなんですね。ターコイズはいつも1本目に選ぶマイカラーですもん。つまり、今現在起きている大変化(バイオレット)もすべては本来の自分に帰ってゆく道なんですよ。ほんと、面白いね〜。

「予期せぬ変化」「破壊と再生」「浄化と新しい始まり」「変化変容」・・・これらのカードやボトルの意味です。
3本目に68番「ブルー/バイオレット」を選んだときは「未来に予期せぬ変化が起きる」サインなのですが、先日選んでしまい使ってたんです。とっくに使い終わってるけど、予期せぬ変化の事など忘れてた今になって、実は今突如起きた予期せぬ変化のおかげで大変な決断に迫られていてかなり動揺中なんですね(決して悪い事ではありませんよ)。

どんな予期せぬことが起きているのかは、決断してはっきりしたらこの日記にも書きたいです。

今マヤ的には、私にとっての4年単位のサイクルが終わり、10月からまた新たな4年が始まろうとしています。今までの人生を振り返ると、このスタートの年に必ず何かの変化や事件が起きているんですよ。だから今は準備を整えてるとこってかんじでしょうか。さー、行くぞーって。

タロットだのマヤだのオーラソーマだのいろいろ書いてしまいましたが、だってやっぱりどれも繋がってるんですもん。
それにしても気になるのは未来の自分。1ヵ月後の私は一体どうなってるのかしらね。そんな先のことはわからないってくらい、今は1分1秒が濃過ぎるのです。
9月15日(木) なんとかしてー

今ってもう「なんとかしてもらう」時代ではないんじゃないだろうか・・・と思う事がよくあります。

たとえば、お寺や神社に行って手を合わせるとき。「神様。○○の願いが叶いますように・・・なむなむ」なんて、お願いしますよね。でも、神様になんとかしてもらおうって考えは、かえって神様に失礼なんじゃないかしら?何故なら、すでにいつでも神様はなんとかしてくれているから。ただ私たちのほうが、そのことに気づいていないだけで。
そう思うと私たちはなんて恩知らずなヤツなんでしょう(笑)。こんなんでよく神様は私たちを見捨てずにいてくれるな〜。神様は、余程忍耐強くて余程私たちを愛してくれているんだな〜。私たちってすんごく愛されてるのね、うふ。

先日ゼロ磁場に行ったり諏訪神社に行ったときも、私の中に、気の良い場に行って自分のエネルギーの流れをなんとかしてもらおうという考えがあったんです。しかし、上手くいきませんでした。むしろ、場のエネルギーを私が整えてあげる必要があったんだと思います(別に私にそんな力があるとかないとかじゃなくてね)。

地球に生きている私たち。今まで地球には大変お世話になりました。これからだってお世話になるでしょう。この世で誰よりもお世話になってるのは地球かもしれませんよね。でもそろそろ、今度は私たちが地球のお世話をする、というか地球に恩返しをする時代なんではないかしら。地球がいつも私を忍耐強く見守って愛してくれているように、私も地球を愛していることを態度で示してあげたいわ。

私はいつもサロンから帰る前に、飾ってあるヴィッキーの写真に挨拶していくのですが、何故か「○○してください」ではなく「今日もありがとう」的な感謝の挨拶になっています。自然にそんな気持ちになっちゃうのよ。「○○してください」のうちは、まだ自分はそれを手にしていないと思ってるってことだけど、感謝の気持ちになるってことは、すでに欲しいものを持っているから感謝になるんです。

「なんとかしてもらおう」と求めているものは、すでに「なんとかしてもらっている」んですよ〜。
9月14日(水) 抜けた・・・

今日の夕方のことですよ。「ふっ」と・・・本当に「ふっ」と、最近の苦しいふんづまり(←汚くてスンマセン)状況から脱する瞬間がきたのは。

ま、そうはいってもまた今だって詰まってはいるのですが(苦笑)。でもホントにホントに今日のその瞬間をきっかけにして、ようやく脱出し始めたようです。

やりたいことがあるのにやらずにいるってのは、私には余程ストレスなんですね。「やれない」んじゃなくて「やらない」ね。この違いが大きいんです。
「やりたいのにやれない時にストレス感じるのは分かるけど、やらないってのは自ら望んでやらずにいることでしょ。なのになんでストレス感じるの?」と思う人もいるかな〜。
これが表層意識と潜在意識のズレというか、意識と魂のズレなんじゃないでしょうかね。

意識が望んでいることより魂が望んでいることをやる方がストレスにはならないんです。これは断言できます。魂の自分は「やりたい」と言ってるのに、意識の自分の力でそれを抑えてしまって「やらずに」いるとストレスになります。人によっては、こういう状況を「やらない」ではなく「やれない」と、自分がやろうとしない理由をなにか(誰か)に依存してしまう人もいますよね〜。
で、魂が望んでいることより意識が望んでいること(この場合は「やらない」ことをやってる状態ね)をやっているとストレスがたまるんです、もー。

7月26日に新年を向かえていままでの自分の心の流れ、自分が選ぶボトルの流れ、今年の10月の誕生日から始まりそうな、今やってきている流れ・・・この辺が今まさにごわーーーっと渦巻いているようです。それで、混乱してたみたい。やっと流れが見えてきました。

・・・・・ふー。やっかいなもんだにゃぁ。
9月13日(火) 自然のサイクル

昨日の日記にさんざん苦しい旨書きましたが、こんなときは「内なる教師に聞く」のもいいけどそれじゃかえって滅入っちゃう・・・と、知人のチャネラーのところへ行っていろいろ話してきました。誰かと話したりして外へエネルギーを向けることで気づいたり発散したりすることも大事ですものね。
ちなみに、オーラソーマのコンサルテーションはまさにこの「自分の内側に開く」ことでもあり、同時に「誰かに自分のことを話す」ことによって外側にも開いてゆくものだと思っています。やっぱ良いよねー、コンサル!

私は1年か1年半に1回の割合で、自分のエネルギーがコントロール不能になってオーバーヒートしそうになるんです。タコメーターがレッドゾーンにはいっちゃうカンジ。これは自分の中にあるレッドが上手く回っていないときに起こるんですよね〜、レッドゾーンとはよく言ったものです。で、今がまさにそれの状態。

チャネラーの彼女はそんなことはお見通しです。
「富士山に行ったりしたのも、自然のサイクルを感じたかったからでしょ。そしてあなたも自然の一部なんだからあなたにもあなたのサイクルがあるのよ。今あなたは、自分のエネルギーを上げようとか整えようとかするよりも、自分のサイクルを知りそれに逆らわずに自分のサイクルで生きることをもっとしなさい」みたいなことを言われました。
つまり今の私のレッドゾーン一歩手前状態も、サイクルの一部なんだというのです。だから無理にそれをなんとかしようとするよりも、そのサイクルを感じるようにということなんです。
なるほどねーと、それを聞いてハッとさせられました。そんなこと分かってたつもりだったのに、やっぱりはまってしまっていた自分がいました。

と、いうことはですよ。今なんとなくモヤモヤしていたり、イライラしていたりどんよりしていたりするみなさん。それもきっとサイクルなんですよ。
今の自分より大きな広い視点に立って自分を見てみると、そんなふうに思えるかもしれませんね。
9月12日(月) 苦しいよー

ここへきて、なんだかワタクシ混乱中。

振り返ってみると、なにかのリズムが狂い始めたのは、2ヶ月くらい前からかもしれません。でもね、正確には決して「狂い始めた」わけではないのです。狂ったんじゃなくて、前とは違うリズムに変わってきているというかんじなんです。で、前のリズムの私と新しいリズムの私が格闘中で、混乱しちゃってるのかも。

今、とても苦しいです。
汚い話ですみませんが、気持ち悪くて吐きそうなとき、吐いちゃえば楽になるのは分かってるのに、なかなか吐けないときのような苦しみ。激しい頭痛のときについ「頭を切り取っちゃいたい!」と思ってしまう、不快な自分を切り離してしまいたくなる感じです。切り離せないのは分かりきってることなのになー。でも「もういやだーっ」て投げ出したくなるような思いが溢れてきて止まらない。かなり投げやり。かなり混乱。

あああ、苦しいよーーー。もうやだーーー。こんな愚痴っぽい日記ですみませんーーーー。
9月11日(日) 9.11 ※ブログ更新しました↑をクリックしてご覧くださいませ

今朝私は、投票してから仕事に行きました。

選挙に興味がないという人・投票に行かなかったという人。ダメダメー、行かなきゃダメよーーーっと、珍しく声を荒げる私ですが。
「たかが一票、されど一票」なんだぞー。投票しなかった人は、社会情勢に文句を言うなよ〜。税金が高いとか文句言うなよ〜。

ところで、今日は9.11でもあったんですよね。
今朝投票を済ませた後、仕事に行く前にいつもの喫茶店でモーニングセットなぞ食べながら新聞を読んでいたら、あの事件で息子さんを亡くされた父親の手記が載っていて、あんまりにも辛くて涙がこぼれてしまいました。
「何故自分の息子が?何故こんな辛い思いをしなくてはいけないのか?」という思いから抜け出せず、答えの出ないまま4年経ってしまったそうです。
私は(少なくとも)今生で、ここまでの辛い思いは経験していないと思います。でも世の中には自分より辛い経験をしている人が大勢いるんです。

おそらく(間違いなく)あの事件を起こした側の人達も、とても辛い経験をしてきたはずです。でなければ、ああいう事件は起こせないと思うのです。自分のすることが大勢の人に辛い思いをさせることは分かっていてやるということは、つまりは辛い思いをさせたかったということ。それは、自分が味わってきたいわれのない辛さを、同じようにいわれのない人に味わわせてやりたい。あまりにも辛くて、そうでもしなけば自分は救われない・・・と思っていたのではないでしょうか。

その気持ちはよく分かります。私の中にもいわれのない辛さを味わった悔しさや復讐心はあります。私だけじゃなくてきっとほとんどすべての人の中にあるものなんです。
あのような事件を繰り返さないために今自分にできる事ってなんだろうと考えると、自分の中にも同じ火種があることに気づくこと・目をそらさないこと・受け入れること・赦すこと・・・・・なのかなと思います。それができなければ、人の事なんて赦せないしな〜(なんか言葉が強い今日の自分)。
9月9日(金) どうやってオーラソーマを勉強するのかな〜

時々聞かれます。「コンサルがよく分からない」とか「ボトルのことがよく分からない」とか「色彩の言語がよく分からない」とか・・・。

そんなときいつも答えているのは、「オーラソーマを理解したいなら、百聞は一見にしかず。とにかくボトルを見たり触れたり使ったりしてください」ということです。でも、それでもいぶかしげな顔をする人もいます。
別にそういう人を批判するつもりはまったくありませんよ(笑)。捉え方は人によっていろいろだと思うし。ただ、私の考えはこうです。

例えば自分が会社の人事部にいて、新入社員の面接担当だったとします。で、履歴書だけを見た場合と実際に会って面接した場合とでは、どっちが相手のことをよく理解できるでしょうか?
例えば自分がお見合いをするとして、写真だけで相手を見ているときと実際に相手が目の前にいるときとでは、どちらの方がより相手を理解できるでしょうか?

オーラソーマでは「あなたが選ぶボトルとあなた自身の間には何の違いもありません」と言います。だとすればボトルは人格を現すものであり、実際ボトルが人に見える〜なんて言う生徒さんもたくさんいます。
今はオーラソーマのボトルの解説本もたくさんあるし、本の写真を見てコンサルの練習をしている人もいます。でも例えて言うなら、解説本(やテキスト)だけを読むことは履歴書だけで誰を入社させるかを決めるようなものだし、写真だけのコンサルはお見合い相手の写真だけを見ている段階のようなものだと思います。

「いつでも好きなときにボトルを実際に見たり触れたりできれば、そりゃそうしたいよ」という人もたくさんいると思います。だから一概に否定しませんよ。なにもしないよりは、それでもなんとかしてオーラソーマを理解したいと思っていること自体が、教える側としてはとてもうれしいことです。
ただ、直にボトルに触れることがとても大切だということは分かって欲しい〜と思うのです。
9月8日(木) インラケチ!

今日の日記のタイトルは古代マヤ人の挨拶です。意味するところは「私はもうひとりのあなたです」。
・・・ねーーー、素敵な言葉じゃありませんかーーー!なんてセンスが良いのでしょうか、マヤの人は!

今私たちが普段「おはようございます」とか「こんにちわ」とか「初めまして」とか挨拶する、その言葉を「私はもうひとりのあなたです」に置き換えてみたところを想像してみましょうよ。初めて会う人にもいつも会っている人にも、目上の人にも目下の人にも、好きな人にも嫌いな人にも、この挨拶。
私、この言葉を知ってあんまり気に入ったので、すぐに実験してみたんです。想像の中で、思いつく限りのいろんな人に向かって、「私はもうひとりのあなたです」と挨拶してみたんです。そしたら面白いことを発見しました。

ほとんどの人に対しては、とても良い気分で素直にその言葉をかけられたし、それを自分でもしっくりと受け入れられたんです。しかし、ある一部の人に対しては「私はもうひとりのあなたです」と声をかけてもしっくりこないんです。「私とあなたが同じなんて嫌だ」という感情がでてきちゃうんですね(いやなこと言う奴と思われるかな〜)。もっと正直に言えば「私をあなたなんかと同じにしないでちょうだい!」みたいな(うわ〜)。
それとはまた別の感情として「私があなたと同じなんて恐れ多くて・・・」というのもありましたが、こちらはそんなに問題ではないような気がします。やはり、私がどうしてもひっかかるのは超傲慢な方の自分です。

嫌いな自分を鏡のように見せられるから嫌いな同属嫌悪的な関係の人には、すごく素直に「私はもうひとりのあなたです」と言えたんです。これは意外でした。
それよりも、自分が自信のない部分をすでに持っている(ように見える)相手に対して「私はもうひとりのあなたです」と挨拶したときに、超傲慢な感情がでてきたんですね。これはジェラシーの問題ですね・・・面白いなぁ。

自分が一番同化できない・受け入れられないのがどんな自分なのか、「私はもうひとりのあなたです」と(想像の中でですけど)挨拶してみることで、すごく分かりやすく感情になって現れました。面白いからおひまなときにでもやってみてはいかがでしょう。
やってみるときは、相手の目をきちんと見て声をかけるのが良いですよ〜。
9月7日(水) 「自分」を生きる方が楽な時代なのよ

今回の富士山の旅は、先日の信州とは違うみたいです。信州のときは行って余計に混乱しちゃう面があったのですが、今回はバッチリです。着地、無事完了!

今日はブログの写真を見てくださった人からたくさんの感想?メールをいただきました。この場をお借りしてなんていうのは申し訳ないのだけど、でもこの場をお借りして「本当にありがとうございますっ!」と言わせてください。
それらのメールを読んでいて、マヤの先生が言っていた「自然のリズムに合った時間を行き始めると、いやというほどシンクロが起き始める。」を確認せずにはいられませんでした。

「自然のリズム」とは「ありのままの自分のリズム」と同じことだと思います。自然=ありのままの自分。よく自然体なんて言いますよね、あれです。でも本当は「ありのまま」なんて形容詞もいらないはず。自然=自分でいいはず。でも多くの人は、本人が自覚しているいないに関わらず、ありのままじゃないんですよね、残念ながら。だから、ありのままじゃない方に慣れちゃってるマインド型の現代人・私たちは、自分がありのままかどうかをイチイチ確認しなくちゃならないんですよ。みんながイチイチ確認せずともありのままを生きられるようになるまで、いましばらくは精神世界ブームも続くんでしょうね。

今という時代は、ありのままの自分を生きれば生きるほど生きやすい時代に変化しつつあります。逆を言えば、ありのままじゃない自分を生きている人にとっては、ますます苦しい時代に突入してるんです。
だから、自分がありのままの自分を生きているかどうかを測るバロメーターも簡単です。日常が上手くいっていると感じるかどうか、だけです。「どうもやることなすこと上手くいかない」なんてときは、ちょっと道を外れかかってるのかも。そんなときは自分を責めるよりも他人を攻めるよりも、自分を見つめるのが良いですよ。
「自分はどうしても○○になりたい!」とか思うのは良いとして、全然それが上手くいかないとき。その思いがありのままの自分の望むことなのかどうかを今一度見つめなおしてみる。もしかして違うかもよ〜。そして、エゴの自分が望んでいることよりも、ありのままの自分が望んでることをする方が幸せなんだから、そっちの自分を生きる。そのためには捨てなくてはいけないものや思いもあるでしょう。それがいやなんですよね〜。着ないけど捨てられない服みたいな感情は誰でもあると思います。でも捨てましょう。

だって流れがそうなってるんだもん。とにかくそういう時代なのよ。捨てられた人からどんどん幸せなありのままの自分の人生を行き始めるのですよ。ステキですね〜。

で、捨てる?捨てない?どっちにするかは自分しだい。誰も自分の変わりに捨ててくれないし、どれを捨てればいいのか決めてもくれませんよ。
9月6日(火) スゴイ、すご過ぎる・・・ ※ブログ更新しました↑をクリックしてご覧くださいませ

今日、富士山の須走口5合目の「小富士」へ行ってきました。そこですごい体験をしてきたんです。

一言で言えば「神を見た」ってことなんですけどね〜。そういえば昔F1ドライバーのアイルトン・セナも、初めてチャンピオンになった鈴鹿のレースの後「第2コーナーで神を見た」と発言して、物議をかもしていたっけな。なので、私もこういうこと言って大丈夫かな〜と、つい心配はするわけです。でも言っちゃおう。

小富士の森の中で私が見たものはブログに画像をアップしていますので、ぜひぜひ見てくださいませ。いつもはこんなに自分の撮った写真を見てなんて薦めないけど、今日の画像は見て欲しい。この体験を言葉で伝えるにはなんと言えば良いのか分からないので、せめて写真を見て感じもらえたらな〜と思うのです。この体験は私個人のものでもあるけど、それだけでもないような気がするのです。
ブログの画像は、ダブルクリックすると画像サイズを大きくして見られますよ。

ここのところ、なんだかすっきりしないときを過ごしていました。いまだって、相変わらず具体的ななにかがはっきりしたわけじゃないんです。
でもそれで良いんです。今自分がしていること・感じていること・考えていることに、ますます確信を持っています。・・・・あああ、でもちょっとニュアンスが違うんだよなー。やっぱり言葉では伝えきれない〜。
 
9月4日(日) そして富士山へ ※ブログ更新しました↑をクリックしてご覧くださいませ

すごい雨ですね。
しかし明日、富士山へ行ってきます。

2週間前に夏休みで信州へ行ってきたばかりですがなにかまだ足りない感じがして、また自然の中で(今度はひとりで)リラックスしてきます。まあ、これが終わったらあとは今年いっぱいほとんど休みはないので、許して頂戴ませ。

信州で泊まった宿の裏山にあった白樺林がとても気持ちよかったので、今度も白樺のあるところに行きたくて、最初は軽井沢に行くつもりだったんです。軽井沢は10代から20代にかけて毎年夏に遊びに行っていた場所で、大好きな避暑地です。白樺も綺麗だし。
なのに、いざ宿を予約しようという時になったら何故か?山中湖のペンションに電話していました。ほんの3、4日前のことです。なんでだ?ホントに自分でも分かりません。でも何故か予約しようというときになったら、山中湖のとあるペンションに電話してたんです。

おとといのマヤのセミナーに参加していた人たちの中で最近富士山に行った、もしくは近々行くという人がたくさんいました。今もすでに一人富士山に行っている人がいるはずです。そんなときに私も富士山に行くことにしたのは、これもなにかのシンクロなんでしょう。そう思うことにします。そして向こうで何を感じるのかを確かめてきたいと思います。

昨日、仕事で忙しい中でなにげに見上げたデジタル時計が13:20でした。13と20はマヤにとって重要な数字です。おとといのセミナーの参加者も20人・終了後の懇親会の参加者が13人。面白いですね。

今日1日かけて部屋の荷物もだいぶ整理できました。ゴミ袋9個分!いやー、さっぱりした〜。これで富士山モードに突入ですよ!
ではまた明後日!台風、お気をつけて(自分こそ大丈夫なのか?)。
9月3日(土) 塩まみれ

先日の旅行。
私としては、自分のエネルギーの浄化とかヒーリングとか・・・とにかくバランスを整えなおすために行ったつもりだったんです。ところがおとといの日記にも書いたように、行ったらかえって体調的にも精神的にもキツくなってしまいました。なんでだろう?

昨日マヤのセミナーに誘ってくれた友人と話していて、彼女も最近天橋立に行ってきたそうなんだけど、彼女もエネルギー補給?のつもりで行ったはいいけど、かえって場のエネルギーを彼女が浄化して帰ってきたと言ってたんです。そんなだからあんまりリラックスはできなかったって。
それを聞いて私もはっとさせられました。「そうだ、私の場合も、癒してもらいに行ったつもりだったのに、そういうかんじじゃなくてむしろ反対に、私が場を整えたような・・・そんなかんじだった!」。

なんか私が感じるところによると、諏訪神社にしても彼女が行った天橋立にしても(ゼロ磁場もそうだったけど)、古代からの人間の気が集まる場所にはいまや良いものもそうでないものも集まっちゃってたいへんなことになってるのかもしれません。癒しを必要としているのは人間だけじゃなく土地もそうなのかも。ああそうだ、サンチャゴもそんな土地だったよなー。
で、今回の私や友人の受けた感覚のように、そういう土地に行って癒してもらおうとするよりも、こちらが土地を癒してあげるくらいの心構えが必要なのかもしれません。グリッドワーカーってやつですか。

そういえば旅行から帰ってきてから何故か私、塩まみれなんです。気づいてみたら、飲み水も歯磨きも肌スプレーも部屋の中もサロンの中もお風呂も・・・ぜーんぶ塩を入れています。そして明日は部屋の荷物を大整理するつもりです。そのために仕事も休みます!でももうやらずにはいられないんです!

・・・こういう自分の感覚。それが何故なのかはいづれ自然に分かると思ってます。今はその感覚に敏感でいたいし、できるだけその感覚に従って心地よくいたいと思っています。
9月2日(金) マヤとオーラソーマは似てる

マヤにはまりはじめてから初めて、マヤ関係のセミナーに参加しました。いやー、楽しかった!

オーラソーマもそうだけど、今日のセミナーの先生も「知識的なことをいれるよりも、まずは暦を自分で感じて自分でそれを生きてみてください」と何度も言っていました。マヤは特に専門用語みたいなのやそれぞれの関係性が複雑で、それこそお勉強好きの人には興味をそそられるものかもしれませんが、先生は「それじゃいかんのだヨ!」と言いたげでした(笑)。それどころか、専門用語の解説的な知識をいれるようなことは全然しませんでした。

おそらく私は物事の本質を見抜くのは得意な方だと思います。で、マヤに関しても自分なりに「本質はこうだろうな」と感じる自分の感覚を信頼して、自分なりに(独学ってやつですね)暦を意識していたら、もうそれだけでものすごい発見がたくさんあって目からうろこがたくさん落ちちゃうことがありました。それで余計にマヤにはまっちゃったんです。
でも、今日セミナーに参加してみて、いままでぼんやりと感じるだけのものだったところにちゃんとした骨格がついたような感じで、やっぱり受けてよかったと思います。骨格ができたことで自分の今まで感じてきたことがそれで良かったんだと確認することができたし、これからまた日々を生きてゆくのにも、より確かなものに支えられながらマヤを生きてゆくことができそうです。
でもやっぱり大事なのは自分の感覚だということは忘れちゃいけませんね。このへんもオーラソーマとおんなじ。
マヤにしてもオーラソーマにしても分析するものじゃないから、そういう観点で理解したい人が受けると面食らっちゃうんじゃないかな。「大事なことはなにも教えてくれない!」なんて。でもそれは逆で、むしろ大事なことを教えてくれてるんですよね。表面的なことではなく本質を。

マヤとオーラソーマの結びつきもとても興味深いものがあります。これからも私なりにこのふたつをリンクさせながら、楽しんでゆけたらな〜と思いました。

そしてもしかしていつかこのふたつが統合されて、みんなでそれを分かち合って行く日が来るのかな〜なんて想像しちゃいましたヨ。はて、どうなるんでしょうか。
9月1日(木) 気分転換のしかた

なんか調子が出ない今日この頃。
つい1週間前に自然の中で思い切りリフレッシュしてきたばかりなのに、帰ってきたらその反動なのかなんなのか、行く前以上にくたびれてるし気持ちも乗らないしなにかイライラしています。
仕事が忙しいときは体調が良くて、休みになった途端風邪を引く人いますよね。私、けっこうそのタイプです。今、コースがなくて比較的スケジュールがゆったりしてるから、余計に気分が乗らないのかな?

仕事が忙しいと(みんなそうだと思うけど)やっぱりストレスがたまります。そして、ストレスがたまればたまるほどブルーな気分で「早く休みにならないかな〜」と考えてばかりいるのに、いざ休みに入ると「あと○日で休みも終わりでまた仕事か〜」なんて考えちゃってブルーな気分になってる自分がいます。どっちにしても常にブルーなんです。

常に「心ここにあらず」な私。ほんと、気分転換とか気持ちを切り替えるってやつが苦手なんですよね〜。

例えばうちのだんなさんは私と対照的で、気持ちの切り替え上手で基本的に常に今を生きてる人です。仕事中は仕事に集中してるし、遊んでるときも遊びに熱中できる。たとえば、ライブに行けばライブに熱中してる。私なんか、どんなに好きなアーティストのライブでも聴きながら気づくと全然違うこと考えてて、はっと気づいてまた音楽に耳を傾ける・・・みたいな繰り返しです。

あれ、なんでこんな話になったのかな?やーん、今日の日記はネガティブってるかも〜。ごめんなさい。