〜生まれて初めて日記つけます〜
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9月30日(火) 裸は美しいのダ

今日とある男性週刊誌を立読みしていたら、知人がヘアヌードになってグラビアに登場していました。ちょっとびっくりしました。でも彼女の場合はそういうこともしそうなキャラクターだったのでそんなに意外ではありませんでしたが。

でもこれをきっかけに、世間にヌードを晒す心境について考えてみました(笑)。
個人差が大きいと思いますが、私の場合はさほど抵抗はないと思います(実はそれに近いようなことをしたことがあるのだ)。裸を性的な対象というよりは美の対象として捉えてるからかもしれません。もし私が容姿やスタイルに自信があったらとっくにやっていたかもしれませんね〜。見て見てキレイでしょーって。
だって裸ってとても美しいですもんね。美しいものはみんなで見たいですよね〜。逆に見せないのはもったいないよ!スーパーモデルの人達とかってショーの時けっこう平気でヌードになったりスケスケの服を着たりしてるじゃないですか、あの感覚が近いかも。

しかし考えてみたら、本屋の店先で男性雑誌のヘアヌードを目を皿のようにして見てる女ってヘンだったかも。いやだって、彼女の顔がちょっと変わってるような気がして確認してたもので・・・(笑)。


9月29日(月) 佐藤初女さん

知っている人も多いと思いますが、青森・岩木山の麓で「森のイスキア」という施設?を主宰している佐藤初女さんの講演会に行ってきました。
初女さんのしている事は、「森のイスキア」を訪れた人に初女さんの作ったごはんを食べさせてあげる、言ってしまえばそれだけです。それだけなのですが、それだけで訪れた人は元気になって帰っていくのです。初女さんの作ったおにぎりを食べて自殺を思いとどまった人もいるそうです。

初女さんのドキュメンタリー映画も上映してくれたのですがそれを見ると、初女さんは自分の周りのものをとっても心をこめて使っているようでした。料理に使うすりこぎや漬物石に至るまでとてもていねいに扱っていました。ていねいに生きている人なんです。「慈しみ」といったら良いのでしょうか。
初女さんはこんなことも言っていました。「祈りには静の祈りと動の祈りがある。静かに座って手を合わせて祈るのは静の祈り。しかし私にとっては生活そのものが祈りなのです。」

間近で見る初女さんはとてもとても綺麗な女性でした。謙虚で凛としていて暖かくてユーモアもある。どこにでもいるおばあちゃんのような聖女のような魅力的な人でした。お肌もとーってもキレイ!
私もおばあちゃんになったときにあんな風になれていたらいいな〜。そのためには一日一日をていねいに生きよう。初女さんも「今日が大事」だって言ってたモンね。


9月28日(日) 哲学も科学もベースはおんなじ

今日話した女医さんは、もちろん西洋医学を勉強してきた人なのですが、東洋医学やオーラソーマなどのホリスティック医学にも非常に関心が深く、実際ご自分でもいろいろ勉強されていて、今西洋医学と東洋医学を組み合わせた治療を実践している病院を開業しているという、とてもパワフルな方です。知識も経験も豊富だし、その方の話はとても興味深かったです。

それで私は、さっそく彼女に質問しました。「体に起こることは誰でも分かるが、オーラやチャクラなどのサトルレベルに起きていることをどのように人に説明すれば良いのか?そもそも本当にそれは起きているのか(私自身は起きていることを知っていますが知らないフリして聞いてみた)?起きているとしてもサトルレベルと体にはどのような繋がりがあるのか?例えば色が人間の体や精神を癒すことをどうやって立証できるのか?」

その質問に対する彼女の答えは予想通り「それはまだ現代科学や医学では解明されていない」でした。「ただ色を始めとするホリスティックな治療法によって病気が治る、という歴然とした数多くの事実が(古代から現代に至るまで)あるから、患者さんが了解するならそれを取り入れても良いのではないか、少なくとも自分はそうしたい」というようなことを言っていました。
科学や医学の新発明や新発見はたいてい仮説から始まります。つまり、まずあることが事実だとしたらどうなるだろうという仮説をたてて、実験などをすることで後からそれが事実であることを証明するんだそうです。コロンブスの卵みたいですね。

だから自分の現実を望む状態にしたいなら、まずは自分がそうなっている状態を想像する(仮説をたてる)んです。そしてあたかも今すでにそうであるかのように生きること(実験すること)で、後からそれが現実になる(証明される)んです。これは、今私が考えた新理論です(笑)。

さて、またしても自己責任の話になってしまいました。人は何かを信じなければ生きてはいけません。みなさんは何を信じて生きていきますか?私はできることなら自分を一番に信じて生きていきたいです。


9月27日(土) 近江大絶賛!

今回の旅は、1日目は近江(特に琵琶湖の南側方面)のパワースポットを、2日目は大好きな坂本龍馬の史跡を、3日目はテキトーに(笑)、回りました。
私は大学で日本画を専攻してしまうほど日本の文化が大好きで、もちろん神社仏閣・仏像などもだーいすきです!故に京都は見所たくさんの魅力的な街なのですが、実は京都の隣の近江もお寺や仏像がいっぱいの魅力的なところなんですよねー。でもまだ一度もちゃんと回ったことがなかったのです。

今回は神社はいくつか回れたものの、文化的基準ではなくパワースポット的基準(笑)で行く場所を決めたので、仏像とかはひとつも見れなかったんです。しかも琵琶湖の南岸だけ。次回は琵琶湖一週じっくり見たいな〜。

でもそれほど近江は良かったんですよね〜。何がって言葉で説明しにくいけど、あえていうならば「土地の気」が!春に行った和歌山の熊野と同じくらい良かったです。
どちらも神話の時代から語り継がれている歴史の古い土地ですが、やはり神話が生まれるにはそれなりの理由があるんだと思いました。熊野は山や岩や荒い海などやや男性的で原始的なエネルギーを感じましたが、近江は海じゃなくて湖なせいか穏やかでどちらかといえば女性的なエネルギーを感じました。見渡しても山はたくさんあるもののその山に険しさはなく、小さな丸い山が地面から生えるキノコのようにもこもこあるようなかんじ。
そして近江はやはり琵琶湖の存在が大きく、つまり「水」が非常に大きな要素なのかなとも思いました。とても湿ったかんじ。そんな所も女性的でした。

その日は雨で、でもなんだかとても雨が心地よくて気にならなかったのです。むしろ人がいなくて静かで良かったので恵みの雨かと思ったくらいです。しかし日吉大社の直前で雨と雷がものすごく激しくなってしまい、門前までいったものの車から降りるのをあきらめてそのまま帰ったのでした。次の日の朝小雨になっていたので再度チャレンジしたら、またしても大社の手前2キロくらいのところからどしゃぶりであきらめざるを得ないという、私にとってはいわくつきの神社になってしまいました。ま、いつか行けるでしょう(何故か今回は諦めが良いのです。いつもはネチネチ考えてしまうのに、これも必然だって思えてるからかな笑)。

そんなこんなで、近江はオススメですよ〜。日本的な空気を(京都よりも静かに)味わいたい方、気の良い土地を訪れたい方、ぜひ!


9月26日(金) 無事帰宅しました

2泊3日の京都旅行から帰ってきました。

1日目〜多賀神社→太郎坊宮→御上神社→日吉大社→比叡山泊
2日目〜日吉大社→寺田屋→霊山護国神社→酢屋→近江屋跡→高瀬川周辺→市内泊
3日目〜二条城→竜安寺→嵯峨野散策

だいたいこんなスケジュールでした。よく分からない名前も多いかもしれませんが、詳しくはまた明日の日記にてご報告いたしますぜよ。途中どしゃぶりに見舞われたりしたけど、とにかく楽しかったぜよ(←このヘンな語尾がどこへ行ったかのヒントでごわす)。


9月23日(火) 明日から京都です

論文も終わってないしこんなときにいいものかとも考えましたが、2泊3日の短い旅ですしそろそろ東京暮らしの限界なので、行ってきます。
本格的に東京で暮らし始めてもう5年経ちますが、住めば住むほど長くいられなくなってきます。空気の悪さや街のうるささ、景色の味気なさに我慢できなくなってきて、時々無性に東京を離れたくなります。最初の頃は1年に1回くらいの割合だったその衝動が、最近は3ヶ月に1回くらいの割合でやってきます。
果たしていつまで東京に住めるのでしょうか・・・って、当分住むつもりなんだけどね〜。東京には良い面もたくさんあるしね。どちらを選ぶかですね。

今回の旅は、琵琶湖周辺のパワースポット巡りと京都市内で坂本龍馬の足跡を辿るのが主な目的です。そしてもちろん食べることも。
なので明日明後日の日記はお休みさせていただきます。みなさまもどうぞ楽しき日々をお過ごしくださいな。


9月22日(月) 今日もまたひとつだけおりこうになった気分

あーしんど。最近週イチの割合でこのテの日記になってしまいます。今日も12時間パソコンに向かって論文書いてました。いつまでこんな日記が続くんでしょう。
やはりテレビを見ながら(もしくはラジオを聴きながら)頭使って考えることは、少なくとも私の場合はできませんね。それに本を読んだり調べたりして何かを理解しようと思ったら、かなりの集中力が必要なんだと言うことも改めて実感。なんか受験時代を思い出します。

脳みそが疲れてるときはバイオレットがいいですよ。コンピューターによる目の疲れにはグリーンが、電磁波防止にはディープレッドやレッドがおすすめ。
今日、ディープレッドのポマンダーを施さずに論文やってたら、6時間くらいたったところでさすがに気持ち悪くなってきたので、ディープレッドのポマンダーをあわてて施しました。それ以降は随分体も頭も楽になったのですが、色が人間に及ぼす科学的な作用の勉強をしてると(これが今日の論文のテーマだし)、例えばディープレッドのポマンダーが何故人を電磁波から保護して、ひいては私の体が楽になったのかがよ〜く分かって、なおさらオーラソーマのいろいろなことに対する確信がでました。
でも別にオーラソーマに限定しなくても色なんて日常どこにでもあるんだから、いつでもどこでも色を使って即席ヒーリングできるかもしれないってことですよね。

こうして一歩一歩、歩いてゆくしかないんですね〜、分かっちゃいるけど投げ出したい・・・(笑)。


9月21日(日) 植物の素晴らしさについて

最近友人がアロマテラピーを勉強していてよく話を聞くせいで、つられて私も植物が人間に与える影響について考えてみる時間が多くなっています。

植物って根が生えてるから動けませんよね。だから私たちが倒れたときにさっと手を差し伸べたりはしてくれないかもしれません。でもそれは私たちを助けてくれないという事じゃないと思います。私たちが植物の生えているところまで行けば、いつでも彼らはその場所で待っていてくれるのです。そして変わらぬ優しさで私たちを迎えてくれるんでしょうね。もちろん贔屓もしないし、優しさの出し惜しみもしません。
植物ってとってもシンプルで寛大で忍耐強くて穏やかで優しいです。あら、これってグリーンのキーワードそのまんまじゃない、びっくり。やっぱり繋がってるんですね〜。

つまるところ植物に癒されるかどうかは私たちしだいということです。私たちが植物に向かって心を開いているか、植物の生えているところまで自分の足で歩いて行くかどうか。これ、植物以外のいろんなものに例えられる話ですね。
あら、また自己責任の話になってしまった。最近の日記はいろんな話題のようで、結局同じ事を言ってるようなのばっかりです。


9月20日(土) オーラソーマはセラピーといえるのか?

その答えは本当は、私のようなセラピスト側の人間ではなく、セラピーを受けるクライアントさんが出すものだと思います。
クライアントさんがコンサルテーションを受けたりボトルを使ったりして癒されたと感じられれば、それはセラピーと言えるのでしょう。オーラソーマに限らずなんとかセラピーと名のつくものは全てそうだと思います。
しかし、私はオーラソーマはセラピーだと信じています、もちろん!だからやってるんだし。自分が良いと感じたものじゃなきゃオススメなんかしませんワヨ。

セラピーじゃないと言う人のことを批判する気持ちはないです。その気持ちも分かるし。オーラソーマのセラピー作用につては理論的に説明することがなかなか困難なのは事実です。それに薬でも化粧品でもなんでもそうだと思いますが、全ての人に同じ効果があるものなんてないに等しいです。オーラソーマを受けてもなにも変わらなかったという人がいても仕方ないです。
しかし、何故私がオーラソーマはセラピーだと信じているかというと、今までにコンサルテーションを受けたりボトルを使ったりしてくれた人達から「癒された」「楽になった」などの声をたくさん聞くからです。実際にクライアントさんが明らかに変わって行くのを目の当たりにしているのです。この現実が、私がオーラソーマがセラピーだと認めざるを得ない理由です。なにより私自身がそれを体験しているのです。

これじゃ、いつまでたっても堂々巡りですね。セラピスト側の人間として責任持って結論を出します。結論「オーラソーマはセラピーだといえます。ただし全ての人に同じ作用が起きるとは限りません」。
私の経験では、オーラソーマに対して心を開いている人ほど作用が現れるみたいです。ヘンに依存しないほうが良いみたい。

私は私の信じることをする、しかないです。私にそのときできる精一杯のことを責任と誠意を持ってすることしかできない、ホント、これに尽きます。でも、責任はとりますが依存はなるべくしないでね。


9月19日(金) 「人体の不思議展」

・・・に行ってきました。今、体のしくみのことをもう一度勉強しなおしているので、興味があったのです。

会場には、かなりリアル(というかほんもの)な人体の標本が多数展示されていました。骨だけの骸骨はよくあるけどそのほかに神経だけのもの、筋だけのものなど、パーツごとに標本が分かれていてとても分かりやすかったです。
しかし臓器の標本のところでは、臓器が複雑に重なりあっているためか、キャプションを読んで例えば「前立腺の下に膀胱がある」なんて書いてあっても「え、どれどれ?あのひょろひょろした裂きイカみたいなのが前立腺?で、どれが膀胱なの?」など、いまいち部位の場所が正確に分からなくて、一緒に行った友人と最後まで「で、結局脾臓ってどこにあるの?」みたいになって終わりました(笑)。標本にじかに矢印とかでこれがナントカですみたいにしてくれてあればもっと分かりやすかったのにな〜。

でも、すごーく面白かったし参考になりました。脳にも触れたし(意外と重い。1キロ以上あるんですって)。
一番印象的だったのは、喫煙者の肺と健康な肺の比較でした。喫煙者の肺は色が真っ黒!表面もしわしわで病気っぽいのが一目瞭然です。あんな肺でも生きていけるんだと、逆にびっくりしました。あれはぜひヘビースモーカーのうちのだんなさんに見せたかった。リアルに怖いよ〜。


9月18日(木) 新しい友達

友達がらみの日記が続きますが・・・。

今日は新しい友達ができました。いっぺんに何人も!わーい。
私はフリーで仕事をしているので、日頃いろんな世界の人達と会っている方だと思っていますが、こうして新たに知り合った人達の話を聞いていると、まだまだ私がいた世界は狭かったな〜と実感します。視野が広がるし、自分を客観的に見つめる良い機会なので、すごく楽しいです。
いつも会っている人とはいつのまにか価値観が似てくる、もしくはその人と価値観が似ている部分の話が中心になってしまうんだということも、今日の新しい友達と話していてすごーく分かりました。

私は自分と違う考え方を持っている人の話を聞くのは大好きです。自分と違うことを否定する前に、何故その人はそういう考え方をするのか?その人は私の考え方に対してはどんな意見を持っているのか?を知りたいからです。
意見が違ったとしても、正しい間違っているではなく、同じか違うかだけの話、ですよね。だから友達になれるんですよね。

それにしても昔からよく言われるけど、やっぱり私って初対面の人からは話しかけずらいらしい・・・。話すと全然違うって言ってくれるんだけどね・・・。接客業なんだけどね、これでも・・・。気にしてるんだよね〜自分のそういうとこ。


9月17日(水) 再会

4年ぶりくらいに、中学時代からの親友に会って食事してきました。

久しぶりだったのでどうかな〜と思っていたのですが、会ってみたらお互い別段変わってなくて全然久しぶりという感じもなく、いたってふつーにおしゃべりして、いたってふつーに盛り上がりました。必然的に近況報告的な話から始まって、お年頃ということもあってか生活環境などは4年前とは変わっている所もあったのですが、根本的な性格はお互いおんなじままでした(笑)。
友達って不思議ですね。会った瞬間に、(その子の場合なら)中学時代に戻ったみたいになるんですよね。
そういえば、私の母が母の学生時代の親友としゃべってるところなんか見てると、私としゃべってるときの母じゃなくまるで女学生に見えることがあります(笑)。今日の私もそんな風だったのかもしれません。でもそれってすごくイイ感じです。なにより楽しかったし。

今思えば、なんでこんなに長いこと連絡取ってなかったんだろ。まあお互い無精で用がなければ連絡するようなタイプじゃないからな。時々は思い出してたんだけどね〜。今度彼に会わせてね〜。


9月16日(火) 知識の海に溺れたい

論文のせいかどうか分かりませんが、最近自分の知識欲が刺激されてしょうがありません。
もともと疑問に思ったことはすぐ調べないといやな方ですが、最近調べるのがとみに楽しくなってきました。特に今調べてるのは、自分の好きなジャンルのことだからなおさらです。
昔「ベルサイユのばら」の作者・池田理代子がインタビューで、どうしてそんなに歴史に詳しいのか聞かれていて、「調べるのが趣味なんです」と答えていました。今の私もそんなかんじかも。

私の今の仕事は人が成長することのお手伝いですが、それによって一番恩恵を受けてるのは自分で、仕事を通じていつのまにか自分が成長していることをよく実感します。こんな仕事ができる私は幸せ者だと思います。
この仕事は「経験」がとても大事だと思いますが、今そこに「知識」も加えています。もちろんいままで知識がなかったわけじゃないけど、知識を深めれば深めるほど、今まで自分はどんなに知らなかったかが分かります。

「私ったらいままでこれっぽっちの知識で仕事してたんだ、こわっ!」と、ひそかに顔面真っ青な今日この頃です〜。


9月15日(月) 証明できないものを信じる

オーラソーマもそうですが、一般にホリスティック医学と呼ばれている分野は、西洋医学のように科学的根拠による裏付けがないものが多いです。
オーラソーマのクラスで一緒だったある人が「自分はオーラソーマの良さをもっと多くの人に広めたいのだが、証明されていないものを信じるわけにはいかないとの理由で、なかなか受け入れてもらえない」と言っていました。「だから早くオーラソーマの作用や効果が科学的に立証されるといいのに」とも言っていました。

それに対する私の考えはこうです。「そういう人は逆に言えば、証明されているものならなんでもとりあえず信じてしまう可能性もあるということ。それよりもその人が、自分の感性で信じるものと信じないものを判別できるようになったほうが、その人のためにもいいんじゃないだろうか。私だったら、たとえ証明できなくても何かを信じてもいいんだと、その人が思えるようになってもらえるように働きかけるだろう。」

なにかを単に証明できないから信じないとか証明できるから信じるというのは、あまりに短絡的過ぎて正直いって賛成できませんね〜。それって判断を人任せにしてるってことでしょ?
やっぱり何事も自分のことには自分で責任とるのが大事ですよね。

※それにしても道頓堀、すごいねー!去年のワールドカップの韓国みたいだよっ!関西の人ってやっぱ面白い!


9月14日(日) キツい〜

ただいま15日午前4時。今日はなーんと12時間も!パソコンの前に座り続けでした。
人によってはそんなのよくあることだという人もいるのでしょうが、日頃現場仕事をしている私には相当しんどい作業ですワ、こりゃ。
視力が良いのが私の数少ない自慢できることだったのに、それももうだめかも・・・(涙)。

あー顔洗いたい、もう寝よ。


9月13日(土) 甘え方

テレビで明石家さんまが、「俺は甘えん坊だから俺と付き合った彼女は俺の甘え方にびっくりする」みたいな発言をしてました。赤ちゃん言葉になったりごろにゃ〜んするのなんて当たり前らしい。それを聞いてたゲスト達がびっくりしてたけど、でもホントはみんなそのくらいのことしてるんじゃないの〜?って思いました。
「彼氏や彼女(だんなや奥さん)の前でどんな風に甘えるか」ってあまりみんな語りたがらないしタブーみたくなってるけど、すっごい知りたいことですよね〜(そんなことない?)。

私の場合はリラックスできる相手といるときは完全に子供、になります。
例1:食べようと思って買っておいたお菓子を先に食べられてしまったとき、床に仰向けに寝転がって手足をジタバタさせ「やだーーチョコ食べたーい食べたーい」と駄々をこねる(もちろん買ってきてはもらえない)。
例2:ソファに寝そべってくつろいでいる相手に向かって「わー地震だー、危なーい落ちるー」と言いながらソファの上から相手の体の上にどすんと落ちる。それを相手がマジで怒り出すまで何度でもしつこく繰り返す。
などなど、挙げればキリがありません。でもこのくらいのことはみんなやってるんですよね?時に自分が赤ちゃんになったり猫になったりしますよね?「ナントカでちゅー」とか「にゃーごにゃーご」とか言いますよね?言わない?

でも自分がそんなことしてるときって、すんごく気持ち良いときなんですよね〜。最高にリラックスしてるときです。もちろん恥ずかしいなんて思ってもいません。完全に赤ちゃん(猫)に成りきっています。
でもなんでこういうときって気持ち良いんだろう。不思議だ。


9月12日(金) 惜しい〜

地下鉄でうたたねしていてふと目を覚ましたら、向かいに座っている女の人の足が目に入りました。なんて綺麗な足!ミニスカートから伸びる足は細くて長くてきちんとモデル坐りしていてペディキュアもばっちり。期待しながら視線をその人の顔に向けたら・・・おしくも顔はあんまり綺麗ではありませんでした。特にメイクがケバかった。目も口もチークも力入り過ぎてました。
服装もおしゃれ、髪形も決まってる、もちろんスタイル抜群。なのに何故メイクだけがセンスないのかな?

おそらく彼女は確実に自分で思い込んでるのですよ。「私はスタイルには自信がある。でも顔には・・・」。そのコンプレックスが、自分に対する客観性を歪ませてるんだろうなぁ。で、あのメイクになっちゃうんだろうなぁ。

でもねでもね、彼女の一番の問題は顔の造作だのメイクだのじゃなくて、彼女がかもし出してる暗〜い雰囲気なのです。派手な服装に似合わないあの暗さ。
彼女がもっと自分に自信が持てるようになったら、それはそれは華やかで魅力的な女性になるんだろうなぁ。イイ女になるのになぁ。やっぱり人は外見じゃないのよ中身なのよ、最終的に大事なのは。あ〜〜惜しい〜〜!


9月11日(木) 人見知り

今日、ある人から「かおりちゃんは何故もっと表現しないのかな」と言われました。

確かに仕事以外の場で親しくない人・初対面の人の中にいると、「話さない」「笑わない」「動かない」のないないずくし〜になってしまうのは自分でも分かっています。誰かに話しかけられないと自分からは話せないし、笑おうとすると顔がひきつるし。
もちろん興味のある人には自分から話しかけたいし、好きな話題の中には入っていきたいと思うのですが、いくつになってもそれがすんなりできません。何か言おうと思っても頭で先に考えすぎて口がアワアワするだけで、結局何も言えないうちに次の話題にうつってしまうのですよね。結果として疲れるだけで終わるなんてのが、ふつうです。

一言でいえば人見知りが激しいということなのですが、なんかイイ年して人見知りが激しいなんて繊細ぶってもかっこ悪いよね〜。こういう悩みって大人になれば解消すると思ってたのに、全然変わらないものですね。さすがに子供の頃みたいにいきなり泣き出だすなんてことはないけど、泣きたいのを我慢して笑おうとするから顔がひきつるんですよね。子供の頃と違うことといえば、表現できない自分を昔ほど嫌いじゃなくなったってことですかね。


9月10日(水) 月光浴

昨日の夜、月と火星が大接近したのを見ましたか?月もほぼ満月に近い状態で明るい夜空だったにも関わらず、月の斜め右下でばっちり輝いていた火星が月の涙のようでとても綺麗でした。月の回りを囲む薄い雲に虹のような光の輪ができていたのもとても幻想的で綺麗でした。

今夜も月が綺麗です。私は仕事の合間に休憩がてらベランダで月光浴を楽しんでいます。月のエネルギーをしゅわしゅわ浴びていると、滝つぼにいるような気持ちよさを感じます。月ってマイナスイオンを発してるの?とにかくとっても気持ちが良かったので、クリスタルやオーラソーマのボトルも月光浴させてあげました。

BGMはラヴェルの「死せる王女のためのパヴァーヌ」からカタラーニの「ワリー」のアリアへと続きます。ベランダだから実際に聞いてるわけじゃありません。頭の中で(CDじゃなく)レコードをかけてるのです。
う〜ん、センチメンタルな選曲ダ。でも私はセンチメンタルにひたるのが大好きです。月の綺麗な夜には特にそんな気分にひたりたくなるのです。会えない恋人を想うお姫様みたいな気分(←げー、恥ずかしげもなく!「ロマンチック浮かれモード」だな、こりゃ。あ、これは藤本美貴ちゃんの中で一番好きな曲のタイトルです)。

明日は中秋の名月、どうやら明日も東京は晴れそうですね。


9月8日(月) ☆☆☆☆クリエイター宣言!☆☆☆☆

今日の日記は私にとっては非常ーーーーに重要なアファメーションですっ。

私は小さい頃から、絵を描いたり工作をしたり詩を書いたりという芸術的?なことが好きでした。だから大学も美大に進んだし、卒業してからもデザイナーをやっていました。ずっとクリエイティブなことをやっていきたいと思っていたし、それが自分の進むべき道だとも思っていました。
そして今私がしている仕事は、一見クリエイティブな世界とは違うかもしれません。特にオーラソーマを始めてから時々人から「セラピスト」とか「ヒーラー」「人を癒す仕事」などと言われるとすご〜く違和感を感じて、「私はヒーラーなんかじゃなーい!」と感じていました。「私は人を癒したくてこういうことをしてるんじゃなーい!」
・・・こういうこと書くと人が去っていきそうで怖いな。でも書きます。

今やっている仕事は自分にとって天職だと感じています。と同時に、私はやっぱりなにかを創造し表現していく人間だとも感じています。今までは今の仕事とクリエイティブを繋げることができなくて、自分に罪悪感のようなものを持っていました。つまり「(もちろん全然ないわけじゃないけど)人を癒したいわけじゃないのにこんな仕事してていいんだろうか。自分を表現したいならもっと違う事をするべきではないんじゃないだろうか」という罪悪感です。

でも違うんです、これでいいんですっ。
つまり人は誰でも自分の持っているオリジナリティを発揮すること、自分らしく在ることが大事だということが心底分かったんです。そしてそれを発揮してさえいれば、何をしているかは関係ないのです。何をしているかではなくどういう存在でいるかが大事。何故ならそれを発揮している人の出すエネルギーで周りの人はパワーをもらって自然に癒されるのですから。誰でもそんな経験あると思います。
逆を言えば、人を癒したいならまずは自分が自分らしさを発揮することが一番なんですね。だから私が「私はクリエイターだ」と思いながら今の仕事をしてもいいんです。その方が結果的に人様のお役にも立てるのですよ、間違いなく!

そんな考えでそんな仕事をしている人にエステやメイクをしてもらいたくないと思う人もいるかもしれません。そう思うと少し怖い気持ちはあります。が、いろいろな考えがあって当然です。私はようやくここまで行き着けました。だから自分で自分に宣言するのです。「私はクリエイターとして生きていくのダ!」。


9月7日(日) 誠意

・・・ふー。今少し気分がローになっています。

私の仕事は接客業です。お客様が、連絡すると言ったのに連絡がなかったり予約をキャンセルしたりするのは時々ですがある事です。
きちんと理由があってそうなるのならそれは仕方がないことだから私も納得できるし、私としてもできるだけお客様のご要望にはお答えしたいと思います。ただそこに、なんというか誠意が見られないことがたま〜にあって、そういうときはなんだかとても虚しい気持ちになってしまうのです。あまりにもそれが見え見えの時は腹立たしくなってきて、そうすると「お客様のご要望にお答えしたい」というこちらの誠意の気持ちも萎えてきてしまいます。

そんなとき私はどうすれば良いのでしょうか。「だってあのお客様があまりにもひどいんだもん。私だって誠意なんて持てないよ!」でいいのか「私は自分の仕事に誇りを持っていたい。ならばお客様のどんなご要望にもお答えしなくては」がいいのか。
・・・とここまで書いたら、たった今自分の中で結論がでました。その答えは「お客様に自分の気持ちを正直に伝える」です!昨日の日記に書いたばっかじゃん、自分で。つまり、そのお客様に「あまりにもこのようなことが続くと迷惑しますので以後気をつけてください」という内容を(もっと上手い言い方で)きちんと伝えるのです、それが本当の誠意ってもんでサ!ひたすらお客様のご要望にお答えするのが誠意とは限らないんだワ!
私にとってもそのお客様にとってもそれが一番良い方法ですね。誠意を持って接するということはその人に対して心を開くということですもんね。その結果がどうなるかは分かりませんがどうなったとしても後悔はしないでしょう、ストレスにもならずに済むでしょう。

わーい、日記の書き出し時とは正反対。答えが出たので今は気分はすっきりさわやかです。
しかし、お客様にこんなことちゃんと言えるかしら、ドキドキ。勇気がいるな〜やっぱり。


9月6日(土) 告白のススメ

その時はそうすることで相手を傷つけてしまったとしても、後々振り返ればその時そうしていなければもっと根深い傷になっていたかもしれないと思うことってありませんか。

好きだった人にさよならを言いたいとき、「これを言ったら相手が傷つくのでは」と思うと言うのにすごく勇気がいるかもしれませんが、言わずにいれば結局自分が傷つくのです。言わずにいればお互いが傷つかない(もしくは傷ついても浅くて済む)ように一瞬見えるかもしれませんが、どっこいそれは違います。一度飲み込んだ感情はどこかで出さないとず〜っと自分の中に溜まっていくのです。うやむやにはできません。見て見ぬふりもある程度まではできても結局続きません。
「自分は傷ついてもいいから相手を傷つけたくない」なんて心の底から思える人なんてまずいません。だったらまずは自分を大切にいたわりましょうよ。
ひどくなってから大手術するより早期発見で完治させたほうが、傷は浅くて済むし、不安も少なくて済むし、入院費も安くて済むもんね(笑)。必要なのは、手術する「勇気」と、完治するという「自分に対する信頼」です。

大手術よりは簡単な手術の方が傷も浅くて済むだろうし、手遅れかもの状況よりは早期発見の方が不安も少なくて済みますよ〜。


9月5日(金) 竹内文書

今日、本屋にて。論文に必要な本を買いに行ったはずなのに、ふと目に入ったぜーんぜん関係ない本を買ってしまいました。それは「竹内文書」。知ってますか?私、前から欲しかったんです、これ。
「竹内文書」は宇宙と人類の始まりからの歴史を記した古文書です。その成立年代や何故日本に伝わっているのかなど謎だらけの文書で、何より書かれている中身の荒唐無稽さやスケールの大きいことったら、とにかくすごいんですっ!

中身その1.天皇家は他の星から宇宙船に乗ってやって来た(少なくとも三千億!年以上前に)
中身その2.古代、日本には世界政府が置かれ天皇がそれを統一していた
中身その3.イエス、ブッダ、マホメットなど多くの聖人は日本で修行していたことがある

・・・ねー、すごいでしょ。空いた口が塞がらないでしょ。「マジかよー!?」てなもんです(笑)。でもこんなの序の口でまだまだいろんなすごい事が書かれてるんです。

でもでも、私はけっこう真剣にこれらのことを信じてたりもするんですよね〜。信じてるというよりは「もしこれらの事が事実だとしたらどうなんだろう?」と仮定して、思いをめぐらせるのが好きなのかも知れません。事実は小説より奇なりって言うし、実際世界には解決不可能な様々な謎の物体や出来事が数え切れないほどありますもんね。ピラミッドしかりバミューダトライアングルしかりナスカの地上絵しかり・・・。

実際のところそれが真実かどうかなんて、どっちでもいいんです。それより今自分が生きているこの時この場所の方がずっと大事だし。そんなことばっかり考えていて現実がおろそかになってしまうのはいけません。
でもしっかり地に足をつけてさえいれば、あとは宇宙の果てまで思いを飛ばすのは自由だし、私はそれが楽しいんですよね〜。


9月4日(木) 超音波美顔器その後

私はこの年になってまだニキビに悩まされてるし、アレルギーも常にでているし、体の不調がまず肌にでてしまう体質みたいでやんなっちゃうのです。
「不調が体の外側に出るのは分かりやすくていいんだよ。内臓に出る人は分かりにくいからかえってやっかいなんだ」という人もいますしそれも分かるけど、でもやっぱり見えるところはきれいに越したことはないよな〜と肌が綺麗な人を見るにつけうらやましく思います。あ、でも、見えないところは汚くていいなんて言って汚れたパンツをはいているわけではないゾ。

8月21日の日記に書いたネットオークションで落札した超音波美顔器が届いて約10日。説明書どおりに週2回の使用で1回30分守ってやってます。超音波はやりすぎはかえってよくないのは分かってるのですが、もっとやりたくなる衝動を抑えるのが大変!でもおかげさまでばっちりです・・・と言いたいところですが、しかしここで超音波器にひとつ問題が・・・。

オーラソーマ・マッサージを始めて今まで以上に体の声を聞くようになってきたのですが、私はもともとテレビやドライヤー、パソコン等の電磁波がとても嫌いなのです。そして超音波器も、電磁波かなにか分からないけど、使っているととても気持ち悪いのです。
使っていると確実に顔に透明感やハリが出るので使い続けたい、でも使ってると(特に敏感な顔に使うからか)気持ち悪いし・・・。体の声に従うか、美や若さへの執着(←おおげさ)に身を任せるか・・・。

こんなとき「私も女だな〜」と思いますね。おんな36歳。正念場っスかね。


9月3日(水) 勉強のススメ

数学や物理学は哲学にとっても近いですよね。細胞のひとつひとつに意志があるとか、香港ではばたいた蝶がアメリカにハリケーンを巻き起こすとか。量子力学や複雑系の世界は大好きで(たいして詳しくはないけど)本を読んだりするのですが、すっごく面白いです。理系の人は左脳人間なんてよく言われるけど、理系の勉強してると左脳よりむしろ右脳を使わないとキツいと感じるのは私だけでしょうか〜。

今、オーラソーマのティーチャーの資格を取るための論文を書いているのですが、やはり自分の頭の中で明確に理解していないと書けないので、例えば「魂とは?」とか「エネルギーの流れとは?」とか、いままで漠然と分かっているつもりになってただけのことを、もう一度しっかり考えてはっきり理解することができたので、今すごく頭の中がすっきりしてて気持ち良いです。「魂とは?」なんて子供のときからよく考えてたけど、ここまでいろいろ調べてまでして深く考えることなんてなかったもんね。
魂について説明するには哲学的視点と物理学的視点の両方が必要です。近い将来、そのへんを混ぜ合わせたような新しい学問のジャンルができるでしょうね。

それにしても私は大学も美大だったので、卒業論文じゃなくて卒業制作だったし、こんなに長い論文が書ききれるのか心配。いや、書ききれるとは思うけど単に面倒なだけかも。例え好きなテーマでもね。


9月2日(火) 徹夜

ただいま日本時間9月3日午前3時を回りました。
久しぶりにイラストの仕事の依頼があって、明日というか今日の朝までにあと4点描かなくてはいけません。夕べは終電帰りで、その後メールを急ぎの分だけ打ちまくって(こんな日に限って急ぎのメールが多い)シャワーを浴びて、さあ始めるゾ、と机に向かった矢先、日記をまだ書いてないことに気づきました。

まだ何もアイディアが浮かんでないのにホントに朝までに終わるのか!?もうすぐ夜が明けるゾ!!眠いゾ!!日記なんて書いてる場合か!?


9月1日(月) オーラソーマ・マッサージ後日談

2週間前にオーラソーマ・マッサージを受けてくれた人から電話がありました。とても興奮した声で「マッサージを受けてからすごいことがあったのーーー、ありがとうーー!!」と、いきなりお礼を言われてしまいました(笑)。

(あまり詳しくは聞かなかったけど)この2週間の間に彼女に何があったかというと、仕事の人間関係でびっくりするようなひどいことを突然されたり言われたりしたようなのです。それが原因で一時は辞めようかと考えるほど精神的にまいっていたようですが、今日になってするする〜とすべてがまるく収まって問題が解決したとの事でした。
その間、彼女が自分で日頃足りないと思っていた「感謝の気持ち」を強く感じられたこと。このことをきっかけに自分の中で家族に対する思いに大きな変化があらわれたこと。自分に余裕を持つことができるようになったこと。この大きな変化はオーラソーマ・マッサージを受けたことがきっかけとなっていることが(受けた直後は分からなかったけど)今となっては確信している、だから私にもお礼を言いたくなった・・・などを、興奮しながら一気に話してくれました。

・・・うれしいです、とっても。彼女は私のおかげでと言ってくれたけど、私自身には私のおかげという気持ちは全然ありません、不思議なほど。カッコつけてるわけじゃなくて、正直言って彼女に力を与えたのは私じゃなくてオーラソーマなんですもの。私がお礼を言われるとしたら、彼女がオーラソーマのエネルギーを受け取る機会を作ったってことくらいです。

しかしこれで私も、この非常にパワフルなマッサージを人に施すことに対しての誇りと責任を、更に強く感じました。
彼女はオーラソーマ・マッサージによって一見トラブルのように思えることが発生するかも知れないと、ある意味覚悟をしていてくれたので、実際トラブルが起きても冷静にポジティブに状況をとらえて素晴らしい結果をだすことができたけど、誰もがそういうふうにとらえられるとは限らないし、もっと過酷な状況に陥る人もいるかもしれない。またそうなったとしても、どこまでがマッサージの影響だと言えるのか、また何も起きない人だって当然いる、その違いは何なのか・・・等、突き詰めていかなければならないことは山ほどあります。

でも私がひとつだけ確信を持って言えるのは、マッサージを受けた人は必ずオーラソーマのポジティブで優しいエネルギーを受け取っていて、何かを感じても感じなくても意識下でその影響を確実に受けていて、しかもそれはその人にとって必要なもので且つ有益なものだということ。何が起きたとしてもそれはその人にとって良きことのために起きているのだということ。
何故なら「この世の全てに偶然はない」から。
a ・ m ・ a ・ r ・ l ・ i ・ e
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